吉田山田「日々」はなぜヒット? ストーリー系歌詞の系譜から読み解く
ゼロ年代以降、細分化の加速する音楽シーンにおいて、世代を超えたヒット曲はますます出にくくなっている。そんな状況下の2014年、NHK「みんなのうた」から口コミでヒットした吉田山田「日々」は、“泣ける歌”として世代を超えた反響を呼んだ一曲だった。
「日々」の最大の特徴は、市井の老夫婦を子どもの目線から描いたストーリー仕立ての歌詞にあり、それが「泣ける」「感動する」とヒットの最大要因になったことは明らかだ。
今回は、賛否両論を呼んだ吉田山田「日々」を手掛かりに、ストーリー系歌詞の系譜を探ってみたい。
「トイレの神様」と「Lifetime Respect」
近年では少なくなった世代を超えたヒットではあったものの、私たちが「日々」にどこか既視感を覚えるのは、2010年から11年にかけてヒットした植村花菜「トイレの神様」の記憶が古びていないからだろう。しかし、「日々」が“おじいさん・おばあさん”を第三者的な視点から捉え、微細な出来事ではなく人生のイベントをざっくりと描いていたのに対し、「トイレの神様」は植村自身の生い立ちに由来する具体的なシーンの連続で物語が構成されており、この2曲の歌詞構造はそれほど近いものではない。
それなのに聴いた後の印象が驚くほど似ているのは、同様のモチーフを採用しているのもさることながら、誰にでも理解できる物語構造と誰にでも共感できる表現としてのツボを抑えているからではないだろうか。これはヒットを狙うポップスの備えるべき要素として文句のつけようがないものだし、実際それがウケてヒットしたのだから、ネット上に散見される辛辣な意見など当人たちはどこ吹く風で受け流せばよいだろう。
ただ、この2曲に共通する匂いはそれだけではない。この2曲にベタと一発屋臭を掛け合わせたとき、脳裏に浮かぶのは夫婦愛を等身大の言葉で綴り、日本レゲエ史上初のオリコン一位を獲得した三木道三「Lifetime Respect」(2001年)であろう。また、三木ほどのインパクトはないものの、家族ものの同系譜ヒット曲として木山裕策「home」(2008年)を想起することもできるかもしれない。これらヒット曲に共通するのは、スパンの長さに違いはあれどストーリー仕立ての歌詞であり、言葉そのもののイマジネーションや喚起性を主眼に置くのではなく歌詞全体で何かを表現するスタイルである。
そして声高でなく等身大のメッセージは、世界ではなく個人、それも身内レベルを対象に設定されている。こういった構造的特徴は、たとえば90年代J-POPシーンを席巻した前向きな生き方を奨励するポジティブ・メッセージや、松本隆を開祖とし風景や情景を描写することで文学性を追求する流れや、主に青春パンクにみられる直情的メッセージソングなどには見られない。
そして数の話をすれば、ストーリー系歌詞は圧倒的に少数派である。たとえばボブ・ディランやビートルズの楽曲のうちストーリー系歌詞が結構な割合を占めることとは対照的に、日本の音楽シーンにおいてこの種の歌詞が主流を占めたことはない。それゆえに、数年に一度現れるこの系譜のヒット曲のインパクトは大きく、孤立したその立ち姿に対し、旋風が去った後にどうしても次作のヒットが生まれづらい状況が漂ってしまうのだ。ミュージシャンの能力の問題というよりも、日本の音楽シーンの構造がその原因といえるのかもしれない。