ミスチル、スピッツ級の逸材か? indigo la End・川谷絵音が担う「歌ものロック」の未来

「うた」にこだわるロックバンドの存在意義

 2012年の春にindigo la Endの「緑の少女」を初めて聴いた時、「歌やメロディが中心にあるバンドを久々に聴いたなあ」と感じた記憶がある。川谷のキーの高い声で歌詞を噛み締めるように歌われるサビは一度聴いたら忘れられないキャッチーさがあり、澄んだ音色のギターフレーズもそれ自体が印象的でありつつボーカルのメロディを邪魔しないように構成されている。ロックバンドでありながらも歌そのものをしっかり届けようという姿勢にとても好感を持った。

 日本のロックを受容する若い世代の重心が「ライブでノれる」「BPMが速い」という要素に傾いていく中で支持の獲得に少し苦戦した雰囲気もあったが、そういった市場環境も踏まえて今年ドロップされたメジャー1作目の『あの街レコード』はそんなフラストレーションを吹っ飛ばすかのような素晴らしい作品だった。美しいメロディはそのままに、昨今のギターバンドとしての必要条件でもある「疾走感」が絶妙に取り込まれた本作は10年代のギターロックにおける一つの金字塔だと感じている。

 インディゴの楽曲には「一体感を味わうため」でなく「じっくりと聴き入るため」の音楽的な工夫が各所に施されており、特に最新シングル「さよならベル」ではその路線をさらに推し進めているような印象がある。「共有」ではなく「拒絶」ないしは「断絶」を想起させるファルセット、最後のサビ前に登場するリバーブを活用した浮遊感のある音作り(「ハイファイな夢」という歌詞ともリンクしている)、「君」との埋められない距離を描いた繊細な歌詞。「みんなで一緒に熱狂すること」が第一義とされがちな時代に「リスナーをたった一人の世界に連れていくこと」を志向するインディゴのチャレンジは、「歌とメロディを誰に気兼ねすることなく深く味わう」というともすれば忘れ去られてしまいそうな音楽の楽しみ方を次世代に継承しようとしているようにも見える。

「エヴァーグリーンな日本のロック」の系譜

 90年代初頭から半ばにかけて一気に浸透したJ-POPというムーブメントの中心には、「ロックバンドのフォーマットをとりながら」「覚えやすく歌いやすいメロディ(=J-POPの誕生とともに「時代遅れのもの」として切り捨てられた歌謡曲のエッセンス)を鳴らす」というアンビバレントな魅力を持ったグループ、Mr.Childrenとスピッツがいた。彼らはいまだに現役として日本の音楽マーケットのど真ん中で活躍しており、その後に続く存在というのは現れていないのが実情である。彼らのブレイク以降雨後の筍のようにあらわれた「ミスチル風」「スピッツ風」のバンドはその大半が姿を消し、ゼロ年代に入ってミスチルと同じく小林武史の薫陶を受けたレミオロメンが大きなヒットを飛ばしたものの国民的バンドとなるには至らなかった。

 「シーン」「ブーム」といった後押しとは関係なく、いつの時代に聴いても良いと思えるような歌を提供する。この「言うは易く行うは難し」としか言いようのないことを、Mr.Childrenと桜井和寿、スピッツと草野マサムネは20年近く淡々と続けている。そして、バンドサウンドに乗せて流麗なメロディを届けようとしているindigo la Endと川谷絵音の取り組みは、「四つ打ちロックへのアンチテーゼ」というような短期トレンドの話ではなく日本のポップミュージック全体の大きな潮流の中で位置づけて考えるべきだろう。川谷絵音が桜井和寿や草野マサムネに匹敵するようなソングライターになれるのか、もちろんその答えは誰にもわからない。ただ、「インディゴの目標は東京ドーム」と語る川谷の目線の先には、自分が作る音楽が普遍的なものとして多くの人に受け入れられる状況をすでに見据えているのではないだろうか。何年先になるかわからないが、そんな未来が実現したら・・・「歌もののロック」が大好きないち音楽ファンとして、最高としか言いようがない。

■レジー
1981年生まれ。一般企業に勤める傍ら、2012年7月に音楽ブログ「レジーのブログ」を開設。アーティスト/作品単体の批評にとどまらない「日本におけるポップミュージックの受容構造」を俯瞰した考察が音楽ファンのみならず音楽ライター・ミュージシャンの間で話題に。2013年春にQUICK JAPANへパスピエ『フィーバー』のディスクレビューを寄稿、以降は外部媒体での発信も行っている。

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