Yuji Ohno & Lupintic Five『UP↑』インタビュー

巨匠・大野雄二が語る、日本のポップスの発展と成熟「ジャズの影響力は、実はものすごく大きい」

「音楽全体が劇的に変わったのは60年代から80年代の途中までじゃないかな」

いまなお多くのライブを行っている大野雄二。

——いろいろなジャンルへの興味は今も継続してお持ちですか?

大野:最近ちょっと不勉強ですね。昔のものを聴いちゃいます。ジャズがそうなんだけれど、20年、30年とやり尽くしたところがある。だから最近のジャズの雑誌を読むとわかるけど、新しい人は取り上げないで、亡くなった人をもう一度違う角度で研究する、というようなものが多いですね。

——音楽には無限に新しいパターンがあるという見方もある一方、各ジャンルでできることは有限であるという考え方もありますね。大野さんはどうお考えですか。

大野:ファッションと同じで繰り返すんじゃないでしょうか。何十年か経つと、あるジャンルの要素をうまく取り出して、それを核にしていながら、その間に変わっていったものやそのアーティストの個性を盛り込んだ音楽がまた流行する。それを聴くのは、そのジャンルの音楽を一生懸命聴いていた世代じゃなくなっているから、新しく聴こえる、という風に。だからある意味で、音楽全体が劇的に変わったのは60年代から80年代の途中までじゃないかな。

 例えばプレスリーは今考えればそれほどロックな人じゃなくて、ポピュラーソングの人です。でも形態としてロックのスタイルを取りました。あの人はどちらかというと黒人音楽派です。ナッシュビルとか、いわゆるカントリー・ウェスタンみたいなものからロカビリーとかヒルビリーが出てきて、白人でもリズム&ブルースが好き、というような流れからロックスターになりました。だからヒットした曲は、ロックというよりスタンダードナンバーという感じの曲です。完璧にロックなバンドとして出てきたのがやっぱりビートルズで、ここでひとつ変わりました。ロックといってもただうるさいだけじゃなくて、知的なこともできるバンドで、ローリング・ストーンズはその対として、ビートルズがいたからこそ際立った面があると思います。アメリカの黒人達は黒人達で、ソウル・ミュージックを生み出してスティービー・ワンダーが出てきてモータウンがあって、そうするとそれに対をなすように、例えばフィラデルフィアが出てきたりするわけです。で、やっぱりその中で大きく音楽を変えたのはEarth Wind & Fireですね。でもそのEarth Wind & Fireも、一時代を築いたけれど廃れちゃった。ただ、アメリカがすごいのは、そういう興亡がいろいろあっても、それぞれがそこそこ生き抜いてはいるんです。

——70年代から80年代にかけて数多くの作品を世に送った大野さんも、新しいものを作っていこうという気概を持っておられたのでは。

大野:そうですね。いち早くミキサーもできる作曲家になりたかったです。70年代の途中から、機械のこと、ある楽器にどうエフェクターを掛けるか、というようなことが分からないアレンジャーは置いていかれました。機材や録音の仕方が、最終的に音を作るときにすごく重要になってきたんです。昔は「技師」という感じでミキサーは聖域で、作曲家が何か言うと怒られたものでしたが、それが段々口出しできるようになっていきました。

 CMの世界でも作曲家の役割は変化していきました。終戦後に民放ができて、初めてCMというものができました。それもラジオからです。それまではNHKしかなかったからCMという考え方がなくて、広告といったら電柱や雑誌や映画館のニュースの合間にやるものだった。それがまずラジオCMからできました。ただ、そういう専門家は誰一人いなかったから、器用な人たちがやっていたわけです。その第一世代が「CMの父」三木鶏郎さんとかです。そこにいたいずみたくさんなどがだんだん分かれて自分で会社を作っていきました。いずみたくさんは第二期とか第一期の亜流という世代で、僕は第三期くらいになります。その頃になると多少CMのやり方はわかってきているけど、完璧なノウハウというのはない。CM専門の監督というのもいないから、映画監督でちょっと仕事がない人なんかがやる。だから、CM音楽を作るときの打ち合せというと「明るく楽しく」とかで終わっちゃうんです。自由だったのである種のやり甲斐はあったんだけれど、時が進むに連れて、だんだんサンプルを渡されるようになってきました。要するに広告主に「こういう風に作りますから」と言ってあるので、そういうものを作れ、要するに盗作しろ、ということです。広告主の要求とズレないようにサンプルを渡すようになっていったんですね。だから広告代理店の中で、制作よりも営業の方が強くなっていきました。それでだんだんつまらなくなって、少し離れていったんです。

——それは、大野さんが演奏活動を再開された時期と重なっていますか?

大野:だからそうした、というわけじゃないですが、重なっていますね。昔の仲間に「年に1回でもいいから一緒にやってくれ」という人がいて、ついやっちゃったんですよ。作曲家をしていた頃は、一度もお客さんの前では弾いたことはなくて、観客のいないところで音楽を作ってきました。それで、久しぶりにお客さんの前で演奏したら「楽しいな」と思っちゃった。

——20年弱くらいブランクがあったことになりますね。作曲家としての活躍を経て、再び観客を前にジャズミュージシャンとして活動するのは、以前とはまた少し違う感覚でしたか。

大野:作曲家をやってプロデュースもやって、いろいろと俯瞰してものを見るようになった上でプレイヤーに戻っているので、ジャズ・ピアニストとして初めてやった頃の感覚にはもう戻れません。若い頃は、「やりたいことをやってるんだから、お客さんは勝手に聴けば良い」なんて思っていましたが、いまはやっぱりお客さんが楽しめるようにと考えます。でも、だからといって媚びちゃダメなんです。これ以上易しいことをやってウケようと思うなら、ジャズなんてやってる意味がない。たとえば、ここに川があるとして、僕はこっちの岸にいます。お客さんは向こうの岸にいる。そこで、僕は川を渡ってお客さんの岸に行くことはしないんですが、そっちの岸のことはよく見ていて、「こっちに来たい人はおいでよ。こっちも楽しいよ」と手を振ることはします。それ以上はやらない。生意気なことを言うと、僕らの音楽を聴いて理屈抜きに楽しくて、ジャズを好きになったら、僕らを通り越してもっとマニアックなところに行ってくれればいいんです。自分の経験で言うと、それで難しいものを聴いたりしても、けっこうまた戻ってきます。聴き方の深さが違うと、こっちがどれくらい深いかもわかるものです。

「まともなジャズの影響力というのは、実はものすごく大きい」

——大野さんのお仕事は90年代後半くらいからクラブDJやミュージシャンからも評価され、例えば中納良恵さんのEGO-WEAPPIN'も広い意味で影響を受けていると思います。そうした新しい世代のジャズへの取り組み方をどう見ていますか?

大野:例えばルパンのサンプリングものでは、あまりにも気負いすぎて何やってるんだかわからないものもあるけれど(笑)、ちゃんとしたものはある意味でインパクトを出してくれるので、僕らがやっているだけよりも有効にお客さんに広めてもらえている部分があります。みんなやっぱり、どこかジャズの要素がないとかっこよくならない、ということを知っているんだよね。

——ジャズの要素が入ることでポップスはどう変わりますか。

大野:例えば3コードだけじゃなくて、難しいコードをうまいことちょっと入れるとか、そういうところですね。ちょっとわかっている人だと「俺の感覚ではこの音が入るとカッコいいんだけど、どう(弦を)押さえたらいいのかわからないな」という憧れがあるんじゃないかな。

——ジャズには、ポップスの枠をちょっと超える効果があると。

大野:まともなジャズの影響力というのは、実はものすごく大きいんです。その代わり、アーティスト個人が突然有名になる、ということにはなりにくい。インパクトがそこまで強くないんです。インパクトが強い人は一言で言うと、センスはなかろうとバカテクの人です。これはサーカスと一緒。いち早く「すげー」と思わせるのは何かとんでもないことをやる人なんだけど、僕から言わせると「それが音楽的に何の意味があるんだ?」というものでしかありません。そういうものはやっぱり聴いたらビックリするんだけど、長続きするかというとすぐに飽きます。僕がよく言うのは、「白いご飯や水や空気が一番強い」ということで、そういうものはインパクトは弱いけれど、なくなったら大変なことになる。

——Yuji Ohno & Lupintic Fiveのアレンジを手がける際は、どんなことを心がけていますか。

大野:Lupintic Fiveは6人ですから、だいたい音の想像はつきます。「こう書いたらこいつはどうプレイするかな」、ということもある程度わかります。その人をうまく使いこなすために、放し飼い的に書くか、あるいはかなり縛りを入れて書いたらどうなるか、ということは要素がいっぱいあって楽しいです。管が2管のバンドだったら、ユニゾンか2音のハーモニーしかないので、いろいろ考える場合は逆に難しいんです。人数が増えたら増えたで、ストリングスがいてブラスがいて、となると、これはこれで楽しみが別になっていきます。書いても想像しきれないところもあるので、それはそれで楽しみです。特にLupintic Fiveは、和泉聡志くんというギターが完璧に別の世界の人で、もともとロック畑だから、アレンジを書いていても想像がつかなくて楽しいです。他のひとはだいたいジャズの括りだから、だいたいどんなブレがあっても予想の範囲内なんだけれども、でも和泉くんはわからない。

——大野さんからしても予想外、と?

大野:あいつが面白いのは、ロックなんだけどやっていくうちに段々ロックがつまらなくなってきて、ジャズや難しい音楽に傾倒してきた奴だから、こっちにすごく興味があるわけ。かといって、あいつがジャズっぽくやったら「あんたがいる意味がないよ」と俺が怒るわけ。ジャズギターの上手い人は他にいるから、ジャズっぽくやるんだったらそいつを使えばいい(笑)。

——和泉さんの存在がこのバンドの大きな特徴になっているということですね。

大野:ものすごく特徴になっています。今回は『UP↑』というアルバムですが、和泉くんとトランペットの松島啓之くんが一番わかりやすくアップでしょうね(笑)。Lupintic Fiveの場合は、僕のピアノはどちらかというとあんまり目立たない感じです。

――大野さんはたくさんの作品を手がけていらっしゃいますが、その中でもルパン三世がライフワークになっています。やはりご自身にとっても特別な作品ですか?

大野:はい。モンキーさんが作ったあの人数といい、絶妙な関係性といい、よくこの登場人物を作ったな、という感じがします。ルパンは生い立ちとか行動がよくわからない存在だから、何をやってもOKで「世界を股にかける」ということも簡単にできてしまう。だから、僕が世界を股にかけて聴いて蓄積してきた音楽のノウハウが存分に使えるわけです。基本はジャズなんだけど、ボサからソウル・ミュージックから、イスラエルやアフリカ音楽やスペインポップまで聴いてきたことが全部活かせるんです。例えばルパンの劇伴とかが一番そうですけど、他ではそうはいきません。その感覚で日本の普通のドラマの劇伴を書いても合わないんです。フォークソングの四畳半的なものが入ってこないと日本のドラマでは合いません。だから意識してそういう要素を入れて書いてるんだけど、ルパンの場合は四畳半フォークソングを入れる必要があんまりないんです。唯一あったのは、あまりにも五ェ門がずっと平泉にいる話だったから(笑)。そのときには生ギターを多く使いましたけど、普通はどちらかというとエレキギターの方が合うようなところがあります。だからやりやすいんだよね。あとは、ルパンの性格が、何十年もやっていたら自分に似てきた、というのはあるかもしれない(笑)。俺があっちに似たのかもしれないけどね。音楽でも文章でも、面白い、オシャレ、間抜け、みたいなところが上手いことミックスしていないと嫌なんです。だからアルバムでも、全てオシャレにまとめるのもたまにはいいんですけど、そのまま突っ走るみたいなのは好きじゃない。

——そういう意味でも(ルパン役の)山田さんも含めてすごく相性が良いんですね。

大野:山田さんとは本当に気が合いましたね。だからきっと、あの人もルパンが乗り移っちゃったんだよ(笑)。

(取材=神谷弘一/構成=松田広宣)

■リリース情報
『UP↑with Yuji Ohno & Lupintic Five』
発売:12月10日(水)発売
定価:¥3,000+税

<収録曲>
1.ATMIDO feat. 土井敏之
2.UP with ATM #1
3.COMIN' HOME BABY
4.MANHATTAN JOKE feat. TIGER
5.UP with ATM #2
6.BEI MIR BIST DU SCHON
7.FAIRY NIGHT
8.UP with ATM #3
9.ZENIGATA MARCH
10.LOVE SQUALL
11.UP with ATM #4
12.SEXY ADVENTURE feat. 中納良恵 (from EGO-WRAPPIN')
13. UP with ATM #5
14.DESTINY LOVE feat.TIGER
15.UP with ATM #6
16.THEME FROM LUPIN THE THIRD ’89 (Lupintic Five Version)
17.SAMBA TEMPERADO

■ライブ情報
11月29日(土) 小金井市民交流センター

リリースツアー『Lupintic Jazz Live TOUR 2014』
12月25日(木) Motion Blue YOKOHAMA
12月29日(月) Billboard Live OSAKA
12月30日(火) NAGOYA Blue Note
and more

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