一青窈が自身のルーツの向こうに見出した“歌“とは?「1回全部受け入れて、できることだけ書こうと」

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 自分自身についてのあらゆることをあけすけに語っている。その向こうに、多くの人間たちの感情の大きなうねりがある。そんな印象を覚える作品だ。

 一青 窈の2年4ヶ月ぶりとなるフルアルバム『私重奏』(しじゅうそう)は、このアーティストのバックグラウンドから現在形までを集約したかのような仕上がりである。心の師と言える武部聡志は彼女の王道の世界に彩りを添え、かたや岸谷香、さかいゆう、盧廣仲(クラウド・ルー)といった初顔合わせのクリエイターたちは、そこにフレッシュな感覚を注入。バラエティな中に、楽しさと深みが共存する12曲となった。

 そして楽曲のモチーフとして最も鮮烈なのは、日本と台湾の国境をまたいだ自身のルーツに触れているところだ。台湾人の父と日本人の母の間に生まれ、しかもそのふたりともを早くに亡くした一青は、今までにもこの命題をいくつかの形で表現してきた。ただ、それを楽しい思い出だとか悲しい回想といったものではなく、もっと踏み込んだ次元で唄おうとしているのは、やはりアーティストとして進化を続けてきたゆえのことだろう。その隙間に、彼女の出自や育ちの特異性も垣間見える。しかもこの夏ヒットしたカバー曲「他人の関係」も含む本作は、とくに(広義の)ラブソングに一青の人間性がすり込まれていると感じる次第である。

「台湾人の父と日本人の母が出会って、私が生まれて、その私が何で歌を唄ってるのか?」

――これはコンテンポラリーな感覚がありつつ、一青さんの人生が反映されているポップ・アルバムだと思いました。

一青窈:あ、ほんとですか? ポップと言ってくれると、すごくうれしいですね。このアルバムは曲ごとにアレンジャーが立ってくださったことで、バラエティに富んだというか。だから自分で聴いてても飽きないですね。

――そう、それぞれの曲のキャラも立っていると思います。で、まずはタイトルから訊きたいんですけど。これはどういう着想から生まれたんですか?

一青窈:タイトルは、このアルバム『私重奏』の「私」を「偲」と書いた『偲重奏』(しじゅうそう)という本を作っていたんですよ。4年前から書いてて、ほぼ出来上がってるんですけど、そっちは私の父の、台湾の顔(がん)家のほうのお話を主軸に書いてるんです。そもそも父と母が出会ったきっかけや理由を今生きてる私も、誰も知らなかったので、それを紐解きたくて、親友や親戚たち、アメリカや台湾に住んでる人含めて、リサーチに行ったんです。お墓参りに行くことも含めて。

――この数年、そういうことをやってましたね。

一青窈:うん。それがやっと形になったんです。そこで、何で台湾人の父と日本人の母が出会って、私が生まれて、その私が歌を唄ってるのか?と。で、その歌の部分はこのアルバムで表現するけど、本では台湾と日本の関係をきちんと描きたかったんです。父は戦前戦後生きてるから、日本人として教育されて、ほとんど日本人のように生活していたけれども……それが戦争で負けて、今まで「お前は日本人だ」って教育されてきたのに、ある日突然「やっぱり負けたから君は台湾人だね、バイバイ」となり、学習院とかで培った友達との関係がバラバラになってしまったわけです。そんな家族4人の、母、父、姉、私の4人の物語だから四重奏……ということから、本は『偲重奏』としようと。で、こっちのアルバムのほうは今の私の声を重ねるから『私重奏』ということにしようと決めてたんです。

――じゃあ、その本のタイトルがまず先にあって。

一青窈:そうです。本は、台湾に対してもうちょっと興味を持ってもらえたらいいな、というのも含めて書いてますね。みんな、小龍包好き、マッサージ好きって言ってくれるけど、台湾が歴史的にどう翻弄されてきたか、実はそんなに知らないじゃないですか。日本が統治して、中国が統治して、だけどもすごく日本びいきで、ぐらいしか。そういうところまでも触れています。

――このジャケットは、台湾での撮影なんですよね?

一青窈:そうですね。姉とひさしぶりにケンカをして、仲直りもしたんですけど(笑)。その仲直りができたのが台南だったんですよ。それでこのジャケットは台南で撮ったんですよね。

――その場所が、たまたま台南だったんですか?

一青窈:たまたま台南に行ったら、たまたまお姉ちゃんも台南にいたんです。ひとり旅してて「今初めての台南だよ」って連絡したら「私もいるけど」みたいな。それで偶然出会って、スクーターで街を練り歩く、みたいなことをして。それで台南が、台湾という言葉が生まれた発祥の地であったり、京都みたいに歴史建造物が一番古いとか、すごく私が好きなテイストの街だったので、もう1回行きたいなと思ってたら、たまたま台湾で仕事があったので、その時に撮影したんです。

――そうですか。それはお姉さんと仲直りした土地でもあったんですね。

一青窈:そうですね……なんかね、私、人との距離感がちょっとおかしいんですよ。そういうのって、やっぱり境遇から来てたんだと思ったんです。

――(笑)境遇から? 人との距離感がおかしいと思いますか?

一青窈:(笑)思います。つい何ヵ月か前までは思ってなかったんですけど、その本を作ってるうちに、自分の家族ではスタンダードだったルールが、ほかの家族ではまったくそうではないことに気付いて。

――たとえば、どんなことですか?

一青窈:子供の頃の写真が、ほんとに時間刻みであるんです。

――えっ! そんなにたくさんあるの?

一青窈:それはもうビデオ回すのと同じぐらいの量で、入園式、運動会、箱根行く、熱海行く……みたいに、全部あるんです。だからマネージャーに「資料用に窈さんの子供の頃の写真ください」と言われると、毎回イラついてたんですよ。「いやいやいや! 何百冊あると思ってんの?」みたいな(笑)。デビューしてから毎回思ってたんだけど、「これは私の家だけなんだ」っていうことに、やっとこの前気づいたんです(笑)。

――(笑)それは普通じゃないですね。

一青窈:あとは、お姉ちゃんとほとんど連絡取り合わない。会いもしないし、ご飯も行かないけど、手紙でだけはやり取りするとか。付箋とか、ちょっとしたお土産ぐらいですね。

――メールじゃないんですか?

一青窈:メールじゃないですね。やっぱり文字ってどうとでも取れるから、誤解を生むんですよね。対面で会ってるよりも。そういうことによる歪みでケンカしたんです(笑)。向こうも、お姉ちゃんのことを書いたりしても、何にもコメントしてくれないし。

――(笑)手紙も残してくれないんですか?

一青窈:ないです! 「大根餅を作りすぎて余ったけど、要る?」ぐらい。この前ライブに来てくれたけど、何にもコメントないですね。

――そうですか。たしかにそれはちょっと変わってるかもしれないですね。

一青窈:そう。で、最近そういうことがわかったおかげで、私は今まですごくまっとうに……まあ社会不適合者だけど(笑)、まっとうに生きてるなと思ってたんですけど、実はすごいヘンな人なんだ、っていうのをしみじみ理解したんです。

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