柴那典×さやわか 『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』刊行記念対談(前編)

初音ミクはいかにして真の文化となったか? 柴那典+さやわかが徹底討論

「現実が、CDを売るか否かという問題を追い越していってしまった」(さやわか)

さやわか:音楽業界にいる者にとってボカロシーンはいわゆる音楽シーンとは切り離されたところで盛り上がっているもので、自分たちとは関係のないものとして扱ってきてしまいました。

柴:ボーマス(THE VOC@LOiD M@STER)のような同人即売会に行けば、ネットで無料で聴ける曲もCDで沢山売れているんですよね。そこで買っている人はお店で買うCDとは違う意味を見出しています。2000年代末ぐらいに、そういうところも含めてビジネスとして新しい形が生まれて、ようやく音楽業界が乗り出してきました。僕もそこで気づいた人間です。

さやわか:自分の反省でもありますけれど、そこに気づくまでは「若い人は音楽を聴かなくなったね」なんて言っていました。僕もあるとき、ニコ動でやっていることは音楽がないと成り立たないコミュニケーション行為であることに気づきました。MADもそうだし、「踊ってみた」「歌ってみた」もそうですけど、むしろ彼らにとって音楽が表現行為の中心にきていて、カルチャーの中心にこんなに音楽があることは珍しいくらいなのに、今まで知っていたような音楽シーンとは違うから「音楽が聴かれなくなった」と言っていたわけです。

柴:皮肉な話ですけれど、以前にあるバンドマンの大学生が塾教師のバイトでカゲプロファンの小学生の女の子と出会って会話したという話を読んだことがあって。小学生の女の子は「何でCDなんて買わなきゃいけないの? スマホでYouTubeで聴けばいいじゃん」と言っていて。大学生の子は音楽ファンだから「CDを買わなきゃダメじゃない? CDは歌詞カードもジャケットもあるし、音もいいだろ。」と言うんですけれど、小学生の子は「私は音楽を聴きたいの。音がよくても悪くても私には関係ないし、音楽だけ聴ければいいの。」と返す。そういうことですよね。「私は音楽だけ聴ければいいの」って、なんだか村上春樹の小説に出てくるセリフみたいな響きですけど(笑)。

さやわか:たとえば津田大介さんの『だれが「音楽」を殺すのか?』は広い視野で音楽について考えて、音楽を救おうとしているでした。僕もとても共感したんですが、でも今振り返ってみるとやはり、いかにCDを売るかというパラダイムの中で書かれているものだったんですよね。現実が、CDを売るか否かという問題を追い越していってしまったというか。

柴:音楽ビジネスのあり方はいまだ更新され続けていて、そこはそこで、この本のもうひとつのラインになっています。例えばカラオケとJASRACと著作権の話についてもそう。初めの頃、カラオケでどんなにボカロ曲が歌われていてもボカロPには一銭も入りませんでした。当時ニコ動やDTMの愛好者からJASRACが嫌われていることもあり、ネットでの自由な利用が制限されるのではないかという懸念もあって、楽曲がJASRACに信託されていなかったんですね。しかしJASRAC、クリプトン、ドワンゴ、ボカロPで話し合いが持たれ、「支分権」というすでにあった著作権の考え方を使うことによって特定の権利だけを信託する方式が生まれた。これによって、ボカロPはネットでの自由な楽曲の使用を許諾しながらカラオケによる収入が得ることが可能になった。それはたぶんボカロがなかったら生まれなかったスキームだと思います。

さやわか:JASRACが管理している権利は実はその中でいろいろと分かれている、という話ですよね?

柴:そうなんです。すべてまとめた契約が一般的ですけれど、実は利用形態に応じて分けることができる、ということです。また、JASRACだけでなくイーライセンスやジャパン・ライツ・クリアランスという著作権管理事業者もあり、新しい仕組みが次々と生まれている。アマチュアのネット上での創作からビジネスが生まれたという意味で、これは偉大な出来事だと思います。でも、過去を振り返ってもムーブメントはいつもアマチュアから始まっているんですよね。60年代にもそうでした。フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」は京都の学生が遊びで作ったレコードで、67年にスタートしたオールナイトニッポンでヘビロテされたことで流行り、インディーズの先駆けになりました。多くのムーブメントはアマチュアから発祥して、それが商業化に向かう流れをたどっています。そしてムーブメントの終わりはいつも商業化です。2つのサマー・オブ・ラブもそうでしたけれど、ムーブメントはだいたい5、6年で終わる。メディアとビジネスマンが「これは若者の新しいカルチャーだ、しめしめ」と商業化に乗り出すと、最初からいる人は「ふざけんな」と熱が冷めていく。そういうことが繰り返されてきました。初音ミクに関しても、それが起こる、あるいは起こっていると捉えていました。僕が頑張ったのはインタビューでクリプトンの伊藤社長にそれを言ったこと(笑)。

さやわか:言ったんだ(笑)。

柴:言うべきかけっこう悩みましたが、「ブームは去ってもカルチャーは死なない」ということを考えたんです。60年代の「サマー・オブ・ラブ」のムーブメントが終わった後にロックミュージックが死んだかといえば、そんなことは全くない。むしろ70年代に黄金時代を迎え、その後もずっと続いています。80年代の「セカンド・サマー・オブ・ラブ」も同じように、90年代以降テクノやEDMなどクラブミュージックの文化が定着しています。そういう風に「これからはカルチャーの内実が豊かになっていく」というポジティブな見立てを持って、伊藤社長と「ブームはもう終わりましたよね?」という話をしようと思ったんです。そうしたら伊藤社長はもっと壮大なスケールで返してきました。「初音ミクは情報革命である」と言ったんです。

さやわか:話がデカいなぁ!

柴:アルビン・トフラーの『第三の波』で書かれている考え方で、人類の歴史には農業革命・産業革命・情報革命という三つのインパクトがあったという話なんですよね。しかも伊藤社長曰く「情報革命なんてまだ起こっていない。これから数十年掛けて起こっていくんだ。その最初の灯火が初音ミクなんだ」ということを言うんです。僕は60年代や80年代と比較して話を出したら、伊藤社長は1万5千年前、200年前という壮大なタイムスケールとの比較で返された(笑)。この本のハイライトはそこです。伊藤社長がそういうビジョナリストだから、ミクのカルチャーが続いていくものとして位置づけられることができた、ということは言えるかもしれません。特に黎明期、キャラクターとして注目されたときには、アニメ化の話などが舞い込んだけれどすべて断ったそうです。ブームではなくて文化にしたいという感じなんでしょうね。

関連記事