カッコ悪いけれど、カッコいいーー映画『馬の骨』が描く、『イカ天』魂にあふれた渾身の生き様
脚本、監督、桐生コウジ。その名前には強烈な見覚えがあった。かつて『ディアーディアー』(15)という作品でプロデューサーを務め、さらには「幻のシカに運命を翻弄される三兄妹の長男役」としても奇妙すぎるほどの存在感を放っていた男である。
実際のところ、この”知る人ぞ知る”名作『ディアーディアー』に魅了された人はかなり多かったようだ。筆者はこれまで何十人もの人とこの映画について話をしてきたが、誰もが「こんな作品と出会えるからこそ、映画って面白い」と言わんばかりに、邦画界に蜃気楼のごとく浮かび上がった本作への思いを嬉々として語っていた(未見の方は是非観てみてほしい)。
そして2年半が過ぎ、我々は今一度この男の名と出会うことになる。桐生コウジ、待望の新作である。今度はシカではなく、ウマ。またも名作の予感がする。これを見逃すなんてことができるものか。
「イカ天」出演の実体験をベースに、魅力的な物語を紡ぎあげる
かくも彼のことから語り始めたのは、本作『馬の骨』が桐生自身の実体験に着想を得た、魂の叫びのごとき快作だからだ。そもそも不可思議なタイトルは、とあるバンド名に由来する。かつて時代が昭和から平成へと突き抜けた1989年、TVでは伝説的な深夜番組『イカ天』が放送開始された。その中では桐生がヴォーカルをつとめるバンドも出演。老婆を伴ったエキセントリックな演出がウケて、審査員特別賞を獲得したというのだ。そのバンド名こそ「馬の骨」。ここまでは一切フィクションなしの、紛れもない事実である。
しかし本作は、当時の若者たちがバンドで頂点を目指そうとする話ではない。リアルな設定に“フィクション”という魔法を振りかけ、「あれから30年後の世界」を生きる元「馬の骨」ヴォーカルの姿を濃厚なまでに紡いでいくのだ。
工事現場の仕事をクビとなり、住むところにも困った主人公、熊田(桐生コウジ)。彼は不動産屋で紹介された超絶的な安さのシェアハウスに魅せられ、契約書の職業欄につい「音楽関係」という嘘を書き込んでしまう。人里離れたその一軒家には、面倒見のいい大家さん(しのへけい子)と、キノコ採りが趣味の宝部さん(ベンガル)、アイドルとして活動しながらも本当はシンガーソングライター志望のユカ(小島藤子)、彼女を支える就活前の大学生の垣内くん(深澤大河)など、それぞれに事情を抱えた者たちが同居している。そこで期せずして熊田の「仕事は音楽関係」という嘘が一人歩きし、ユカは藁にもすがる思いで「ぜひ私にアドバイスして欲しい!」と頼み込むのだがーー。
もちろん嘘はすぐにバレる。だが、本作が本領を発揮し始めるのはそこからだ。熊田は自分のことをすっかりと「終わった人間」と考えているが、この「今にも裏山の崩れそうなシェアハウス」という特殊な空間は、あたかも彼が内面に抱え込んだ時限装置のように、いつしか30年分の鬱屈と後悔を根底から揺るがし、徐々に突き崩すきっかけとなっていくのである。
また、そこで出会う若きヒロイン、ユカとの友情も本作の要だ。彼女は『イカ天』放送時にはまだ生まれてもいなかった世代だが、この親子ほどに歳の離れた2人は奇妙な具合に呼応し、お互いの生き様に自分に近いものを見る。ユカは中年オヤジの熊田の悲哀を見つめながら「ああ、この人は私と同じなんだ」と気づき、また熊田は熊田で、情熱を抱きながらもつい自己に負けてしまいがちなユカの心情がよく理解できる。かつて自分もそうだったから。そうやって逃げ出した経験を今なお引きずって生きているから。
かと言って、彼らは共感し合うだけでなく、逆に客観的な視点で相手に「自分にはない輝き」を見出し合うことだってできる。若さ。ガムシャラさ。根拠のない自信。底から突き上げてくるような表現への衝動。情けなさや悲哀の中からこういった宝石のかけらのような魅力がこぼれ出すのも本作のたまらない魅力だ。そんなささやかな師弟関係が醸成される中で、2人には次第に「失うものはない」と猪突猛進する度胸が芽生えていく。ヒロインにも。中年オヤジにも。