宮藤官九郎のあまりにも秀逸な絶望の表情ーー『カルテット』が描く“当たり前の日常”の難しさ

『カルテット』第6話を振り返って

 『カルテット』第2章は、また面白い具合に幕を開けた。森の中で10万円の価値のある「青いふぐりを持つサル」を探す家森(高橋一生)と有朱(吉岡里帆)は、思わず「青い鳥」を探すチルチルミチルを連想してしまう。

 とはいえ、私たちは、家森と行動を共にしていたはずの有朱が彼の隣に並ぶ姿を見ることはない。家森は、サル捕獲用の籠を持ったまま有朱を探すことになる。そして有朱はカルテットの4人が住む別荘に鍵を使って忍び込み、なぜか10万円のサルではなく真紀(松たか子)のヴァイオリンという違う意味で価値のあるものを手に入れようとすることになるのだが、その理由は、7話以降を待つしかない。

 彼らの求める幸せの青い鳥はどこにいるのか。松たか子と宮藤官九郎が演じる巻夫婦もまた、家の中にいたはずの青い鳥を探したまま迷子になってしまった夫婦なのかもしれない。

 夫婦のすれ違いはこれまでのどの回よりも一線を画したリアリティで私たちに迫ってくる。かきピー、おでん、まっぷる、食洗機の洗剤。彼らの夫婦生活に登場するものたちは、これまでのフライドポテトタワー、七輪の炙りチャーシュー丼、暖炉といったこちらの気持ちまでときめいてくるお洒落なものたちとは対極の、あまりにも目になじんだ光景だ。そして、そこに佇む、ものすごく普通のことばかり話す松たか子。

 「こんな松たか子、見たくはなかった!」と叫びたくなった人は私だけではないだろう。「ヨシダさんとイシカワさんが……」、「8個入りと12個入りがあってどっちがいいと思う? 400円違うんだよね~」と言う松たか子の姿は、夫を殺したのではないかと言われるほどミステリアスな雰囲気を纏っていたこれまでの姿を裏切り、衝撃的だった。「ちょっと遠いけど、新しくカフェができたから一緒に行かない?」と誘う夫に対し、「コーヒーあるよ、入れようか?」と3個パックのコーヒーを見やる真紀は、皮肉にも第2話で菊池亜希子が別府(松田龍平)にとっての真紀と自分のことを「遠い場所にあるかわいいカフェ」と「近くにあるチェーン」に例えた場面と重なる。

 10月を示していた卓上カレンダーが4月に替わっても、夫が真紀にプレゼントした詩集にしおり代わりに挟まれたらくがきの紙は、9ページのままで止まったままだ。挙句の果てはその詩集はパエリアの鍋敷き代わりに使われてしまう。

 また、映画ファンなら誰しも分かるのではないだろうか。あの映画を観ている真紀は、ちょっと許せない。なんだかありがちだからこそ余計に許せない。

 真紀の夫は、かなりの映画ファンだ。イメージフォーラムから大森靖子が出てきて映画談義に花を咲かせるのも、妻がいない日にソファーに寝そべってビールを飲みながら大量のDVDを観て至福の表情を浮かべるのも、ミニシアター通いが趣味の映画好きにはたまらないシチュエーション。「クドカンは自分だ」と思わずにはいられない映画ファンは少なからずいただろう。映画を観ることが至上の喜びのような彼と、「この人悪い人?」、「これハッピーエンドかなあ?」と聞き続ける真紀の間には、どうにも埋められない距離があるのではないかと、一映画ファンとしての個人的な感情としては思わずにいられない。

 最初は幸せの象徴だったはずの二人で見ていた凧が落ちていくのを、一人で見つめる宮藤官九郎の絶望の表情があまりにも秀逸で、際立っていた。だから、彼のことを、突然失踪した挙句コンビニ強盗をして、金がなくなったために戻ってきたどうしようもない男として切り捨てることができないのである。

 だが、真紀の何が悪かったのだろうか。常に花瓶に花が活けられた美しい部屋と、夫が脱いだ靴の方向をそっと正す妻。彼女は彼女のままに、夫を支える完璧な妻だっただけだ。結婚生活にミステリアスを求められたところで無理だろう。快適な部屋を維持するためには、ゴミ捨てを放棄することはできないし、洗濯したら取り込んで畳んでという当たり前の日常を繰り返すしかないのだ。そして、何十年も続く夫婦生活において、彼の価値観に合うように自分自身を変えることなんてできないのだから。なにも言わずに勝手に幻滅して勝手に絶望して、勝手に失踪する夫のために、彼女が何をできたと言うのだろう。

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