『ドラゴン×マッハ!』を大傑作と呼ぶべき理由 人間ドラマとしての側面から読み解く

人間ドラマとしての『ドラゴン×マッハ!』

 『ドラゴン×マッハ!』は傑作だ。まずここから話を始めたい。第二のジェット・リーと言われる香港の功夫スター、ウー・ジン。ムエタイ・アクションで今や世界的なスターのトニー・ジャー。そして”次に来る男”として注目される男、マックス・チャン。この三人が織りなす美しく激しいバトルは、まさに筆舌に尽くしがたく、この記事内でその凄まじさを表現することは不可能だろう。しかし、本作を傑作にしている要素はそんな言葉にできないド迫力のアクションだけではない。この記事では『ドラゴン×マッハ!』の人間ドラマとしての側面、そして同作に込められた極めて明快なメッセージに注目したい。

 この映画には一つの特徴がある。それは何かしらの問題を抱えた人間ばかりが出てくることだ。善玉も悪玉も、ときに脇役たちですら、何かしらの問題を抱えている。主人公のウー・ジンは臓器密売組織への潜入捜査の一環として、麻薬に手を出し、ジャンキーになってしまっている。トニー・ジャーは刑務所の職員という立場にありながら、白血病を患う娘の治療費のために悪事に関わってしまう。さらに『ポリス』という英語も知らないし、携帯電話の使い方も幼い娘に教わるほどで、決して賢いタイプの人間ではない。

 一方、悪玉はどうだろう? すべての元凶である臓器密売組織のボスは心臓に重い障害を抱えているし、ボスの忠犬であるマックス・チャンも、過去に大病か何かで、命に関わる危機を経験していることが語られる。いわゆる中ボスのナイフ使いは、補聴器をつけていることから、聴覚に何らかの問題があることが分かる。脇役では障害を抱えた漁師がキーマンとして登場するし、名もなき登場人物の義足を見せるシーンもある。先天的なものであったり、周りの環境が原因のものであったり、あるいは自分のせいであったり……その原因は様々だが、多くのキャラが身体的あるいは社会的な問題を抱えている。

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 その点に注目してみると、本作にはあるメッセージが込められていることが分かる。人は誰しも何らかの問題を抱え、苦しみ、生き辛い中で生きている。しかし、だからと言ってそれを理由に他者を傷つけていいわけではない……ということだ。麻薬中毒に苦しむ捜査官と、白血病の娘を持つ刑務官。自身の心臓の障害を、弟の心臓を奪うことで克服しようとする臓器密売組織のボス。両者の間を分かつのは、自分のために誰かを傷つけ、時に殺すことすら是とするかどうかだ。本作の善悪はその「一線」で持ってしっかりと定義されている。これは単純で分かり易いが、同時にとても厳しい一線だ。仮に自分がそうなったとき、一線を超えずに踏みとどまれるだろうか? イエスと答えるのは難しいのではないか。

 作中では一線を超えた者への厳しさが描かれる。片足を踏み込んだトニー・ジャーは、その報いとして壮絶な暴力の渦に飲み込まれてゆくし、拷問を受ける者も出てくる。しかし、一方で踏み止まった者への暖かい救いも用意されている。言ってしまえば、これは極めて道徳的で単純な寓話なのだ。悪をなした者には報いが、善をなした者には希望が訪れる。ただし、善をなす戦いもまた厳しく辛い。自分はもちろん、大切な人の命を危険に晒すこともある。人間離れした強さの獄長マックス・チャンにボコボコにされることもある。しかし、それでも正義のために戦った先には希望がある。当然これは映画であって、現実ではそう上手くはいかない。正直者がバカを見るという言葉もある。本作で描かれる寓話を絵空事・綺麗事だと切り捨てるのは簡単だ。しかし、理想や綺麗事を全て捨ててしまったら……どうなるだろうか?

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