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『ショコラ 君がいて、僕がいる』ジェームズ・ティエレ インタビュー

チャップリンの孫が語る、“笑い”の難しさ 「ユーモアは国籍や年齢、時代によって変化する」

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 オマール・シー主演作『ショコラ ~君がいて、僕がいる~』が、1月21日より公開される。本作は、リュミエール兄弟の映画に出演したフランス史上初の黒人芸人と、その相方の半生を映画化したヒューマンドラマ。19世紀に実在した黒人芸人のショコラを『最強のふたり』のオマール・シーが務め、相方のフティットをチャーリー・チャップリンの孫であるジェームス・ティエレが演じている。リアルサウンド映画部では、サーカスでパフォーマーとしても活躍するジェームス・ティエレにインタビュー。オマール・シーとの共演エピソードや“笑い”に対する考えを語ってもらった。

「オマールは、本能で演じているような役者だった」

20161119_054_DSC6665-th-th.jpgジェーズム・ティエレ

ーーあなたは普段、フティットと同じくパフォーマーとしても活動しています。自身のルーツである道化師役を演じてみていかがでしたか?

ジェームス・ティエレ(以下、ティエレ):今回フティット役を通して、自分の原点を見直すことができたよ。当時の道化師の日常やサーカスの状況を身を持って体験できたことは、パフォーマーとしてのキャリアにおいてもプラスになった。それだけでなく、共演のオマール・シーとの出会いは、俳優としての自分を見直す良いきっかけにもなったんだ。すごく意味のある仕事になったと感じているよ。

ーーオマール・シーとあなたの息のあった演技には引き込まれました。

ティエレ:僕と彼は、フティットとショコラと同じように、お互いを補い合うような関係だったと思う。彼は与えられた役を本能で演じるような役者だった。論理的に考えるのではなく、反射的に役を演じていたんだ。どちらかというと僕は、目の前の仕事をどうやって完璧にこなしていくのかを考えるタイプなので、そこにはギャップを感じたよ。もしかすると彼も同じかもしれないが、それを周囲の人間に悟らせないんだ。いつも穏やかで、飄々と芝居をしているように見えてしまう。だからこそ、彼の演じる役の感情は観客にダイレクトに届くし、そこに強いシンパシーを感じることができる。観客とのコミュニケーション能力が高いからこそ、彼は役者としても、ひとりの人間としても、みんなから愛されているのだろう。どんな状況でもリラックスした状態であることは、彼から学ばなければいけないと思ったよ。

ーーどのようにフティットの役を作っていったのですか?

ティエレ:これはコンビの物語。だからフティットに集中するのではなく、ふたりの資料をリサーチすることから始めたんだ。自分の知らない歴史を垣間見ることで、その時代の訪問者になるような感覚、まるで『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の主人公になった気持ちだったよ(笑)。当時は、今だったら非難されるような演目を取り入れることができたし、それに観客も大いに湧く時代だった。芸人にとっては、とても自由で、熱い時代だったんだ。家族のルーツを辿っていくような作業だったから、この後に僕の祖父が築いた時代があって、それが両親に繋がっていくと考えると、とても感慨深いものがあったよ。

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ーー祖父のチャールズ・チャップリンから影響を受けることはありましたか?

ティエレ:まず、僕は自分のキャリアや人生は己の力で築いていくものだと考えている。そういう意味では、祖父から影響を受けたことは非常に少ない。芸能の伝統の中でとても大きな存在だとは感じているけど、そこに対して改めて関心を持つことはないんだ。どちらかといえば、両親が始めたサーカスで生まれ育ったから、彼らの影響を強く受けていると言えるけどね。

ーーチャップリンは、とても大きな存在だと思っていたので意外です。

ティエレ:先人たちが作り上げてきたものを、常に新しいものに更新していくことが僕の仕事だと考えている。先人たちは試行錯誤の末に様々な芸を生み出してきたと思うが、人を必ず笑わせることができるレシピなんてものも今も無いと思っている。笑いのユーモアは時代によって変化していくものであって、今日成功した演目が明日どうなるかはわからない。劇中には、リュミエール兄弟が撮影したふたりのコントが出てくるけど、尻を蹴り飛ばすだけで笑いが起きていた当時と違い、今あの映像を見て笑う人はほとんどいないはずだ。

ーーフティットとショコラの芸風は、粗暴な雰囲気を持つ黒人のショコラを、フティットがバカにすることで、笑いに変えるというものでした。人種や身体的特徴を笑いにすることについては、どのように考えていますか?

ティエレ:様々なタイプの笑いが存在するが、道化の笑いには常に力関係があるものだ。僕は、そこに対して嫌悪感を抱くことはなかったよ。それが差別的に映ることもあるだろうけれど、コンビ間の暴力や残酷な表現で人が笑うことは、笑いのメカニズムの根源にあるものだとは思っている。なぜ笑うのかはわからないけど、実際にそうである以上、簡単に否定することもできないんだ。もしふたりの関係が平等であったなら、面白さはひとつも生まれてこないはずだからね。そういう意味では、ショコラとフティットのコントラストを表現することは重要なことだった。常に苦しみを抱えて生きている人と、人生を謳歌している人、まるでコインのような表裏が表現されているんだ。

ーーフティットは常に生きる苦しみと共にあるような人物でしたね。彼は、なにを楽しみに生きていたと思いますか?

ティエレ:そもそも“働いて楽しい”という概念は、近年に生まれたものだと思っている。あの時代に生きている人々は、どんな仕事でも死なないために働いていて、喜びと仕事が繋がってはいなかった。アートの中に喜びを表現するようになってきたのも、ある程度ゆとりのある時代になってからの話なんだ。極端な言い方かもしれないが、ゆとりという言葉がそぐわない時代に、喜びや楽しみは彼らの日常にほとんど存在しなかったのでは。

ーーなるほど。

ティエレ:付け加えるなら、フティットの立場はショコラを牛耳ることにあったから、余計にしかめっ面が多かったのかもしれない。ただ、舞台の上でだけ、彼は瞬間的な喜びを感じていたと思う。その喜びを顔に出すこともなければ、お客さんと共有することもなかったようだが。

ーーあなたは舞台の上と、降りた後ではどんな変化が?

ティエレ:フティットほどではないが、僕も舞台を降りたら変わってしまうよ。僕も舞台上では過激な表現に走ってしまうが、舞台を降りたら普通の人と同じかな。フティットは道化師のメイクをしているから、余計にその差を感じてしまうけどね。

      

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