松江哲明の『この世界の片隅に』評:いま生きている現実と地続きで戦争をイメージできる傑作

松江哲明の『この世界の片隅に』評

この声以外はありえないというほど、のんがハマっている

 『この世界の片隅に』は、主人公・すずさんの子ども時代から物語がスタートします。その声が女優・のんさんのキャラクターそのまんまで、とても存在感がありました。すずさんが成長して大人になったらどんな声になるのかなって見ていたら、それほど大きな変化はなくて、やはりのんさんのままで。でも、それが逆にすごく良くて、この作品の声優はのんさん以外にありえないってくらいハマっている。そこにまず、のんさんの女優としての素晴らしさを感じました。

 たとえば、先日公開されたアニメ映画『聲の形』には、松岡茉優さんが声優として出演していたのですが、僕が撮ったドラマ『その「おこだわり」、私にもくれよ!!』では主演を務めてもらったにも関わらず、最後まで彼女がどのキャラクターの声優だったかわからなかったんです(笑)。後から、主人公の男の子の少年時代を演じていたことを知って、彼女はやはりすごいなと驚いたくらいで。松岡さんはどちらかというと憑依型の女優で、役作りをしっかり行って、作品に同化していくタイプなんですね。引き出しが多くて、いろんな役柄に挑戦できる。それに対してのんさんは、ずっと自分自身のままで演じきるタイプで、作品を自分の側に寄せてしまう。当たり役であれば誰よりも輝くし、それは大スターに多いパターンです。でも、舞台挨拶などで話しているところを見ると、か細い声で「どうもありがとうございます」なんて言っていて、その“主張しない存在感”がとてもユニークだと思いました。

 最近の人気女優は、作品ごとに新しいことにチャレンジするんですね。広瀬すずさんなんかはまさにそうで、『海街diary』の後は、イメージを固定しないかののように、かるたやっていたり、バイオリンを弾いてみたり、あらゆることにチャレンジしている。ただ、あまりに早すぎないか、とは思うのです。『怒り』でも熱演されてましたし、全ての役をモノにしていますが、先日、チアガールをやっている予告編を観て、役の幅が大きすぎではないか、と思いました。短いスパンで次から次へと挑戦するのは悪いことではないですが、ひとつの映画にじっくり取り組む彼女も観たいと思いました。『海街diary』は時間をかけて撮影され、彼女の成長が作品自体の魅力になっていたので。

 のんさんは、件のトラブルがなければもっとたくさんの作品に出ていたことは間違いありません。しかし、今の芸能界のスピードに消費されなかったことも確かです。能年玲奈という僕らが持つイメージを維持したまま『この世界の片隅で』に出演しているのが良かったです。ネガティブな意味合いではなくて、のんさんのこれからのキャリアは、映画やドラマに関わる人々にとって注目すべきことでしょう。彼女の歩みから学べることは少なくないはずです。彼女は復帰作として本当にいい作品と出会えた思うし、観客からは必ず高く評価されるでしょう。

いま描くべき戦争映画としての『この世界の片隅に』

 戦争映画としての側面にも触れたいと思います。去年は塚本晋也監督が、いまだからこそ描くべき戦争映画として『野火』を撮りました。『この世界の片隅に』は、それに続く今だからこそ作れた戦争映画といえると思います。どちらの作品も、現代の僕たちの感覚で見て、揺さぶられるものがある映画です。両作は、“主観の強い戦争映画”といえるかもしれません。

 『野火』は、戦場で極限状態に陥った男の主観から描くことで、その凄惨さを強く訴えていました。一方で『この世界の片隅に』は、ひとりの女性が生活する日常の上に、だんだんと戦争が近づいてきて、大事なものが一瞬にして壊されてしまう怖さを描いています。戦争を俯瞰するのではなく、かといって都合の良い事実だけを切り取り方をするのでもなく、誰かの目を通すことでリアリティーを獲得している。どちらもインディペンデント作品で、かつての戦争映画にはなかった視点があります。

 同じく戦争を描いた高畑勲監督のアニメ映画『火垂るの墓』(88年)は、戦争体験者ならではの映画でした。ある意味ではトラウマになるような作品で、その悲惨さを訴えるための執念さえ感じさせます。日本で製作する意義がある正しい映画で、体験していない世代に対し、戦争は本当に悲惨なもので忌避すべきものだというメッセージを伝えます。現代の視点からだと、どこか別の世界の話に感じる部分もあるでしょう。しかし『野火』や『この世界の片隅に』の場合は、主観的視点が強いからこそ、いま生きている現実と地続きで戦争をイメージできます。

 僕は正直、戦争映画は体験した世代が作ったものを観た方が良いと考えていました。というのも、戦争体験者ではない人間の作品はやはりどこか嘘っぽく、場合によっては観客を泣かせるために作ったような安易な作品もあるからです。僕はSF的な戦争映画を観るくらいなら、例えば岡本喜八監督の『日本のいちばん長い日』(67年)や『激動の昭和史 沖縄決戦』(71年)を繰り返し観ます。『野火』や『この世界の片隅に』のようなアプローチは戦争を体験していない僕らが、皮膚感覚として「もしかしたら、いま生きている世界が明日なくなってしまうかもしれない」と感じることができるし、それはとても意義深いと思います。すずさんらの言葉にも複雑な感情が込められていて、単に観客を感動させるような作品ではありません。綿密な時代考証を重ねることで、体験していない世代でもこういう風に戦争を描くことができるのだと、感銘を受けました。

 もちろん、戦争の悲惨さはまず訴えなければいけないことですが、戦時中にこんな楽しいことがあったとか、こんな工夫をして暮らしていたとかを伝えるのも大事なんだと思います。その辺りは、上の世代の監督たちが描いてこなかったことだし、楽しい日常が一瞬にして壊される怖さは、東日本大震災以降、多くの人々が知るところです。『この世界の片隅に』は、震災以前から着手していた作品とのことですが、震災があったことで、改めて描く意義を考えた作品でもあったのではないかと思います。

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