『わたしを離さないで』を“現代日本的なドラマ”に仕上げた描写ーークローン人間の抵抗が意味したもの

 TBS系金曜夜10時で放送中されていた『わたしを離さないで』(TBS系)が最終回を迎えた。本作はイギリスの作家、カズオ・イシグロの小説を翻案したもの。脚本は連続テレビ小説『ごちそうさん』(NHK)の森下佳子。 

 主人公たちが過酷な運命を受け入れていく姿を淡々とした語り口で描いた原作小説に対し、『JIN -仁-』や『白夜行』(ともにTBS系)など、原作モノのアレンジに定評のある森下は、舞台を日本に移して細かい台詞や設定を変えることで、原作の持ち味を踏まえた上で、現代的なドラマに仕上げていた。

 物語は陽光学苑という施設で育った保科恭子(綾瀬はるか)の回想からはじまる。人里離れた場所にあり高い壁で外界との接触を拒む隔離された施設で共同生活を送る子どもたちは、実はクローン人間で、将来は提器移植の献体となるために「提供者」として育てられてきた。

 クローンの臓器移植が日常化している世界を舞台に、「提供者」としての運命に苦しむ恭子、酒井美和(水川あさみ)、土井友彦(三浦春馬)は、そんな逃れられない宿命を背負った仲間意識から、お互いに対して深い愛憎を抱くようになる。

 異世界を舞台にした近未来SFドラマというよりは、あらかじめ社会のために死ぬことが宿命づけられるクローン人間の理不尽な姿を通して現代日本で暮らす若者の境遇を描いた寓話に見える。

 物語は三部構成となっており、第二部では思春期を迎えた恭子たちがコテージと呼ばれる場所で共同生活を送り、その中で恋愛やセックスを体験する姿が描かれる。その姿は、まるで青春ドラマのようだが、その状況自体が、あらかじめ国家に用意された舞台だと考えると、実に残酷なものに見える。

 中には自分たちクローンの生存権を主張する運動に身を投じる遠藤真実(中井ノエミ)のような存在もいるのだが、やがて彼女たちは政府に鎮圧されてしまう。 

 死の間際に真実が恭子に渡したメモには

 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 という日本国憲法第13条が書かれていた。

 この場面は原作小説にはないドラマ版オリジナルのものだ。原作を読んでいて気になる臓器提供の道具として使い捨てにする非道な世界を受け入れるクローン人間に対して「何故、誰も抵抗しないのか?」という部分を補う見事な改変だと言える。

 クローン同士が深く愛し合っていることを証明すれば数年間自由に暮らすことが許される「猶予」があるという希望にすがる恭子と友彦は、今は閉鎖されてしまった陽光学苑の校長に会いに行く。しかし、校長は「猶予」は存在しないと二人に告げる。

 そして、校長自身もクローン人間であると告白し、陽光学苑を作ったのは、クローンにも人間と同じ魂があることを証明することでクローンの生存権を認めさせ、提供という理不尽な制度を止めることが目的だったと、知らされる。

 最終話では、提供者からの臓器移植を拒む高齢者の数が年々増えていることが語られ、この理不尽な世界が変わるのではないかという、かすかな希望を匂わせている。

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