宇多丸が語る、名著『ヒップホップ・ジェネレーション』をいまこそ読むべき理由(後編)

 2007年に翻訳版が発売され、日本のヒップホップ・シーンでも大きな話題となった書籍『ヒップホップ・ジェネレーション』が、新装版となり9月16日に発売された。

 ヒップホップの成り立ちと時代ごとの変遷を、さまざまな問題を抱えるアメリカ社会との関わりとともに、丹念かつドラマチックに描いた本書は、ライムスター・宇多丸氏も「絶対に読んでおくべき決定的な一冊!」と絶賛していた。約10年近い歳月を経て、日本を含めて世界中のヒップホップシーンが変化した中、改めて本書を手に取ったとき、そこにはどんな価値が見出せるのだろうか。リアルサウンドでは、本書に推薦文を寄せている宇多丸氏本人にインタビュー。本書の意義について掘り下げた前編(http://realsound.jp/2016/09/post-9368.html)に続き、後編では日本のヒップホップ史を見つめ直すとともに、ヒップホップ批評のあり方について考察する。聞き手は、音楽ライターの磯部涼。(編集部)

宇多丸「日本語ラップの流行も、ヒップホップ史の延長線上にある」

磯部:ヒップホップが文化として認識されたのは、やはり、映画『ワイルド・スタイル』(チャーリー・エーハーン監督、83年)の影響が大きいですよね。それまでは、日本でもラップをディスコのヴァリエーションとして捉える言説が主流だったのが、あの作品によって――正確にはあの作品のプロモーションによって、ラップ、DJ、Bボーイング(ブレイクダンス)、グラフィティの4大要素からなるものだという情報が浸透した。

宇多丸:ヒップホップという呼び方も、ようやく定着しつつあったし、ブロンクス以外の地域ではそこで始めて、トータルでひとつのカルチャーだと認識された。『ワイルド・スタイル』にも出演しているグラフィティ・アーティストのファブ・ファイヴ・フレディなんかは、あまりその功績を認められていないけど、ブロンクスの外ーー特にマンハッタンにヒップホップを広めたという意味では、重要な存在ですよ。彼はヒップホップをプレゼンするセンスを持った人間だった。でも、自分で作品を残すタイプではなかったから、理解されにくかったんだろうね。

磯部:そういえば、先日、『BSスカパー! BAZOOKA!!! 第10回高校生RAP選手権in日本武道館』(9月26日)を観に行きました。宇多丸さんもライムスターとしてゲストでライヴをやっていましたけど、MCで、若いお客さんたちに対して“ヒップホップは文化である”ということをかなり意識的に説明していましたよね。

宇多丸:もう滑るの覚悟で、「おじさんが頑張るところ見ておけ!」って感じ(笑)。今のフリースタイルバトルの現場では、そもそもライヴは求められていないってとこはあるみたいだけど。

磯部:正直、僕も10代が中心の観客にライムスターは受けるのかな? と思ってたんですが、彼らが生まれた頃に発表された「B-BOYイズム」(98年)で普通に盛り上がっていた。

宇多丸:あれは、あのビートがバトルで使われるからだよ。クラシックだから盛り上がるというわけではなく、過去の名勝負で使われた楽曲かどうかが重要で、それでお客さんの反応が変わってきちゃう。要するに、バトルの文脈しか知らないお客さんがほとんどなんだよね。もちろん、それが悪いというわけではないけれど、やはりルーツを知っておいてほしいという気持ちはある。

磯部:前編でも話したように、いわゆる4大要素にはそれぞれの歴史があって、本書『ヒップホップ・ジェネレーション』によれば、それらが合流したのが、70年代半ば、ブロンクスのクロトナ・パークを中心とした7マイルの円内だったわけですけど、実は『ワイルド・スタイル』の頃には再び別の歴史を歩み始めていたんですよね。ましてや、現代になると各文化の関係性はかなり薄くなっていて、さらに、日本ではラップの中でも特にフリースタイルが独立したジャンルとして人気になっている。

宇多丸:磯部くんは、雑誌『ele-king』のヒップホップ特集(『ele-king』VOL.18「特集:いまヒップホップに何が起きているのか?」、16年)でも、「(現在の日本のラップ)ブームが相対的に浮かび上がらせるのがヒップホップの衰退だ」って書いていたけど、ラップだけが花形として目立っているのは、80年代後半からずっとそうで、今に始まったことではないよ。ただ、単なる歌唱法でしかないラップが、バトルという異様な形式の中で、一種のゲームとして広く楽しまれているこの現象そのものを、ヒップホップと呼ばずして何と呼ぶ? とは思っていて。多分、若いお客さんも感覚として、なにがヒップホップなのかはわかっていると思うんだよね。歌謡曲に入っているのもラップだし、アイドルが歌っているのもラップだけど、フリースタイル・バトルのラップはヒップホップ独自のものなんだって。まさかこのゲームが、日本で自然発生的に生まれたとは考えていないだろうし。ラップだけがクローズアップされている今の状況を見て、「これはヒップホップのムーヴメントじゃない」という言い方が出るのもわかるけど、オレはそうは思わないかな。むしろ、ヒップホップの文化的側面が濃くなっているってことなんじゃないの? とすら思う。

磯部:では、本書で書かれている歴史の延長線上に、日本のフリースタイル・バトルの流行も位置付けられると?

宇多丸:もちろん、間違いなくヒップホップ史の延長線上にあるものでしょ。日本では、そもそも、「ヒップホップはこういうものだから、即興でバトルをやろう」という意識がなければ、始まりようがなかったものなんだから。仮に今の若い子の意識からそこが抜け落ちてようがなんだろうが、事実として繋がっているとしか言いようがない。アメリカ本国だって、若い世代の多くが過去に無関心なのは普通のことだし。

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