>  > zoppが語る“温故知新の作詞法”

『Music Factory Tokyo』スペシャルインタビュー

ヒット連発の作詞家=zoppが語るコトバ術「映画を観ている感覚で、情景や感情が見えるようにする」

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 音楽を創る全ての人を応援したいという思いから生まれた、音楽作家・クリエイターのための音楽総合プラットフォーム『Music Factory Tokyo』が、2月9日と10日にスペシャルインタビュー2本を公開した。

 同サイトは、ニュースやインタビュー、コラムなどを配信し、知識や技術を広げる一助をするほか、クリエイター同士の交流の場を提供したり、セミナーやイベント、ライブの開催など様々なプロジェクトを提案して、未来のクリエイターたちをバックアップする目的で作られたもの。コンテンツの編集には、リアルサウンド編集部のある株式会社blueprintが携わっている。リアルサウンドでは、今回公開されたスペシャルインタビュー2本の前編を掲載。同記事では、修二と彰「青春アミーゴ」や、山下智久「抱いてセニョリータ」など、数々のヒット曲を手掛ける作詞家・zoppのインタビューを紹介したい。

――この仕事を目指したきっかけは?

zopp:アメリカに留学したときに、訳詞をはじめたのがきっかけです。高校生のとき、ホストファミリーの下で1年間生活するにあたって、良い英語の勉強法はないかとホストマザーに尋ねました。彼女はもともと学校で臨時講師をしており、教えることに長けていて、日記のように一日一曲必ず英語詞の訳詞をすることを勧められました。それまで日本の音楽や歌詞も何となく耳にしたことはありましたけれど、英語の歌はそれとは本質的に違って、宗教や戦争のこと、差別のことを歌っている人が多かったんです。彼らの歌詞を訳しているうちに「歌詞ってこんなに奥深いものなのか」という衝撃を受け、次第に自分が訳詞した曲に、自分の言葉で詞を付けるようになりました。それが僕の作詞家人生の始まりです。

――海外の曲に日本語を乗せていったんですね。

zopp:そうです。ただ、僕が聴いていた海外のアーティストはバンドが多かったので、歌詞は当然歌っている人が書いていると思っていましたし、その時点で作詞家という仕事があることは知りませんでした。その後は趣味で作詞を続けながら、大学卒業後には、現在所属している会社でディレクターとして働き始めました。仕事でお会いする現場の人たちは「本業のほかに、その人は何をできるのか」に興味を持つことが多くて、ある時、某レコード会社のプロデューサーさんに「君はディレクター以外に何かできるの?」と訊かれ「昔から趣味で作詞しています」と答えました。そして、彼から「じゃあ作詞してみればいいじゃない?」と言われ、しばらくはディレクターをしながら時間を見つけて作詞もしていました。

――そこから作詞家としての比重が大きくなった理由は?

zopp:作詞をメインにしたのは、やはり2005年の『青春アミーゴ』を書いたことが大きいですね。初めて書いたA面の曲で、それまでは作詞家一本でやっていけるような収入も自信もありませんでした。でも、周りの人からも「秋元康さんや松本隆さんならいざ知らず、今の時代に職業作家でオリコン年間ランキングで1位になる曲に関われるなんてなかなかない」と言ってもらえて、そこに運命的なものを感じたので、作詞に本腰を入れ始めました。当時はシンガーソングライターの方が多かったですし、曲は書かないけれど歌詞は自分で書く、という方も数多くいたなかで職業作家が1位ということは、いち音楽業界人として僕も衝撃を感じました。

――当時、ディレクターとして関わっていた方も驚かれたのでは。

zopp:そうですね。ディレクター業務は本名でやっていたので、言わなければ僕が書いたことはわかりませんでした。忙しかったこともあってあまり周りに言っていなかったのですが、翌年くらいにその話をし始めると、「もっとちゃんとやるべきだ」と指摘されたんです。

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