>  > flumpool山村が語る、デビュー時の葛藤

『The Best 2008-2014 「MONUMENT」』インタビュー(前編)

flumpool山村隆太は何を乗り越えてきたか「デビュー時、バンドに実像がないと感じていた」

関連タグ
flumpool
JPOP
ROCK
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
20140326-flumpool.jpg

 デビュー5周年を迎え、ただ今全国ツアー中のflumpoolが、初のベストアルバム『The Best 2008-2014 「MONUMENT」』を5月21日にリリースする。メジャーデビューから瞬く間にブレイクを果たし、数々のヒット曲を生み、紅白歌合戦への出演やアリーナ公演や海外進出も実現し、これまで順風満帆なキャリアを歩んできたように見える彼ら。しかしバンドの歩んできた道程は決して簡単なものではなかったし、失敗も挫折もあったと、フロントマンの山村隆太は様々な場所で語ってきた。彼らが乗り越えてきたものは何だったのか。ターニングポイントの数々を、改めて山村に振り返ってもらった。

「メジャーデビューする前がバンドの底辺だった」

――flumpoolがメジャーデビューしたのが2008年の10月のことでした。あの頃のことは、今どんな風に振り返っていますか?

山村:そうだな……浮かれてなかったですね。大人だった。むしろ、その前がひどかったんですよ。メジャーデビューする前がバンドの底辺だったんです。

――どんな状況だったんでしょう?

山村:(小倉)誠司が入ったのがその一年前くらい、2007年だったんです。そこから4人になった、やっと10年越しくらいの夢が叶ったと思って燃えに燃えてたんですけど、結局バンドが上手くいかなかった。「labo」という曲はできたけど、どこからも声がかからず、動員は増えないわ、バンドとしてもモチベーションが下がるわっていう、そういう時期だったんですね。「もう解散しようか」みたいな状態だった。誰かがそれを本当に言い出したらそうしてたんじゃないかな。

――解散寸前だった。それが2007年の頃のバンドの状況だったわけですね。

山村:それくらいの煮え切らない時期があったんで、そこからデビューして状況が真逆になったんです。テレビを見たら自分たちが歌ってるわ、おかんからはメールが山ほど来るわ、掌を返したような友達からの連絡はたくさん来るわ。そういう意味でも、どん底だったぶん「成功を掴んだ」というよりも、この成功をどうすれば次に繋げられるか、以前に戻らずに済むかっていうことばかり考えてました。次がないと思ってましたから。

――あえて言うと、「花になれ」というデビューシングルがヒットして、そのまま一発屋としてバンドが終わってしまうというような危機感すらあった。

山村:ありましたね。そもそも一発も当たらないかもしれないと思ってたし。実際、あの曲は百田(留衣)さんという今でもサウンドプロデューサーをやってくださっている人が作った曲だったりもしたので。浮かれる状況ではなかったですね。

――デビュー曲が他人の作った曲だったということに関しては葛藤もありましたか?

山村:うん。ありましたよ。それは今でも思います。本当に「花になれ」という曲で出てよかったのか。「星に願いを」という曲の原曲も実は候補としてあったりしたので。そっちだったらどうなってたんだろう?みたいな思いは今でもあります。

――flumpoolというバンドがブレイクへの道を駆け上がっていた頃は、その葛藤も今よりさらに大きかったんじゃないでしょうか。

山村:そうですね。葛藤も大きかったし、浮かれてない分、守るものもなかったような気がします。だから「どうにでもなれ」と思ってました。

――そういう「どうにでもしてくれ」っていうムードって、だいたいいつ頃くらいまでありました?

山村:最初の武道館かな。そこまでは、自分では何も見えず、とにかく腕を動かして足を動かして泳ぎ続けるだけだった。自分らにできるのはそれくらいだったんですよね。

――つまり、地に足が着いていなかった。

山村:うん。不思議な感覚でしたね。地に足が着いてるっていうのは、バンドとして一歩ずつライヴハウスを回り、徐々に動員を増やしてホールに行って、武道館に行く。その中でちゃんとお客さんに認められる。そういう流れだと思うんですよね。でも、その流れ以上のことが起きたんです。デビューも配信という形だったし、つまりflumpoolというバンドに実像がなかったんです。虚像しかなかった。「flumpoolってほんとに存在してんの?」「そのお客さんって存在してんの?」っていう。でも、やけに腹が据わってるという。不思議な感じでしたね。

――じゃあ、最初の武道館が決まった時にも戸惑いを感じたりした?

山村:そうですね。震えましたよ、やっぱり。失敗したらもう終わりだと思ったし、音源でどれだけイメージを作っても、結局ライブが楽しくなかったら終わるだろうと思っていた。必死に背伸びしてましたね。

――背伸びしていた時期って、いつ頃まででしょう? 武道館のステージに立ってもそうだった?

山村:そうですね。武道館も、どう歌って何をしゃべったのか、全然覚えてないんですよ。でも、一瞬だけ覚えている瞬間はあって。「フレイム」って曲を最後にシンガロングで歌った時に、客電がついたんですよ。で、一万人くらいの顔がやっと見れた。その時に、「おお、すげぇな俺」って思った(笑)。「こんなとこで演奏してるんだ」って、初めて実像が見えた。「あ、この人たちが俺らのことを生活の中で本当に愛してくれてる」という気がした。その一瞬は覚えてますね。でも、ライヴが終われば、すぐにまた見えなくなってしまう。背伸びの時期はその後も続いていたと思います。

表示切替:スマートフォン版 | パソコン版