佐村河内守の別人作曲騒動が浮き彫りにした、「音楽」と「物語」の危うい関係

 今回の騒動を機に、音楽家をめぐる物語やキャラクターに注目して音楽を楽しむことを批判し、ただ純粋に音楽を聴くべしとする批判もみられる。ただ、アイドルの流行に象徴される通り、近年の音楽で物語やキャラクターのウエイトが上がる一方、それらを脇にのけて曲の一部を抜き出し、別の文脈でネタに使うことも盛んにされている。その意味では、物語は中和されている。クラシックに関しても、ベートーベンのような古典であれば大曲のごく一部をバラエティやCMで使い、ギャグにすることはある。しかし、広島や東北の被災地のために曲を書いた、全聾の「現代のベートーベン」によるシリアスなクラシックに対しては、ネタにして物語を中和することはしにくかったということだろう。それだけに実態が暴露された時の反発が大きい。

 東日本大震災と原発事故の発生直後のことを思い出してみよう。あの頃は、歌舞音曲の娯楽がはばかられるムードになっていた。音楽家たちは、被災地に寄り添う、がんばれ日本、絆といった姿勢を示すことで、おずおずと活動を再開していったのだ。

 公共放送という意識もあるのだろうが、NHKではその傾向が長く続き、音楽番組「MUSIC JAPAN」ではAKB48の被災地訪問の模様を追い続け、東北ゆかりの歌手・有名人に「花は咲く」を歌わせ、三陸のご当地アイドルを描いたドラマ『あまちゃん』を放送した。(今後制作時の状況が再検証されるだろうが)NHKが佐村河内をドキュメンタリーで特集したのもその一貫だっただろう。

 2011年3月11日以後は、震災をめぐる物語抜きに日本で音楽を回復することは難しかったし、純粋にただ音を楽しむという態度は力を持ちえなかった。「佐村河内守」という作曲家への注目の高まりと虚飾の暴露が、そうした時代推移のなかで起きたことは覚えておこうと思う。

■円堂都司昭
文芸・音楽評論家。著書に『エンタメ小説進化論』(講談社)、『ディズニーの隣の風景』(原書房)、『ソーシャル化する音楽』(青土社)など。

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