ベネット・フォディを中心に見るインディーゲーム小史 第五回
ベネット・フォディとデジタル文化への内省 “ゴミ山”産まれのディオゲネスが山を登る理由
インディーゲームの金字塔として知られる、“壺おじ”こと『Getting Over It With Bennett Foddy』をご存知だろうか。数々のゲーム配信者、VTuberがプレイし、「ゲーム実況の登竜門」として評価を受ける、インディーゲーム屈指の名作だ。
同作のタイトルには作者であるベネット・フォディ(Bennett Foddy)の名前が記されている。ゲーム実況を見るのが好きな人、VTuberを好きな人、あるいは『Steam』でゲームを遊んだことのある人なら、「なんとなく知っている」「聞いたことはある」であろう“壺おじ”だが、その作者の人となりについては、意外と知らない人が多いのではないだろうか。
リアルサウンドテックではSF作家にして批評家、そしてインディーゲームの熱心なプレイヤーでもある千葉集による「ベネット・フォディを中心に見るインディーゲーム小史」を、全七回にわたってお届けする。大流行するインディーゲームの現在の起源と、重要な役割を果たしたフォディの足跡を知る手がかりとなれば幸いだ。
前回までは、芸術としてゲームを教えた教員としてのフォディの姿と、その周辺で彼と相互的な関わりを持ったとある大物について紹介してきた。今回は、フォディの“秘蔵っ子”であるゲイブ・クッジーロと、ベネット・フォディのデジタル文化への内省、そしてそこから産まれた彼の代表作について。
暴れゴリラのワンダーボーイ
ゲイブ・クッジーロとは何者か。
インディー業界的には、『APE OUT』(2019)の作者として通っている。『APE OUT』とは、ジャジーなドラムのリズムに乗って脱走した暴力ゴリラを操り、すべてを破壊しつくすトップダウンの脱出アクションゲームだ。洒脱なルックと爽快感あふれるゲームプレイが前評判を集めてIGFの学生作品賞(Best Student Game)を受賞、2019年に正式発売されるやたちまちヒット。数々のゲーム賞にノミネートされた。
クッジーロは、NYU〈ゲームセンター〉でのフォディの教え子にあたる。
と、いってもイタリア語で「かわいい仔犬」に由来する苗字をもつこの青年は、最初からゲーム制作を志してNYUに入学したわけではなかった。クッジーロがNYUに求めていたのは映画界の名門としての面――そう、彼は映画監督志望者だったのだ。
しかし、クッジーロは夢に見たNYUの映画コースで蹉跌を味わう。映画作りのために入学したはずなのに、一年生のあいだは映画を撮らせてもらえない。周囲の大人たちはことあるごとに「映画監督になれるのはほんの一握りの人間だ。業界に入りたいなら、小間使いみたいな雑務から始めないといけない」と忠告してくる。夢を育むために入ったはずの大学でその芽を早々に摘まれ、彼は腐りかけていた。
進路に迷いはじめたクッジーロは〈ゲームセンター〉へ行き、フランク・ランツが受け持っていた「ゲーム101」のクラスを聴講した。初学向けの概論的講義だ。その回はゲームの歴史についての講義だったという。授業が終わるころには、彼にしか知りえない深遠な直感からこう確信するようになっていた。自分はゲームを作るべきなのだ、と。
その時点でゲーム制作未経験だった彼は、プログラミングに詳しい兄・エリオットからの教示を乞いながら、フェンシングを題材にした『Foiled』という小さなゲームをなんとか完成させる(なお、エリオットも後に『APE OUT』と『Baby Steps』の開発に関わる重要人物だ)。
『Foiled』をフォディを含めたNYUの教授陣に見せると、一様に好感触が返ってきた。そして、別の教授のすすめで一週間ほどフォディと共にある研究をおこなうことになる。その「研究」の詳細は不明だが、そこで(またしても)なんらかの霊感を得たらしい。それからすぐに始まったのが『APE OUT』のプロジェクトだった。
『APE OUT』はプロジェクト開始から2年後の2015年にNYUのインキュベーションプログラム〈NYU Game Center Incubator〉に採用された。最終的に本作はインディーパブリッシャーのDevolver Digitalのパブリッシングを受けることになる。
『APE OUT』の例に見られるように、〈NYU Game Center Incubator〉は「ゲーム開発の登竜門」と呼ぶにふさわしいプログラムだ。このプログラムに採用された学生は、ひとつのゲームにつき15,000ドルの開発資金、充実したメンターシップやプロ開発者によるワークショップ、開発に使える作業用スペース、各メディアやゲーム賞へのパブリシティが約束される。2014年に始動して以来、『A Memoir Blue』(2022)や『despelote』(2025)といった詩情にあふれるタイトルを直接的に世へ送り出すのみならず、『Unheard』(2019)のニック・チャンを初めとして、大手のリード職からインディースタジオのトップまで多彩な人材を輩出してきた。
その功績は、IGFの学生作品賞部門に毎年のように、ときには複数の候補作を送り出していることからもうかがえる。特に『APE OUT』が受賞した2016年は、6つの候補作のうち、半数の3作がこのインキュベータープログラムの対象作品で占められていた。そのうち『Circa Infinity』のケニー・サンは2025年に『Ball x Pit』でミリオンヒットを記録し、『Beglitched』のコンビであったジェニー・ジャオ・シアとAPトムソンはやはり2025年に『Consume Me』でIGFの最高賞「Seumas McNally Grand Prize」と「Nuovo Award」とのダブル受賞を果たした。
10年経った現在から見ればまさに稀な“当たり年”だったわけで、クッジーロはそのなかでもいちはやく傑出した才能を認められていたのだった。
そんなワンダーボーイに対してNYUの教授陣は助力を惜しまなかった。『APE OUT』の開発チームはややもすれば奇妙な構成になっている。作曲担当のマット・”マキシィ”・ボックはフォディとおなじくNYUで教鞭を取っており、つまり三人いる開発チームの内訳は学生一人に先生二人。メイン開発者である学生のクッジーロをベテランの准教授コンビが支える、という構図だ。NYUのインキュベーションプログラムの他作品を見ても、基本的には学生同士のチームであり、教える側が正式なスタッフとして関わる例はめずらしい。
ところが、『APE OUT』に関するフォディの具体的な貢献は定かでない。
インタビューによれば、プロジェクトに正式加入したのは2018年の夏からであるらしい。すでに開発開始から5年が経過し、もともとのリリース目標であった「2018年の5月」を過ぎてしまったころだった。開発初期から細かいアドバイスを定期的に送る間柄ではあったらしいのだが、チームへの本格加入後は色彩設計やアセットなどのアート部分やレベルデザインの一部に携わり、ゲームの完成度を高めたという(*1)。
ともあれ、クッジーロは年長の教師たちに信を置いたらしい。プロジェクト開始から長いあいだソロで開発してきて、開発スケジュールが狂いかけたところで現れた「先生」たちの温かさが身にしみたのだろうか。
『APE OUT』リリース後の記事で、クッジーロは「ベネットとマットほど一緒に働いて楽しく、尊敬できるひとたちはいない」とベタ褒めし、次のゲームも三人体制で制作していくと断言している。そのプロジェクトこそが、2025年の『Baby Steps』だ。
クッジーロは、その作品で主人公のネイトの声を務めている。NYU〈ゲームセンター〉の長であるランツが「父親」の声を演じ、教え子であるクッジーロがフォディのモーションで歩く「息子」の声をあてる。そして、フォディが演じるのは、アドバイスともからかいともつかない奇妙な言動でネイトをふりまわす脇役たちだ。
こうした布陣を見るだけでも『Baby Steps』がNYU時代のフォディの集大成であることは見て取れるだろう。
NYUにおけるフォディの人脈を調べたいのなら、TIGSコミュニティ同様、ゲームのクレジットを見ればよい。特に、各作品のクレジットについている「テストプレイヤー」と「謝辞(Thanks)」を。
NYUへ移籍する2013年までのフォディは、当然TIGSとのつながりが濃かった。『FEZ』(フィル・フィッシュ)、『Hotline Miami』(ヨナタン・ソダーシュトロム)、『Super Hexagon』(テリー・キャヴァナー)、『Spelunky』(デレク・ユウ)、このあたりは当然TIGSからの関わりだ。そしてNYUに移ったからといってネット上の交友がいきなり途絶えるわけでもなく、近年もTIGS組のゲームにちょくちょく顔を見せている。めぼしいところでいえば『Noita』(2019)、『A Monster's Expedition』(2020)、そして『UFO50』(2024)あたりだろうか。
一方で、2015年前後から明らかにNYUつながりのクレジット参加が増えていったことも見逃せない。この事実は、単にフォディの職場が変わった“だけ”でないことを示している。アカデミアの新興学科における学生や教員たちとの交わりは、クリエイターとしての彼にも不可逆な変化を与えていく。
教えながら作る、作りながら教える
さて、NYU移籍後のベネット・フォディ本人はなにをやっていたのか。
ゲームを遊んでいた。遊びまくっていた。1975年〜2000年までの1000本ほどを。
これだけの本数とタイトルを個人で蒐集するのはおそらく無理で、「世界最大のゲームアーカイブ」を謳うNYU〈ゲームセンター〉附設のライブラリを活用したとみられる。
なぜそんなに古いゲームばかり遊んでいたのか。むろん、ゲームを作るためだ。『Multibowl』(2016)はフォディの作品でももっとも遊ばれたことの少ないゲームだろう。なにせ、おおやけにリリースされてさえいない。
本作は70年代〜90年代に出た対戦機能のあるゲーム作品約230本以上をアーケード・コンソール・PCの各フォーマットから集め、『メイド・イン・ワリオ』方式のミニゲームアンソロジーに仕立てた二人対戦用ゲームだ。各タイトルごとに30秒の制限時間が設けられ、そのあいだに勝利条件を先に満たしたプレイヤーへポイントが与えられる。
『スーパーマリオカート』、『サムライスピリッツ2』、『ぷよぷよ』、『ワギャンパラダイス』、『マジカルドロップ』……定番の対戦用ゲームからあまり知られてないマイナー作品まで、古今東西のタイトルを収録している。
当然、著作権的にはアウトな代物だ。フォディはこれを各地のアートフェスティバルなどで展示するに留め、ウェブなどで公開しないことで訴訟をまぬがれた。
本作には当時のフォディの興味が複数反映されている。古典作品、特にあまり顧みられてこなかったゲームの発掘とリバイバル、展示会におけるローカルマルチプレイとその観戦、80年代アーケードゲーム/海賊版書き換えロム/Flashゲーム的感性に通じるごく短いゲームプレイ体験……そして、もちろん、NYU関係者とのコラボレーションも。
『Multibowl』はオープンソースのエミュレータであるMAMEを用いて作成された。もちろん、エミュレータは基本的に、一度にひとつのゲームを遊ぶことを想定して作られている。手の込んだミニゲーム集を動かすのは並大抵のことではない。
フォディは、ゲームプログラミングの専門家であるAPトムソン(本名、アレック・トムソン)に助力を頼んだ。
APトムソンはさきほども説明したとおり、〈ゲームセンター〉のインキュベーションプログラムに採択され、ジェニー・ジャオ・シアと組んで2016年のIGFの「Nuovo Award」をゲイブ・クッジーロの『APE OUT』と争った経験を持つ。修士課程でNYUに入る以前は、マサチューセッツ工科大学(MIT)でプログラミングを学び、MITのゲームラボ(2007年設立)でゲーム制作の経験も積んでいた。フォディとは『Stair』(2015)というスマホゲームで一度組んだ仲でもあった。
修士課程修了後はNYUで講師としてプログラミング入門を教えることにもなるAPトムソンのスキルが、フォディの野心を形にしたのだ。
ある種のリサーチプロジェクトを発表する一方で、もちろん、ゲームづくりを教えてもいた。彼は学生にプロトタイピングとして小さなゲームを作らせた。とにかくアイデアを形にして試行錯誤していくことで、学生にゲームづくりの感覚を身につかせようとしたのだ。アイデア本位の小さなゲームを量産していくFlashゲームやゲームジャム出身ならではの教育法といえるだろう。
そして、クラスでは自らも参加してゲームを制作した。
いくつかはフォディのサイトでも公開され、そのなかでも『Zebra』(2016)はちょっとした話題を呼んだ。シマウマ柄のような白地に黒の斜線でできた空間の迷路を、主観視点で歩いて進んでいくゲームだ。シマウマの毛はサバンナにおける迷彩効果を持つというが、「Zebra」の空間は錯視的な幻惑に満ちていて非常に歩きづらい。自分がどこにいて、なにを見ているのかすらもつかめない。
『Zebra』は光学アートの先駆者であったレジナルド・ニールからの影響を受けている。ゲームデザインにおいて視覚科学的テクニックがあまり重視されていないことに気づき、その活用法をわかりやすい形で示したのだった。学生にアイデアを試させる場である大学のクラスで、フォディもまた一介のゲームデザイナーとしてさまざまなアイデアを試していたのだ。
フォディ曰く、TIGSourceとそこから派生したプライベートクラブめいたオンライン上のゲーム開発コミュニティは、2010年代前半を境に衰えていったという。彼は大学で、ゲーム開発者としての自らを育んだ「2000年代インターネット」式のやりかたを後続に伝えることで、その文化の血脈――ミームと呼んでもいい――を継いでいこうとしたのではないか。
フォディの著名な教え子はクッジーロだけではない。『Getting Over It』とIGFのNuovo Awardを争った『Ten Mississippi』のカリーナ・ポップ、『Consume Me』コンビの片割れジェニー・ジャオ・シア、半自伝的クィアゲームの先駆のひとつ『Cibele』(2015)や『Tacoma』(2017)などで知られるニーナ・フリードマンもフォディから直接薫陶を受けた開発者として判明しているあたりだ。
ゲーム制作者が教員となり、新たなクリエイターの成長に協力するーーこれはフォディから下の世代へも波及している。たとえば、ゲイブ・クッジーロは後年、NYUの教員となり、教え子であるフリアン・コルデロの『despelote』にデザインに関わる重要な提案を行い、コルデロもまた『Baby Steps』のあるシーンにささやかな貢献を果たしている。もともと卒業生がチューター的な役割を果たすことも多かったNYU〈ゲームセンター〉だが、現在は開設初期に学生として在籍していた者が正式な教員となっている例が何名か確認される。いわば、第二世代といったところだろうか。
TIGSourceからNYUへ、ネットから大学へ移ることで、フォディは世代の異なるゲーム文化の架け橋となったのだ。そして、それは彼自身の経験、80年代から血肉にしてきたゲームの歴史そのものを伝えることでもある。
2017年になっていた。TIGSourceフォーラムとNYUでそれぞれ5年ずつ過ごし、ゲーム開発者として10年目を迎えようとしていた。そんな節目の年に、“あのゲーム”が生まれる。ベネット・フォディ最大のヒット作となる、あのゲームだ。
『Getting Over It With Bennett Foddy』。