なぜ大作ゲームの主人公は「中年」になったのか 『GTAV』『ゴッド・オブ・ウォー』『プラグマタ』で描かれるミッドライフクライシス
ミッドライフクライシスという言葉がある。
中年の危機と訳される発達心理学の用語で、30代後半から40代にかけて、中年の人間にさしかかるさまざまな心理的葛藤や動揺のことだ。
近年、ビデオゲームにおいても、ミッドライフクライシスに直面するキャラクターが描かれる機会が増えてきた。カットシーンやフェイスモーフィングがリッチになったことや、作り手・受け手ともに高年齢化してきたことなど、多くの理由が挙げられることだろう。
映画やドラマは、中年がさしかかる問題を先んじて描いてきた歴史があるが、ゲームに置いてはどのように描かれているのか。それを見ていこう。
『グランド・セフト・オートV』
まずはじめに『グランド・セフト・オートV』(2013年)と『ウォッチドッグス』(2014年)を見ていきたい。どちらも都市型オープンワールドと呼ばれるジャンルで、プレイヤーは法やマナーを無視して自由に都市で暴れまわることができる。
『グランド・セフト・オートV』は3人の主人公がミックスして描かれるが、マイケル・デサンタという人物に注目だ。彼はFBIにギャング仲間を売って悠々自適の生活をしているが、妻や子どもからは面倒な父親として疎ましがられ、あまり面白くなさそうだ。
そんな彼は、人生これからという若い黒人男性のフランクリンや、腐れ縁の異常者トレバーらと、人生一発逆転の強盗に再挑戦する……といったストーリーだ。
『ウォッチドッグス』
『ウォッチドッグス』の主人公はもう少し悲惨だ。
エイデン・ピアースはハッカーとして活動していたが、仲間のミスで姪が死亡する。以降は自警団として活動し、街にはびこる陰謀と戦っていく(と言いつつも街のインフラを壊すなどの迷惑行為は当たり前に行う)のだが、死んだ姪の母親に当たる妹からはそんな危ないことをしないでくれと止められている。
どちらも、アクションゲームゆえにオーバーな暴力ややりすぎな犯罪描写こそあるものの、にっちもさっちも行かなくなった中年男性が、周りから止められているにも関わらず、やんちゃしていた頃のノリで世間に迷惑をかけるという構図は同じだ。
『レッド・デッド・リデンプション2』
『グランド・セフト・オートV』を手掛けたロックスターゲームズの『レッド・デッド・リデンプション2』(2018年)の第二部も似た構図だ。
2人目の主人公であるジョン・マーストンもまた、家族の制止を振り切って、悪党との一騎打ちに出向く。時代こそ西部開拓時代の終わり際であるものの、彼らがこの構図を好んで使用しているのは間違いない。
マイケルの息子はFPSと薬物に耽溺している太っちょのニートで、ジョンの息子はファンタジックなおとぎ話を愛好している少年と、古めかしい男らしさの対比として置かれている点も同じだ。
『ゴッド・オブ・ウォー』
家族との関係性という意味では、SIEのタイトルもミッドライフクライシスや、あるべき父親像に悩む男の姿を描いている。
『ゴッド・オブ・ウォー』(2018年)はPS2時代から続く老舗IPだが、2018年にリブートされ、舞台をギリシャから北欧に移し、主人公であるクレイトスの第二の人生が描かれる。
彼はギリシャ神話の神々を殺し、宿命に終止符を打って、家族とともに遠い地へ移り住んだものの、かつての腐れ縁は追いかけてくるわ、息子であるアトレウスとの関係はギクシャクしているわで、まるでギャング映画のような境遇に置かれている。
アトレウスが年相応に暴力的な言動に憧れを抱くと、すかさず父親として厳格に怒るのだが、その姿は若い頃のクレイトスを知っているプレイヤーからすると笑えてしまう。
『プラグマタ』
そんな具合で、昨今の大作はゲーマーが親世代になったのを機敏に察知し、それぞれの苦悩を描くようになったわけだが、一方で『プラグマタ』(2026年)は新鮮であった。
本作は月面調査員のヒューが主人公で、問題の発生した月面基地で攻撃的なAIと戦うのだが、その手助けをしてくれるのが、倉庫で長らく眠っていたアンドロイドのディアナだ。少女とアンドロイドというふたつの設定を持つ彼女は、ヒューから数多くのことを教わる(何を知っていて何を知らないかというのが恣意的ではあるが、そこは一旦目を瞑ろう)。
特に面白いと思ったのは、ヒューが結婚も子育ても経験していないが養子であるという設定だ。明るい家庭に引き取られ、血が繋がっていなくても家族になれるのだということを情感たっぷりにディアナに語り、それを彼女が素直に聞き入れるというシーンがなかなか素敵である。
これまでの大作ゲームの中年主人公は、家族を面倒臭いもの/男が生きるうえで邪魔なものとして捉えるところから出発していた。
しかし『プラグマタ』のヒューは決してディアナを邪険にすることはなく、対等に扱う。彼女の能力が攻略に必要不可欠であるというところも含めて、子どもの自我を真正面から認めているのだ。
この構図は『The Last of Us』(2013年)の変奏曲として捉えることもできる。
ゾンビアポカリプスで娘を亡くした男ジョエルが、エリーという少女と出会い、絆を深めていくというストーリーだ。
マイケルやジョンのような本物の家族に振り回されているおっさんたちに比べて、ヒューやジョエルは疑似的な家族関係であるからこそ、真に分かり合えるというのが面白い。
少年の冒険から、中年の葛藤へ──ゲーム主人公像の現在地
『ファイナルファンタジー』シリーズなどが覇権を握っていた頃は、主人公と言えば勇気と前途のあるティーンエイジャーであり、少年漫画のように前へ前へと進んでいくようなイメージがあったかと思う。
現代においてそのポジションはおっさんに代わり、打倒すべきエネミーは一応置かれているものの、実際には自分の気持ちにどう折り合いをつけるか、身内とどう付き合っていくかという課題のほうが大きくなってきた。
この変化をどう捉えるかはプレイヤー次第ではあるが、筆者が思うのは、拳に物を言わせてきた男の話だけではなく、3~40代の女性が直面するミッドライフクライシスを描いたゲームも見てみたいということだ。
きっとそれはまた新しい視点をプレイヤーに与えてくれることだろう。