芸能事務所社長 “柴咲コウ”、 週刊誌記者 “川口春奈”が見せた癒着しきった業界の終焉 『スキャンダルイブ』最終話

 12月24日に公開されたABEMAオリジナルドラマ『スキャンダルイブ』最終話は、芸能界とメディア(=週刊誌)陣営の双方にとって、“禊”の時間となった。

 井岡咲(柴咲コウ)、平田奏(川口春奈)、児玉蓉子(鈴木保奈美)、橋本正剛(ユースケ・サンタマリア)、麻生秀人(鈴木一真)ーーこれまでに登場したほぼ全員が、もれなく禊である。一人ずつ、その模様を振り返っていこう。

 まずは、芸能界サイドのKODAMAプロダクション陣営。彼らにとっての禊は、会社の看板を下ろすこと。特に性加害の当事者である麻生については、傷害罪などの実刑にも問われることとなるだろう。

 児玉蓉子はとかくエゴイストだった。たしかに、実父=児玉茂(柄本明)から社長の座を譲られたことで、会社の求心力が損なわれると周囲から嘆かれた際の辛さは想像に値する。まだ始まってもいないのに、屈辱でしかなかったことだろう。だが、そんなコンプレックスを埋めるためにした悪行が今回はさすがに多すぎた。

 咲に言わせてみれば「マネジメント不全」。事務所の新たなスター=原由梨(河村ここあ)のゴリ押しと、一方で心理的な部分でのマネジメント欠如。彼女が自殺した真相の捏造。自身のもとを離れた咲&藤原玖生(浅香航大)に対する業界からの締め出し。そのためのテレビ局への圧力に報道規制。児玉茂からは「器の小ささを晒すな」と、その死期に叱責された通りだが、彼の遺言書すらも隠蔽してしまう。

 だが、咲と平田の尽力により、麻生の性加害事案は最後、“後述する方法”にて世間に明かされる。その後の物語こそ描かれなかったが、KODAMAプロダクションの権威失墜は想像に難くない。が、そうせずとも同事務所は同じ未来を辿っていたはず。というのも、児玉茂の遺言書ですでに、事務所の解散を指示されていたのだ。児玉蓉子が隠蔽したのは、ほかならないこのことだった。

 圧力、隠蔽、捏造ーー。児玉茂は、自身のやり方がもう時代に合わないことを理解していた。“死に逃げ”のように見えたかもしれないが、一代社長で築いた自身の城の崩壊。これもまた、芸能界サイドに生きる彼への禊といえるのではないかと思う。

 さらに、児玉茂から娘の暴走を止めるように言い残されていた、明石隆之(横山裕)。実は、件の原由梨の真相の捏造をはじめ、奏の妹である平田莉子(茅島みずき)の麻生告発を予見してのネットメディアを使った“置きアンサー”などはすべて、彼が自身で講じた手立てだった。それでも最後の最後で踏みとどまり、児玉茂から託された蓉子を守るべく、咲の事務所に突撃して全力土下座。これもまた禊である。

 余談だが、諸悪の根源といえる麻生はというと、自身の悪行が世間に“匂わされる”様子を目撃して、KODAMAプロダクションの社長室を突撃。その際、児玉蓉子から「何様のつもり!」と、盛大なタコ殴りに遭う。蓉子さん、その戦闘力があるなら咲や奏も実力で倒せたのでは……? なにより、麻生が傷つけたのも女性。それでいて、彼を守り、最後にはタコ殴りにしたのも同じ女性というのが皮肉。児玉蓉子は自身と同じ女性をなんだと思っていたのだろうか。

 続いての禊は、週刊誌=メディアサイド。奏にとっては、妹の自殺未遂に、パパラッチとしての自身の過去の所業を見つめ直すこと。さらに、担当雑誌『週刊文潮』とKODAMAプロダクションの癒着を世間に晒すことで待ち受けているだろう、懲戒解雇がこれにあたる。

 明石隆之の懐刀として暗躍し、原由梨や莉子の捏造記事を執筆したフリーライター・近藤康雄(浜中文一)については、やや禊が甘かった。“でっちあげ”をしたとして、法的措置を検討されていると、咲陣営より予告されたのみ。筆者が同じ立場の人間として思うのは、業界を生きるフリーライターはこんな奴ばかりでないので、勘違いしないでください。

 明石による性加害事案の隠蔽の片棒を担いでしまった、二宮涼(柳俊太郎)。彼については、自身で禊を選択。麻生の再告発に向けて、莉子以外の被害女性に独自取材。良心の呵責と莉子への報いとして、複数人の証言を集めてきた。偉いぞ。

 問題は『週刊文潮』編集長の橋本である。彼については唯一といえるほど、判断が難しい。本作で最も、各方面からの利益を享受しまくっているからだ。KODAMAプロダクションとの癒着やそれに伴う異例の出世については、これまで描かれてきた通り。

 だが、前述したように、麻生の被害証言が複数取れたとなれば、咲の事務所で麻生告発記事を執筆する奏を訪れて「こんなデカいネタ、文潮でやるしかねえだろう」と手のひら返しをしてみせる。児玉蓉子にも「親しき仲にもスクープあり」と反旗を翻していたが、ともあれ本件だけで禊は足りないだろう。彼の言動からして、このあたりの心変わりも別に正義感ゆえの行動ではないだろうし。

 また件の癒着が明るみになったとて、彼は結果的に退職金をもらいそうなところも引っかかった。橋本は常務の椅子を諦め、早期退職制度で退職金を“がっぽり”受け取ると豪語していたものの、懲戒解雇の場合はおそらく受領できないはず。頭の切れる橋本であれば、そのあたりはしっかりと理解しているだろう。それでも奏に記事を書かせたのは彼なりの正義感だったのでは? と思えたが、この後に説明する通り、結果的に記事は『週刊文潮』に載らなかった。これはつまり、橋本の懲戒解雇の回避=退職金受領の可能性が高まったことを意味する。お前、本当になんやねん、と言いたくなってしまう。

 余談だが、メディアサイドを含めるなら、大手芸能事務所に迎合してきたテレビ局なども禊がれるべきだろう。しっかりと反省をしてもらいたい。

 最後は再び、芸能界サイド。咲だ。本連載コラムでは、咲のことあるごとでの問題解決手法が、自身が最も忌み嫌うはずの週刊誌サイドと重なる部分があり、それが最も皮肉であるとたびたび指摘してきた。おそらくは、それすら見透かされていたのだろう。奏が身を削ってまで書き上げた記事を『週刊文潮』に掲載しないと決めたのは、咲だったーー。

 なぜか? それは、自分たちの発信する情報に責任を持たなければ「本当の意味で、この状況を変えることはできない」から。では、どうする?

 選んだのは週刊誌掲載ではなく、自らが世間の前に出ての記者会見だった。麻生の存在はあくまで“俳優A”として止め、事案の詳細についても伏せることに。世間による“私刑”への影響は可能な限り小さくしたこととなる。その代わり、警察に解明を委ねることで、刑事告訴を視野に入れることにした。これこそが、咲と奏が業界の風習を刷新すべく、新たに選んだ道だった。

 ふたりが訴えたのは、主にふたつ。ひとつは、件の事案が「俳優個人の暴走を黙認した、業界全体の沈黙と無責任による人災」だということ。決して、“罪を憎んで人を憎まず”と言っているわけではない。彼は古き芸能界のシステムのなかで“作られてしまった存在”であり、“構造”にも目を向けるべきという話だ。その上で、「どれほどのキャリアがあろうと、どれほどのファンに支持されていようと、他者の尊厳を踏みにじる者に、舞台に立つ資格はない」とは、芸能マネジメントを生業とする咲が熱弁した言葉である。

 もうひとつは、事実と真実の違い。事実は絶対だが、真実は絶対ではない。メディアで方られる“真実”とは、事実を断片的、恣意的に切り取って作られた可能性が高く、奏もこれに同意した。「そうしないためにもこうして直接、自分たちの言葉として伝えることを決意しました」というのは、自らの非を認めるも同然。これもまた奏にとって、本当の意味での禊だったのだろう。

 彼女と同じく、世間にいわば“晒される”形で、この問題を訴えた咲も同様。原由梨を救えなかった。咲が禊ぎたいのは、ただその一心。これこそ、彼女が信じる芸能マネジメントとしての責任の取り方だった。

 我々はいま、新旧ふたつの価値観の歪みに立っている。変わるには勇気が必要で、声を上げることには痛みが伴う。それでも、新たな未来を待つのではなく、作りたい。「いま、この瞬間がその始まりになればと、心から願っています」と、咲の言葉でこの物語は締めくくられた。ドラマのラスト、約1分10秒間。柴咲コウの顔面アップで強く迫られた内容に、誰もが共感を寄せ、行動を変えてくれることを願っている。

 そして、筆者もマスメディアに携わる一員として、背筋を正される想いでございました。いわば、本稿も“事実”の断片的な寄せ集め。それでも、可能な限り事実を事実として伝えられるよう、引き続き精進して参ります……。

週刊記者・“奏”川口春奈の妹はなぜ性加害に巻き込まれたのか? 芸能界の闇が明らかに『スキャンダルイブ』5話

11月19日に放送開始したドラマ『スキャンダルイブ』。本記事ではその5話について紹介していく。

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