あばらや×雨良 Amala対談 現代ボカロPたちが、悩みながらも曲を作り続ける理由

 ドワンゴが主催する、ボカロの祭典『The VOCALOID Collection(以下、ボカコレ)』。8月21~25日に開催される『ボカコレ2025夏』で記念すべき第10回を迎え、ボカロリスナー・クリエイターにとっては恒例かつ無二の場となっている。ボカコレの受賞作品やランキングを追うだけでも、コロナ以降のシーンの移り変わりを大まかに辿ることができるだろう。今回は『ボカコレ2025夏』の開催を記念して、今最も勢いに乗るボカロP、あばらやと雨良 Amalaによる対談が実現した。

 「かなしばりに遭ったら」がSNSや動画投稿サイトでバイラル的な広がりを見せ、さらに「花弁、それにまつわる音声」で『ボカコレ2025冬』TOP100ランキング首位に輝いたあばらや。

 そして2019年からボカロPとして活動し、『ボカコレ』にも精力的に参加。初音ミク『マジカルミライ 2025』楽曲コンテストにて「アリフレーション」が準グランプリに輝いた後、「ダイダイダイダイダイキライ」でスマッシュヒットを記録した雨良 Amala。

 共に「ビルボード 2025年上半期ボカロ・ソング・チャート“ニコニコ VOCALOID SONGS”」にランクインしたふたりが作る曲には、さまざまなジャンル、年代を超えた音楽の要素がミクスチャー的に取り入れられている。特にボカロ楽曲に関しては、往年の名曲の手触りを血肉としつつ、それらを現代的な解釈で自身のアウトプットに昇華させていることが、彼らのヒットの要因なのではないか。

 本対談では、現代ボカロPたちの「個性の模索」や「作家性の確立」について、両者が摂取してきた音楽ジャンルや制作スタイルをもとに紐解いていく(ヒガキユウカ)。

互いの作品から受けた衝撃とリスペクト

――おふたりは、話すのは今日が初めてなんですよね。

あばらや:はい。でも「ダイダイダイダイダイキライ」で雨良さんを知ってはいました。……「ダイ」の数、合ってますか?

雨良 Amala(以下、雨良):合ってます、大丈夫です(笑)。

あばらや:あの曲を友達に勧められて聴いたら、サビのキャッチーさで脳天をぶち抜かれるような衝撃を受けたんです。それからずっと聴いてますね。

ダイダイダイダイダイキライ - 初音ミクVS重音テト - ニコニコ動画

雨良:うれしいです。僕があばらやさんを知ったのは「かなしばりに遭ったら」でした。当時からアングラなボカロ界隈で話題になっていて、聴いてみたら完全に食らっちゃって。それ以降個人的にファンで、ずっと追いかけている状態です。

かなしばりに遭ったら / 歌愛ユキ、ナースロボ_タイプT - ニコニコ動画

あばらや:ありがとうございます。雨良さんって、「ダイダイダイダイダイキライ」の後もコンスタントに楽曲を投稿されていて、制作スピードがめちゃくちゃ速いですよね。僕は時間がかかるタイプなので、すごいなと思って。

雨良:いやいや、あばらやさんは映像もご自身で作られるじゃないですか。そこを考えると作業量が違いすぎますから。逆に僕は、「え、3DCGも自分でやってるの!?」って驚いていましたよ。

僕はもともと商業音楽や楽曲提供をずっとさせていただいていて、多いときは月10曲以上作ったりするんですよ。そっちのスピード感を持ったままボカロ曲作りもやっている感じなんです。

あばらや:自分では考えられない速さですね……。

雨良:僕、あばらやさんの曲のなかで一番好きなのは「アンダーカバー。」なんです。「かなしばりに遭ったら」で食らった後に、あんな良い音のバンドサウンドも作れるんだってまた衝撃を受けて。

アンダーカバー。/ 初音ミク、ゲキヤク - ニコニコ動画

 それと、『うぶごえ』(日本テレビ)であばらやさんの制作環境が映っていたんですが、「この環境であの音出してるの!?」って思って。

あばらやの制作環境

あばらや:見てくださってたんですね。ヘッドホンミックスですし、確かに必要最低限な環境ではあるかも。雨良さんはスピーカーも使ってますか?

雨良:はい。壁も吸音材を貼って、個人で組める限りのものはすべて組んだつもりです。でもだからこそ、あばらやさんのシンプルな環境であの音ができてると思うと、尊敬と悔しさがありますね。

あばらや:雨良さんのような制作環境、憧れてはいるんですよ。実家に住んでいるのであんまり派手にできなくて……。

――早速盛り上がってくださって嬉しいです。おふたりの音楽遍歴についてもうかがえますか?

雨良:もともと小さい頃からクラシックピアノを習っていました。でも、楽譜を読むより自分で音を聴いて弾く方が楽しいと思って、高校生ぐらいの頃からポップスに走ったんです。軽音楽部にも入って、そこから20歳くらいまではバンドをやっていましたね。高校卒業後は音楽の専門学校に進んで、商業作家とバンドを両立するような生活をしている時期もありました。

 ただバンドの方は、僕に音楽面の協調性がなくて、解散しちゃって。「ボカロならひとりでも音楽ができる」と思って、ボカロPを始めたという流れです。今はお仕事として商業音楽や楽曲提供のお仕事をさせていただきつつ、自分個人がやりたいことはボカロでやる、という二足のわらじになっています。

あばらや:僕も雨良さんと同じく、最初はピアノでした。J-POPはあまり聴かない子どもだったんですけど、小学校6年生くらいの頃に友だちが米津玄師さんの「Lemon」を口ずさんでいるのを聴いて、「めっちゃ良いメロディだな」と思って。そこからいろんな曲を聴く過程で、どうやら米津さんがボカロPというものをしていたらしいと知り、自分もやってみようと思って始めました。

米津玄師 Kenshi Yonezu - Lemon

――米津玄師からハチを知る、という順番を聞いてものすごく世代を感じています。あばらやさん、まだ10代で学生なんですよね。

あばらや:そうです。

雨良:お互い年齢公開してるので言っちゃいますけど、僕とあばらやさん10個くらい離れてるんですよね(笑)。

――あばらやさんは、「END」が処女作ですか?

END/初音ミク【初投稿】 - ニコニコ動画

あばらや:それ以前から、趣味でちょくちょく作曲してはいましたね。というか、もともとはボカロをやる前から動画編集をして遊んでいたんですよ。その動画編集ソフトに録音機能があったので、ノートパソコンと電子ピアノをつないで、直に録音して曲をつくったりもしていて。その後ようやく「DAW」というものを知ったという経緯があります。

――動画編集ソフトの録音機能って、本来はナレーションやセリフを入れるためのものだと思うので、それで作曲を始めたというのは面白いです。雨良さんはバンド解散後にボカロを始めたとのことですが、“ボカロの存在自体”を知ったのはいつ頃でしたか?

雨良:小学校高学年から中学生ぐらいのころですね。僕は田舎の方の出身で、近所で唯一Wi-Fiが飛んでいた電気屋さんに『PSP(プレイステーション・ポータブル)』を持っていって、そこで音楽を聴いていました。最初はsupercellをよく聴いていた記憶があります。そこからryoさんを知って、ボカロを聴くようになって……という流れでした。

 その後実家に初めてのノートパソコンが来て、電子ピアノの上に置いて耳コピをして遊んでいました。しばらくは当時流行っていたポップスの曲を片っ端から耳コピしていたんですけど、そこで初めてコード進行というものがあるのを知って。数百曲ぐらいのサビのコード進行を全部メモして、“コード進行ランキング”みたいなものを一人で作っていました(笑)。

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