坂口博信×植松伸夫最新作『FANTASIAN Neo Dimension』から考える、“ファイナルファンタジーらしさ”の正体

 『FANTASIAN Neo Dimension(以下、ファンタジアン)』は12月5日、PS5/PS4/Xbox Series X|S/Nintendo Switch/PC(Steam)向けに発売されたタイトル。本作はAppleのサブスクリプションゲームサービス「Apple Arcade」で提供中のオリジナル版『FANTASIAN』に追加要素を実装して、コンソールおよびPC向けに発売された決定版だ。スタッフとして「ファイナルファンタジー(以下、FF)」シリーズの生みの親・坂口博信氏や、「FF」で多数のBGMを担当する植松伸夫氏が携わっている。

FANTASIAN Neo Dimension ローンチトレーラー

 『ファンタジアン』の舞台は「死械球」と呼ばれる人間の命と感情を奪う球体が、人々を恐怖に陥れている世界。記憶喪失の主人公・レオアは、記憶した場所へ移動可能なワープマシンを手がかりに、世界を渡り歩きながら自らの記憶や世界の謎に迫っていくというあらすじだ。基本的にはオーソドックスなJRPGとして制作されているが、「エイミング」「ディメンジョン」という2つのシステムの実装により、独自性があり直感的なバトルが体験できる。

 エイミングはスキルの軌道を操作して戦う機能。直線・カーブ・円範囲など多様なスキルをより多くの敵を巻き込むように調整し、思いどおりにバトルを進められたときの爽快感や達成感は本作でしか味わえない。ディメンジョンは一度倒したことのある敵をエンカウント時に別次元に閉じ込め、任意のタイミングで戦うことが可能なシステムだ。ゲーム開始時点で最大30体(ストーリー進行に応じて最大数が増加)と一気に戦うことが可能で、先述のエイミングは敵を巻き込めば巻き込むだけ気持ちいいシステムのため相性抜群だ。さらにプレイヤーが移動するフィールドも現実で作られたジオラマをスキャンして取り込んでおり、『ファンタジアン』には伝説のクリエイターたちが練り込んだ斬新な仕様がふんだんに使われている。このことに私はJRPGの新たな地平を見出すとともに、作品のありかたに「FF」らしさを感じた。

 とは言ったものの、肝心の“「FF」らしさ”とは何だろうか。ちなみにこれから提示する意見はあくまで筆者が考えているものであり、当然それぞれの心の中にそれぞれの“「FF」らしさ”が存在することは先にお伝えしておきたい。

 参考までに2022年に実施された『ファイナルファンタジーXIV(FF14)』の第8回14時間生放送内のコーナー「坂口博信×吉田P対談」で語られた“「FF」ってなんですか”という問いに対する両者の意見を紹介する。MMORPG『FF14』のプロデューサー兼ディレクターであり、ナンバリング最新作『ファイナルファンタジーXVI』プロデューサーをつとめる吉田直樹氏は、「ストーリーが深くて、ゲーム体験がすごくて、サウンドが最高で、グラフィックが良くてチョコボとモーグリがいたら、僕の中ではそれは『FF』でいい」「そこにどんなテーマを持ってくるかは毎回違うけど、あとは自由でいいんじゃないかと思っている」と発言。

坂口博信×吉田P対談|第8回 14時間生放送

 対して坂口氏は「『FF』は透明感」と答え、吉田氏との会話のなかで「アニメ的な“ねばっこい”娯楽と比べて透明度があってドライ」「ゲームシステムにおいても、あえて数字やシステマティックなものを表面化している理系的な感じ」と返答。そして吉田氏の「前作の良い評判も悪い評判も引きずらない、挑戦こそが『FF』ですよね」という意見を引き出し、坂口氏も頷いている。

 世間一般で浸透している『FF』のパブリックイメージとしては、『FF3』や『FF5』から連想された、ハイファンタジーとSFが融合した世界観で繰り広げられるクリスタルに導かれた光の戦士の冒険譚。さらに飛行船や召喚獣が登場したりジョブチェンジができたりする……といったところだろうか。しかし「FF」を数作でもプレイしたら、同じシリーズであっても共通しているのは作中用語やアイテム・魔法名などの設定だけで、タイトルに応じてまったく毛色が異なることに気づくはずだ。筆者が思うに、むしろ最低限の「FF」という枠組みでそれぞれの作品のクリエイターがそれぞれの時代で最新鋭のゲームを制作しようとした結果、表出された結晶が「FF」なのではないか。それは先に挙げた「挑戦こそが『FF』だ」という言葉とも合致している。

 個人的に「FF」といえば、ストーリーとシステムの融合が特徴的だと感じている。たとえば『ファイナルファンタジーVIII(FF8)』では魔法をストックする強化システム「ジャンクション」を通じて、従来のシリーズのように召喚獣(ガーディアンフォース)を使用できる。しかし召喚獣をジャンクションすると記憶が失われるという副作用が存在し、傭兵である主人公たちが多用したことによる反動が伏線として物語に組み込まれていたり、ある人物の特殊能力で人から人にジャンクションして操作を誘導するメタな仕掛けが使われていたりする。

 さらに一本道と揶揄されがちな『ファイナルファンタジーXIII(FF13)』のマップ構成も、パーティーメンバーがファルシとしてルシの敷いたレールを歩むからという意味付けがあり、実際ルシの支配から逃れる終盤からは広大なフィールドを自由に探索できるようになる。そして『ファイナルファンタジーXV(FF15)』もオープンワールドで友人たちと各地を巡り、モラトリアムを利用して思い出作りをするという道中こそが作品の本質であるという仕掛けだ。このように各タイトルごとに作り上げられたシステムと、合致したストーリー体験から生み出される「見たことなさ」が、私が「FF」シリーズに感じている魅力だ。

 その「見たことなさ」を生み出すフロンティア精神とも言えるシリーズのありかたこそが、坂口氏が生み出した「FF」の正体であり、ゲーマーを魅了しスクウェア・エニックスの発展を支えてきた原動力ではないかと考えている。そしてその精神は坂口氏が独立し、ミストウォーカーを設立したいまとなっても、『ファンタジアン』に現れていると感じた。『ファンタジアン』は坂口博信×植松伸夫というレジェンドクリエイターが集結した布陣で制作されたタイトルだが、“あのころの「FF」”というノスタルジーを喚起するだけではない斬新さに満ちた作品だ。もちろん一本のJRPGの新作としても楽しいタイトルだが、「FF」らしさをあらためて確かめてみたいファンにも応えてくれるだろう。

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