パッケージ版とDL版は同一価格であるべきか Steamに追加された警告文から考える

 10月11日、アメリカのテックメディア・Engadgetが興味深いニュースを報じた。記事によると、Steamプラットフォームにおいてゲームのダウンロード版を購入する際、「Continue to payment(支払に進む)」ボタンの下に「A purchase of a digital product grants a license for the product on Steam.(デジタル製品の購入はSteam上での製品ライセンスを付与します)」という警告文が表示されるようになったという。報告は日本国外版のアプリの仕様をもとに行われたが、日本版でもおなじように「デジタル製品を購入すると、Steam上で製品のライセンスが付与されます。」という文言が新たに追加されている。

 「コンテンツは、フィジカルとデジタルのどちらで所有されるべきなのか」。あらゆる娯楽をデータで楽しむことが一般的となってきた現代だが、その一方で、こうした提起をめぐるディスカッションを目にする機会は少なくなった。だからこそ、その仕組みについて、あえて明文化されていなくても、ユーザーは“暗黙の了解”として認識していたはずだ。

 本稿では、Steamの対応からゲームソフトのパッケージ版/ダウンロード版のそれぞれの特徴をあらためて振り返り、その価格の妥当性や公平性を考えていく。

着々と浸透するゲームソフトのDL販売

 長らくゲームソフトの流通において中心的な役割を担ってきたパッケージ販売。しかし、昨今では、その座をダウンロード販売に明け渡しつつある。PlayStationプラットフォームを展開するソニー・インタラクティブエンタテインメントでは、2017年3月期に27%だったダウンロード販売のシェアが、6年後の2023年3月期には67%まで拡大した。Nintendo Switchを展開する任天堂も同様で、2018年3月期に20%弱だったダウンロード販売のシェアが、2023年3月期には50%弱まで伸長している。その背景には「ダウンロード専売で展開されるソフトが増えたこと」「ゲーム関連の商品を販売する実店舗が以前より減少したこと」「ECの浸透などにより、オンライン購入に対する消費者の抵抗感が薄れたこと」「より利益率の高いダウンロード販売が流通の中心となるよう、プラットフォーマー/メーカーが戦略的にサービス/商品を展開したこと」といった、さまざまな因子の影響があると考えられる。直近では、大手ゲーム企業のカプコンから発売された話題作『祇:Path of the Goddess』がダウンロード専売で展開されたことも注目を集めた。パッケージ販売は少しずつその役割を終えつつあるのが、ゲーム市場の現状だ。

 そのような情勢のなか、突如Steamプラットフォームに追加されたコンテンツのデジタル購入に関連する警告文。Engadgetは、この変更が2025年に施行されるカリフォルニア州の新法に影響されたものであると見ている。現地で『AB 2426: Consumer protection: false advertising: digital goods.(消費者保護: 虚偽広告: デジタル商品)』と呼ばれている同法は、「オンラインストアで提供されているのは実際のコンテンツではなく、ライセンスのみである」という旨を企業に認めさせるもの。施行により、メーカーやプラットフォーマーはデジタル製品を販売するサイトにおいて、「買う」や「購入する」といった言葉を使えなくなるのだという。

コンテンツ/価格は同一だが、得られる価値に相違。歪にも見えるゲーム市場の構造

『祇(くにつがみ):Path of the Goddess』 1st Trailer

 冒頭で述べたとおり、コンテンツのデジタル所有をめぐる認識は、“暗黙の了解”として消費者に浸透してきた。訴訟大国とも言われるアメリカだからこそ、重箱の隅をつつかせないために、曖昧さを回避する形で法律が制定/施行される面もあるのかもしれない。

 とはいえ、今回のSteamの対応によって、ユーザーは否応なくその事実を再認識させられた。“不文律の明文化”は、パッケージ購入とダウンロード購入、それぞれのメリット/デメリットをあらためてユーザーに考えさせるきっかけとなるのではないか。

 たとえば、前者には、「ユーザーが当該コンテンツを完全所有できる」というメリットがある反面、「プラットフォームの世代交代に弱い」というデメリットが存在する。一方の後者では、今回の件で明言されたとおり、「ライセンスが付与されるにとどまる点」がデメリットだが、「同一のプラットフォーム/サービス内においては半永久的に利用できる点」がメリットである。

 また、ダウンロード購入には、「時間や場所といった物理的事情に限定されることがない」という利点も存在する。フリークのなかには、発売日へと日付が変わると同時に新作をプレイしたり、自宅以外の場所にゲーム機のみを持ち出してプレイしたり、といった経験を持つ人も一定数いるはずだ。こうした利便性の面に惹かれ、デジタル所有を選んでいる層も少なくないと考えられる。

 対し、パッケージ購入を選んでいる人の大部分は、「モノとして所有すること」の価値を重視しているのではないか。周知の事実だろうが、デジタル所有には、「販売元のプラットフォームやサービスが停止となったとき、手元になにも残らない」という、決して小さくない欠点がある。このマイナス面を重くみているからこそ、彼らはフィジカル所有を支持しているのだろう。この構図は、オプションアイテム等への課金に対する抵抗感の有無ともよく似ている。デジタル所有には、「私たちがサービスを享受するために支払ったお金が、場合によっては無に帰す」というリスクが内包されている。おそらく今回のSteamの対応、ひいてはカリフォルニア州の新法『AB 2426』の制定と施行は、このような観点での消費者の“誤解”を防ぐために行われたものなのだろう。

 このように性質の異なるパッケージ購入とダウンロード購入。ゲームを愛好するフリークにとって本稿に書いた内容は、いまさら話題にするまでもないことなのかもしれない。しかし、それだけ当たり前の事実であるならばなおさら、なぜゲームソフトのパッケージ版とダウンロード版は、ほぼ同一の価格で提供されているのだろうか。この提起は、「前者をより高くすべき」「後者をより高くすべき」といった、どちらかに肩入れするためのものではない。上述のメリット/デメリットが全フリーク、さらには全メーカー/プラットフォーマーの共通認識となっているにもかかわらず、同一の価格で提供しようとするからこそ、そこに歪さが生じ、ユーザー間での議論、新法の制定と施行、今回のSteamの対応といった一連の動きにつながっているのではないか。

 たとえば、中古市場が認められている以上は、再販の可能性を残すパッケージ版をより高く流通すべきなのかもしれない。おなじように、ライセンスを付与するにとどまるダウンロード版をより安くすべきという考え方もあるだろう。おなじコンテンツを同一の価格で提供するのであれば、消費者が得られる価値にも均衡が図られるべきではないか。「パッケージ版の予約購入者にコードを発行し、手元に商品が届いていなくても、発売日へと日付が変わった瞬間にプレイできるようにする」「ダウンロード版の購入者が希望する場合、なんらかの形でフィジカルのパッケージ、特典を受け取れるようにする」「それができないのであれば、両者に価格の差を設ける」。今後はこうした対応がメーカー/プラットフォーマーに求められていくのかもしれない。

 小売の分野では昨今、オンラインとオフラインという消費者との接点を区別せず、ひとつの大きなマーケットとして捉えていこうとする動きが加速している。大手チェーンストアなどで導入されている、オンラインストア購入商品の店舗受取や店舗返品はその一例だ。飲食の業界では、モバイルオーダーが待ち時間の解消やスタッフの削減に成果を上げている。実店舗で使えるクーポンをアプリを通じて発行する取り組みもまた、このうちのひとつである。

 今後、『OMO(Online Merges with Offline)』と呼ばれるこの概念への適応が、ゲームをはじめとしたコンテンツを扱うすべての業界に求められていくのではないか。今回のSteamの対応が、デジタル所有をめぐる消費者体験の良化につながっていくことを期待している。

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