「福原遥のイメージをいい意味で壊したかった」『透明なわたしたち』監督が伝えたい“人間の危うさ”

「映画作りを通して社会を見つめる作業をしている」

――そもそも松本監督が映画を作ろうと思ったのはなにがきっかけだったのでしょうか?

松本:ずっと音楽をやっていたんですけど、なかなか芽が出なかったんです。そこで友達のバンドの映像を撮り始めたのがきっかけでした。あとは最初に作った短編がやたら先生に褒められて、そこでちょっと勘違いして、いけるかもしれないと思って本格的に映画を作り始めました。

――最初から映画を作りたいと思っていたわけではなかったんですね。

松本:全然違いましたね。ただ、音楽にも映画にも共通しているのは社会を描くということ。それで言うと映画とかドラマという形に執着しているわけじゃなくて、自分が表現したいものが映画やドラマのフォーマットに合っていたと言いますか。なので、これから自分の表現したいものが変わったときに、その表現方法も柔軟に変わるのかなと思います。

――映画『Noise ノイズ』や『ぜんぶ、ボクのせい』をはじめ、現代の生きにくさみたいなものが共通のテーマとしてあるように感じたのですが、松本監督のなかで作品を作る原動力になっているものはなんですか?

松本:僕自身、上京してから上手く生きられずに苦しい時期があって。その負のパワーみたいなものを原動力として作品作りにぶつけている感覚があります。自分の抱えている負の感情を作品にぶつけられなかったら、僕ももしかしたら事件を起こしていたかもしれない。そう考えたときに自分自身が感じてきたような苦しみとか辛さみたいなものが原動力になっている気がしますね。

――社会性のテーマを正面から描くことはこれまで日本では抵抗感があったと思うんです。松本監督の作品はそこにしっかりと向き合っている。それは社会を変えたいという使命感みたいなものがあるのでしょうか?

松本:もともと社会を知りたいという欲望から始まった部分があって。それは上から社会を描くんだっていうような姿勢ではなくて、いまの社会を知っていくために作品を作っている感覚に近いんです。同じように苦しんでいる人たちに少しでも前を向いて一緒に歩けるような作品を作りたいという思いが根底にあります。

――とはいえ、臭い物に蓋をしたくなる人が大半だと思います。松本監督は目を背けたくなることはないのでしょうか?

松本:もちろん僕も普通の人と同じように嫌なことから目を背けてしまいたくなることはありますよ。でも、そこにちゃんと向き合っていかないと社会は変わらない。僕自身も映画作りを通して社会を見つめる作業をしているような感覚に近いかもいしれません。

――最後にドラマを楽しみにしている方にメッセージをいただけますか?

松本:内容を見ていただくと、構えないと見られないように思われてしまうかもしれないんですけど、まずは気楽になにも考えずに見ていただきたいです。今回は群像劇でいろんな登場人物がいるので、若い人たちだけではなくて、親の世代とかいろんな世代の方が登場人物に共感できると思いますし、誰かにとって大切な作品になってくれたら嬉しいです。

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