吉田拓郎が音楽シーンに残した功績とは? みのミュージックとフォーライフミュージック・後藤豊が語り合う
吉田拓郎が“いまのアーティストに与えた影響”と“社会的なメッセージ”
ーー吉田拓郎さんの音楽がいまの世代のアーティストに与えている影響も大きいのでは?
みの:いわゆる“字余り”的なソングライティングがそもそも拓郎さん由来じゃないですか。いまの作り手の方々がどれだけ意識してるかはわかりませんが、拓郎さんのDNAは非常に幅広く浸透していると思います。
ーー拓郎さんも高く評価しているあいみょんも、吉田拓郎の音楽を受け継ぐ一人かもしれないですね。菅田将暉の父親が拓郎さんのファンという話もありますし、いろいろな人につながっているなと。
後藤:拓郎は作曲家としての才能も素晴らしいですからね。その一つが「襟裳岬」(1974年)ですよね。ソルティー・シュガーのメンバーだった高橋隆がビクターのディレクターをやってて、「森進一に曲を書いてくれませんか?」と依頼があったんです。その頃の拓郎は、さきほど話に出ていた金沢のトラブルがあって、かなり暗い状況だったんです。そういう時期に話をくれたことも含めて「やってみたらどうか?」と持ち掛けたら、本人も「面白いかもね」と。そこで岡本おさみさん(作詞)と組んで書いたのが、あの名曲なんです。まさに捨てる神あれば拾う神ありですね。
ーー「襟裳岬」は1974年のレコード大賞を受賞。昭和の歌謡を代表する楽曲になりました。
後藤:拓郎が提供した曲は、トータルで言えば拓郎節なんですが、メロディラインの作り方が非常に秀逸なんです。ただ当時は(他のシンガーへの楽曲提供は)シンガーソングライターやフォークの流れでは前例が無かった。拓郎はその先駆者でしたね。
みの:それもいまでは当たり前のことですけどね。拓郎さんは作詞家としても達人の域なのに、共作も多いじゃないですか。それも面白いところだなと思います。松本隆さんとガッツリ組んだ「ローリング30」(1978年)というアルバムもあって。
後藤:拓郎や陽水は他人の歌詞を歌うことを厭わなかったんですよね。誰が書いたものであっても、いいものは受け入れるという姿勢だったと思います。
ーー今回のベストアルバムに収録された楽曲もそうですが、拓郎さんの楽曲には時代を越えた魅力があると思います。その理由はなんだと思いますか?
後藤:いくつかの要素があるでしょうけど、そもそもシンガーソングライターは、人になにかを伝えたいから曲を書き始めると思うんですよ。生業になればいろいろな状況に対応しなくてはいけないし、理想だけではやれないところもあるでしょうが、“人に伝える言葉を紡ぐ”ということは変わらない。拓郎もそうだと思います。今のシンガーソングライターを見ていると、必ずしもそうじゃないところもあるんだろうなと感じますけどね。音楽性だったりリズムを含めて曲を作っていると言いますか。言いたいことがあっても言わない人もいるだろうし。
ーー「社会に対して言いたいことはないです」と明言するアーティストもいますからね。
みの:そうですよね。平成に生まれていまの時代に音楽に関わっている自分としては、たしかに「思っていることを言いにくい時代ではあるな」というところもあって。「それを言ってしまったら仕事がなくなる」という無言の圧の中でやっていると言いますか。
後藤:抑圧されていないアーティストが珍しいくらいですよね。そういえば先日、COMPLEXの東京ドーム公演(令和6年能登半島地震」の復興支援を掲げて5月16日、17日に行われた東京ドーム公演)を観たんですが、彼らは偉いなと思いました。戦争もないこの国で、歌だけ歌っている人が多いなかで、この国の一大事に、ああやって立ち上がるわけですから。COMPLEXのライブは2011年以来なので、大変な労力ですよ。いろんな人の気持ちによってライブにこぎつけて、おそらく10数億円のドネーションになる。お客さんも80年代の残像を求めるだけではなく、ドネーションライブに参加した自分を確認できるし、音楽が多くの人に影響を与えて、時代を作っていく素晴らしい形だなと。ああいう人達を見ると「まだまだ日本もなんとかなりそうだな」という気がしますね。なので「言いたいことがない」といういまのアーティストの皆さんも、もうちょっと踏み込んでみたらどうですか? と。もちろんどこまで動くかはやり方は人それぞれだと思いますけどね。
ーー拓郎さんの曲のなかにも社会的なメッセージを含んだものが数多くあります。ベスト盤に収録されている「ペニーレインでバーボンを」にも「気持の悪い政治家どもが 勝手なことばかり言い合って/時には無関心なこの僕でさえが 腹を立てたり怒ったり」という歌詞があって。
みの:それはいまのリスナーにも響くラインですね。
後藤:一つひとつの楽曲についてはなかなか言えないんですが、拓郎、陽水は「個人的なことを歌っているな」という曲のなかにも、自分自身と世の中、あるいは自分たちがいまいる場所や時代との関わりについて言及しているものが結構あるんですよ。
みの:僕は自分の本のなかで陽水さんの「傘がない」を“政治色がない、叙情派フォークの流れの起点”みたいな感じで位置付けたんですが、「あの曲は政治的だろう」とういう声をいただきまして。確かに捉えようによっては、社会悪みたいなものに対する怒りを表現した歌でもあるのかなと。
後藤:陽水に聞いたことがないのでわからないですが、逆説的に世の中に言いたいことがあったのかもしれないですね。
ーー「結婚しようよ」も“政治的なことから個人的な歌への転換点”と言われますが、〈僕の髪が 肩までのびて〉という歌い出しは、反体制的な感じもあって。
みの:髪の長さというのは、60年代後半から70年代のアメリカの音楽でも頻出のテーマなんですよね。クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングの「カット・マイ・ヘア」はまさにそうで、”もう少しで髪を切るところだった”とデヴィッド・クロスビーが暗い声で歌ってるんですよ。髪を伸ばすか切るかは、やっぱり何かのシンボルだったんでしょうね。
後藤:ユーミン(荒井由実)の「『いちご白書』をもう一度」(歌唱/バンバン)にもそういうくだりがありますね(「就職が決まって 髪をきってきた時/もう若くないさと/君にいいわけしたね」)「結婚しようよ」もそうですが、その時代を反映しながらも、今のずっと残っていて。ヒットして2~3年で終わるのか、 何十年経っても聴かれる曲なのか。そこにはやはりなにかがあるんだろうと思います。
みの:拓郎さんの場合は再評価というより、どの時代も先頭を切って走ってきた印象があって。当時は売れなかったマニアックな作品が後から評価されることもありますが、拓郎さんは尖ったことをやり続けながら、ヒットもさせたという意味でも稀有な存在だと思います。
ーー拓郎さんは歌手活動からの引退を表明し、2022年にラストアルバムと銘打って『ah-面白かった』を発表しました。もう新しい曲の可能性はなさそうですか……?
みの:一番気になるところですね。
後藤:僕が言うことではないですが、最近のいくつかの発言を含めて「もう十分やった」という思いもあるような気がしますね。
みの:そうですか……。拓郎さんは以前、「ジョン・レノンが亡くなった年齢(40歳)までは歌う」と話していらっしゃいましたよね。もちろん拓郎さんご自身の自由なんですが、「ポール・マッカートニーの年齢まで歌ってほしい」という気持ちもあります。
後藤:なるほどね(笑)。
みの:ファンの意見ですけどね(笑)。今日は貴重な話を間近で聞けて楽しかったです。ありがとうございます。
後藤:いえいえ。墓場に持って行ってもしょうがない話と、絶対に言えない話があるんですけどね(笑)。
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