まらしぃ×じん×堀江晶太が語り合う、“ボカロ”という表現形態の異色さと面白さ 「前提となるルールが全然制約になっていない」
たった一人に見つけてもらえることが『ボカコレ』の存在意義
ーー話が少し前後しますが、インタビュー前にじんさんは『ボカコレ』にあまり詳しくなかった、とおっしゃられていましたよね。今回あらためて『ボカコレ』について知った時、率直にどう思いましたか。
じん:元々ニコニコ動画の特徴のひとつとして「ランキング」というものがあるじゃないですか。誰が1位かとか、頑張って作った自分の曲の上にすっと誰かの曲が入ってきて「うわーっ!」って頭を抱えるとか(笑)。そういう面において、いい意味で“ニコニコ動画らしい”イベントだと思いましたね。
ーー競争がすべてではない一方で、それによってシーンが活性化されることも事実ですよね。
堀江:僕の場合、若い世代のボカロで制作しているクリエイターと話す機会がここ数年増えていて。そこでよく『ボカコレ』の話が挙がったことで存在を知ったんですけど、彼らはすごくそれにワクワクしていたんですよね。話を聞いていくと、自分を知ってもらえるきっかけになりうるお祭り的イベントであると同時に、自分の曲がどれだけの人に響くのか勝負する場という、どちらの面もある場所だな、と思っていました。僕らが投稿してたころのニコニコ動画にあった熱気を引き継ぎつつ、それをよりブラッシュアップした場というか。
クリエイターって、自分が「良い」と思ったものを真摯に作るマイペースさと、反面大勢の中で自分が光るために、どうしても競争に向かい合わなきゃいけない場面もあって。ただ、僕個人は戦うのがイヤなんですよ。勝ち負け以外の所でのんびりしていたい。でも、そんな人間の「なにか成し遂げてみたい」という所にも、上手に火を付けてくれる場なんだと思いました。
まらしぃ:僕はニコニコ動画の強みのひとつに「コメント」があると思うんです。動画投稿って、最近はある種“一方通行感”もあって、自分自身も作品を投稿した時点で完結してた部分があったんですよね。でも今回、曲を推す人がリアルタイムに集ってる感がすごく楽しかったり、イベント後に自分の生放送でお祝いのコメントを貰ったり思い出を語ったりとか。それによって、2人が話していたような、闘争心やモチベーションの面で刺激を受けて、すごく濃密な時間になりました。
ーーコメントが数値としてだけでなく、一言一言に実感を伴って見える、という。
堀江:それで思い出したんですけど、さっきの若い子の話で、イベントに参加したことで、“ランキングに関係なく『ボカコレ』という場所だから見つけてくれた人がいた”っていう話がすごく記憶に残ってて。数も多くはないけど「ランキング関係なくこの曲が一番好き」っていうコメントをもらった、ってすごく嬉しそうに話していたんですよ。曲を作った1人が、たった1人の言葉で救われるというか、そういう経験が生まれたと聞いただけで、イベントとしての存在意義を確信しましたね。
まらしぃ:参加した以上、動向も気になってちょこちょこ見に行っていたんですけど。自分の動画にリアルタイムでコメントが増えて、それをワクワクしながら見守る感覚に、懐かしい気持ちを覚えましたね。じんさんと「いま、いい位置にいるね」と通話したりして。
じん:まらしぃくんがしっかり緊張していたのは面白かったな。イベントを正しく楽しんでいて、一緒に参加した自分もその気持ちを分けてもらえましたね。
でも、絶対1位になりたい、みたいな話はなかったな。そもそも二人は『ボカコレ』にいずれは参加するもの、という意識はあった?
堀江:いや、正直なかった。
まらしぃ:興味はちょっとあったんだけど、タイミングがね。元々お祭りごとが好きで、コミケとか即売会的な、その場にいる人全員がそのジャンルを好き、みたいな雰囲気が好きだから。
じん:僕はまらしぃくんがいなかったら参加してなかったな(笑)。僕、にぎやかな場所が物理的にも精神的にもすごい苦手なんですよね。
堀江:わかるよ、そんなところに一人で行く勇気ないよね。俺は『ボカコレ』に参加する気がなかったのは、応募する自信がないからだもん。いまのお祭りにオラーって入っていく自信がない。
じん:コンテストって、自分よりずっと若い子たちや、尖った子たちの場という認識も当然あるので。驕っているつもりはないけれど、僕たちがここに出るのはどうなんだろうというのは、まらしぃくんとも話しましたね。僕らが出たのは正しかったのか、僕らの中でどう捉えていくべきなのかって。