ビートルズも活用する「AIによる音源分離」とは? 音楽クリエイティブを支える技術の可能性を探る
音源分離の活用は音楽業界のみならず、他分野にも広がりを見せる
ここまでは主に音楽業界やその周辺サービスにおける活用を紹介してきたが、じつは映画の分野でも音源分離の技術は活用されている。冒頭で紹介したビートルズの新曲制作のきっかけとなったのは、2021年にDisney+で配信されたドキュメンタリー映画『ザ・ビートルズ: Get Back』だった。この時、同作のダイアログ・エディターのエミール・ド・ラ・レイは、AIにビートルズの声を認識させ、背景雑音や楽器の音を4人の声から切り離すことで“クリーン”な音源を作成しているのだ。
それだけでなく、近年、映画業界では、セリフや効果音が“混ざった状態”でしか残っていない古い映画から個々の音を抽出・分離して、ドルビーアトモス方式で空間に再配置する試みもおこなわれている。そうすることで臨場感のある音場を再現でき、そのためにこの技術を活用するケースが増えている。そのほかにも自律型エンターテインメントロボット『aibo』では、音源分離の技術で人の声を聞き分け、それ以外の余計なノイズを除去することによって、音声認識能力を向上させるといった使い方がされている。一口に「AIによる音源分離」といっても、そのユースケースはさまざまであることがわかるだろう。
(参考:https://www.sony.com/ja/SonyInfo/sony_ai/audio.html)
このように、技術の進化とともに活用事例が拡大している音源分離だが、最近では、エンドユーザーにとって使用しやすい環境も整備されつつある。その一例として、ソニーミュージックが開発する『Soundmain Studio』や『Moises』が挙げられる。これらの音楽サービスは、従来のようにプラグインやソフトをPCやスマートフォンにインストールすることなく、ブラウザ上で直接使用できる安価なサブスクリプション型であることが特徴的だ。
『Moises』は元々モバイル向けアプリとしてスタートしたが、現在はブラウザ版も使用可能。機能制限はあるものの無料版も公開されており、今年4月には登録ユーザー数が3000万人を突破するなど、プロ・アマ問わず世界中の音楽クリエイターの間で利用が広がっている。同アプリでは、音源分離させたい音源をサーバーにアップロードするだけで最大5つのパートに分離することができるが、その際に分離された音源はDAWスタイルのブラウザ上に配置される。ユーザーはその画面上で各パートの音量やAIによって自動検出された曲のBPMやキーを任意のものに変更した上でダウンロードすることが可能と、かなり手軽に使うことができる。任意のパートをオフにすれば楽器や歌唱の練習用オケとしても使用できるなど、その活用方法はリミックスやマッシュアップ用の素材作りに留まらない。
冒頭にも述べたように、現状のAIとクリエイティブに関していえば、使用に伴う課題があるのも事実だ。実際、AIによる音源分離を音楽制作に活用するポール・マッカートニー自身もAIの応用については懸念を示し、「未来を見守る必要がある」と述べている。
しかし、AIを肯定的に捉えるクリエイターは、AIを「自身の能力の進化」のために活用するという考えの持ち主が多い。音源分離にしても、本稿で紹介したように時を超えた音源のレストアやリミックスを始め、楽器演奏の練習などアーティストや音楽クリエイターのアイデアの拡張やスキル向上のためのツールとして有効利用できることは間違いない。さらに、従来であれば専門知識を要した技術的な作業が、AIによってより手軽に実現できること、そしてそのスキルが広まっていくことで、いわゆるプロの視点では考えられない、既存の枠組みから外れた斬新なアイデアが生まれることも考えられる。
音楽の歴史を振り返ってみると、その発展にはいつも最新のテクノロジーが関わってきた。昨今の現状を鑑みれば、個人的にもAIの活用や応用についてはクリエイターの権利を守る必要があり、慎重に未来を見守る必要があるとは思う。一方で、ツールとして正しく有効活用することで、これまでにないクリエイティブを生み出す原動力になっていくことに期待せずにはいられない自分もいる。