音楽&音声は脳にどのような影響を与える? 脳科学者が注目する“主観の世界”と“デフォルトモードネットワーク”

脳科学者に聞く「音楽が脳に与える影響」

小説や映画と同様に、音楽も脳に入れば「主観」のイメージが湧く

――音楽が脳にもたらす影響の研究について、最前線のトレンドや注目すべき点はどのようなものでしょうか?

田中:昔は音楽というと、聴覚をメインに研究していた論文が多くあったのですが、私自身は脳全体をネットワークと捉え、「どういう情報処理をするか」という視点で研究を行いました。

 音楽は一旦脳に入ってしまえば、小説や映画を観る時と同様にイメージが広がり、主観の世界に入っていきます。音から入るか、文字や映像から入るかだけの違いなんですね。

 イメージがつくられ、音楽がエピソード記憶とリンクしやすいことはとても興味深いと考えています。エピソード記憶は長期記憶のひとつですが、過去や未来の出来事の記憶です。未来の出来事って不思議な気がするかもしれませんが、脳は過去と未来を区別していません。

 美しい音楽とエピソード記憶がリンクすることで、その記憶が美化されることもあります。先ほど、音楽が脳の広範囲のネットワークで処理されるということを話しましたが、ネットワークの特徴は、音楽以外のあらゆる情報をリンクしやすいところにもあります。脳のネットワーク研究は、現在の脳研究における重要なアプローチです。

 音楽家の脳を調べていた時は、「本当に非音楽家との違いがあるのか」という疑問符を浮かべながら研究していましたが、研究結果が出始めるとその違いが明確に現れ、疑問は一気に吹き飛びました。

――音楽家とそうでない人との違いはどのように見られたのですか?

田中:左脳には、ロジカルな言語情報処理を行う言語野が存在していて、「話す」や「理解する」などに対応する部位が複数あり、それぞれ異なる情報処理を担っています。それらがネットワークとしてつながり、全体的な言語情報処理が行われているんです。

 一方で、音楽家の脳は右側のネットワークが発達していることがわかってきました。音楽も言語情報処理に類似の情報処理を行いますが、右半球も使うのは右脳が感情とリンクしやすいネットワークを持っているからです。

 また、音楽家は視覚野の発達もしていることは予想外の結果でした。音楽家ゆえに聴覚野が発達していることは予想できると思いますが、非音楽家との聴覚野の違いより視覚野の違いの方が断然大きかったんです。

 たとえば、初見演奏の様子を見ていると、複雑な楽譜でも瞬時に把握して演奏に結びつけることに驚かされます。とくにピアノ曲のような複雑な楽譜を演奏するためには、視覚野を使った情報処理を活用しているのではないかと思います。

 また、演奏スキルに関する脳部位・ネットワークにも特徴が出ています。脳科学や心理学で「手続き記憶」と呼ばれている長期記憶があります。楽器演奏のほかに、自転車の乗り方とか、泳ぎ方や、スポーツなど、身体で覚えるタイプの記憶です。

 エピソード記憶と違って言葉で説明しにくく、習得するのに時間がかかるけど一度覚えたら忘れにくいことが特徴です。脳の中に手続き記憶に関連したネットワークがあることが知られていて、閉じた神経回路になっていることも判明しています。高いスキルを持った演奏家は、このネットワークがスリムになっていることが私たちの研究で明らかになりました。

 私は長期にわたるトレーニングで、少しずつ無駄な神経結合が省かれ、無駄な動きがなくなったことでエネルギー効率が高まり、スキルレベル向上に寄与したと解釈しています。

音楽と脳の関係を探る上でキーになる「報酬系」と「DMN」

――レポートには「悲しい音楽の再生中でも、Spotifyの利用時に気分が高揚する」という報告がありました。聴いている音楽と気分の移り変わりはどのような相関関係になっているのでしょうか?

田中:悲しい音楽を聴いて「悲しくなる」というよりは、美しさに感動して、また頑張るぞというような「ポジティブな気分になる」ことが多いと思います。

 脳には「報酬系」と呼ばれている部位があって、人に褒められたり認められたりする時に活性化しますが、美しさに感動する時も報酬系が活性化することが実験で示されています。以前、私の研究室で学んでいた学生が、卒業研究で「ヒット曲のコード進行には脳を活性化させる共通の特徴があるのではないか」という仮説を立て、音楽聴取時の脳波を解析したところ、これも報酬系の活性化と関連があることがわかりました。

 他方で、パチンコなどのギャンブルやドラッグ、飲酒なども報酬系は活性化しますので、安易な方法で活性化させないように注意する必要があるでしょう。人によって反応の出方が異なるんですが、快感を忘れられずに依存してしまうのは、強い反応が出るタイプです。それでも、正しく使用すれば、日常のいろいろな場面でモチベーションを高めたり、辛くても努力を継続できたりするため、報酬系の活性化は非常に大切なものになっています。こうしたなかで、音楽を上手に使うことは大事だと思います。

 音楽と気分の移り変わりの相関関係については、アルツシュラーが提唱した「同質の原理」というものがあることが知られています(『音楽する脳と身体』p.57)。

 これは悲しい時は悲しい音楽を、楽しい時は楽しい音楽を聴くのが良いという経験則です。この原理は音楽療法で用いられていて、患者の気分に合った音楽を聴かせることで精神的に良い方向へ向かわせることができるそうです。最近では、お風呂でぼんやりしたり、旅先で何も考えずに窓の外を眺めたりする際に活性化する「デフォルトモード・ネットワーク」(DMN)という脳の神経活動にも注目が集まっています。

 以前に、痛みを慢性的に抱える難病の方にモーツァルトの室内楽(ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲ト長調 K.423)を聴いてもらい、その前後でMRI検査を行って「脳のネットワークがどのように変化するか」という実験をしました。その結果、デフォルトモード・ネットワークと痛みを感じるセイリエンス・ネットワーク間の相互抑制が一時的に弱まったんです。

 これは、モーツァルトの心地よい音楽を聴くことで、ストレスや痛みの悩みから気が紛れ、抑制されていたデフォルトモードネットワークが解放されたということを示しています。このデフォルトモードネットワークは病気のみならず、机に向かって仕事をしている時なども抑制されています。こういう状態が長く続くことは望ましくありません。気分転換のためにぼっとする、リフレッシュを兼ねて旅行に行くなどの行動を取ることは脳科学の観点からも重要であり、これからは音楽の世界でもデフォルトモード・ネットワークが注目されるようになると思います。

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