“合憲”と司法判断された「香川県・ゲーム条例」 判決に覚えた違和感の正体
法令とは社会通念である
高松地裁が説明した2つ目の理由「条例が具体的な権利の制約を課すものではなく、憲法に違反するものということはできない」にも疑問が残る。「具体的な権利の制約」を課さなければ、特定の分野に対し、悪しきイメージを持たせかねない内容の条例が存在してもよいのかという点だ。
法令とは社会通念である。認知されることで、特定の行動に対する印象を誘導している点から目を背けてはならない。違反にともなって与えられる罰則は抑止的な意味合いが強く、その有無は法令の正当性を認めるためのものではない。本来であれば、「憲法に違反しないもの」でなければならないはずの条例が、「憲法に違反するものとは言えない」ことを理由に認められていくのであれば、その構図は“悪魔の証明”的とも言わざるを得ない。
条例の妥当性を認める判決が前例として残ることで、同様の動きが全国へと広まる可能性も出てくる。そうした社会が現実のものとなれば、ゲーム・eスポーツの文化は衰退の一途を辿ってしまうだろう。ほかの業界へ波及すればエンターテインメント業界全体が萎縮する材料にもなりかねない。
もちろん条例として成立・施行されたからには、簡単に否定できない状況にあることもわかる。今回の判決をきっかけに、社会がもう一度「香川県・ゲーム条例」について考えていく必要があるのかもしれない。
(画像=Unsplashより)