ミステリー作家とQuizKnock、2つの目線から考える「謎解きの面白さ」 似鳥鶏×河村拓哉対談

 水平思考と推理思考は似ている部分がある

ーーQuizKnockのメンバーだと、謎解き系の問題はどなたが得意でしょうか?

河村:ふくらPですかね。嗅覚が鋭い感じがありまして、ある種のメタが入っていると思うんですけど、「こういう形式だったら、こういうのが答えになりそう」とか「これで出題できるとしたら、この辺だから」みたいに言える特徴を持っていると思います。

ーー確かにふくらPさんは、ひとつ上の次元から全体見下ろしているような感覚を受けます。暗号を解いたり考える際に、水平思考クイズ「ウミガメのスープ」のような発想になってくるのかなと、素人ながら思っていまして。発想をどこで結びつけるかが非常に肝になってくるんですかね。

河村:暗号解読は、本文に対して解く時点では関係のない発想を1つ持ってきて合体させると結果が出るようになっているはずです。たぶん「ウミガメのスープ」も問題があって、関係のない発想を1つ持ってきて答えを導き出すプロセスは一緒だと思います。

似鳥:ミステリーの推理がそれに近いかもしれません。私の中では「オープンパズル」と「クローズドパズル」と呼んでいるんですが、たとえば「懐中電灯を持った人がひとりいて、吊り橋まで渡るのにAさんは10分かかる。Bさんは5分かかる。吊り橋は一度に2人ずつしか渡れない。全員が最短で渡りきるには何分かかるか」という問いに対し、「懐中電灯を投げ渡す」という解答がアリなのがオープンパズル、あくまで「誰が先に行くと早いか」というルール内で考えるのがクローズドパズルです。

 現実だったらそういう手段が取れるわけなんで。そういう意味では、オープンパズルであるミステリーは同様にオープンパズルである「ウミガメのスープ」の頭の使い方にかなり近いと思っています。一方、クイズパズルの場合はクローズドパズルの側面が強く、いわば「一休さん的なことはやってはいけない」という了解があるなかで、一定のルールに沿って正解を探さなきゃいけない。

 なので、自由に現実的なことを考えて謎解きしていくのはミステリーの頭の使い方に近いですね。

ーー水平思考と推理思考は、たしかに似ているようにも感じてきました。似鳥先生は日頃からご自分で暗号を解いたりしているんですか?

似鳥:人の作品を読む場合は、解けるまでページをめくらないようにしています。解く過程で2つ解答が浮かんだ場合、1つは正解でももう1つは自分のネタになるからです。あとはパズルなんかも見かけると、つい挑戦したくなっちゃいますね。

 “ひねくれた思考”がミステリーを書く基礎体力になった

ーー小説家になる前から、ミステリーを読んだらとりあえず解いてみることをやっていたんですか?

似鳥:そうですね。問題を出されたら、まずはトライしてみることをやってましたね。『頭の体操』というパズル本シリーズが出ていまして、小さい頃から問題を解いていたことで、“ひねくれた思考”が身についたというか。そこで鍛えられたひねくれ思考があるからこそ、問題が現れたら挑戦するのが当たり前になったのかもしれませんし、ミステリーを書く基礎体力にもつながっていると考えています。

ーー河村さんは、昔から何か問題が出てくれば頭をひねって解こうとしていました?

河村:似鳥先生ほどではないですが、そういう傾向はあったかと思います。解き方を考えるよりも「解けそうかどうか」という視点で考えていたかもしれません。数独をパッと出されても放っておきますね。だいたい30分くらい考えれば、なんとなく正解にたどりつけると思ってしまうので。それよりも、一見どうやっていいかわからない問題は頭をひねってでも考えがちですね。

ーーそれって、解いてみようという段階から、さらにひとつ上の見方で「解くに値するかどうか」を判断しているってことですかね。

河村:言ってしまえば、ある意味その感覚なのかもしれません(笑)。

似鳥:解いて面白そうな問題と、問題としてはいいけどこの手のものは知っているからパスする、みたいなのはあると思います。数独なんかは解き方は先まで見えていて、それを知った上で決められたコースに沿って解くことを楽しむジャンルです。一方、クイズやパズルとかで「これ、どうやればいいの?」という問題が出ると、その解答を知ったときに作者(出題者)のアイデアが垣間見えるのが非常に楽しいんですよ。

ーークイズをそのような発想で考えたこともなかったので、お二人の話を聞いていて驚いています。似鳥さんにお聞きしたいんですが、『夏休みの空欄探し』で登場する主人公のクイズ・パズル研究同好会という設定の背景はどのようなものだったんですか?

似鳥:最初は編集担当の方と高校生が主人公になるストーリーにしようと話していました。それこそ、高校生クイズに挑戦する本格的なクイズ研究会の設定にしようと思ったんですけど、漫画『ナナマル サンバツ』で全部やっていると(笑)。競技としてのクイズは非常に面白く、そこを題材としたストーリーはすでに世に出ているので、「同じ内容でしょ」と言われたくないと思って。

 とりあえず、クイズ・パズル研究同好会という設定ではあるけれど、主人公が知識を生かしてあちこち旅する話が面白いんじゃないかと思って、今のあらすじになりました。元ネタがネット上で話題になった「Cicada3301」で、ああいった謎の暗号に挑戦するというのを作品として書いてみたかったんです。(※似鳥鶏氏注:Cicada3301という謎のアカウントがウェブ上に暗号を提示し、それを世界中の人が解こうと挑戦したことがあった。結局Cicada3301が何のために暗号を出したのかは不明のままで、解くと某IT企業にヘッドハントされるとか、知能が高すぎる人間をあぶり出して消す政府の陰謀だとか様々な憶測が飛び交ったが、真相は今もって謎のままである。)

ーー『夏休みの空欄探し』で主人公が「役に立たないことを覚えるのが好き」みたいなことを少し口に出していました。似鳥さんや河村さんは、知識を得ることを楽しむ極致にいらっしゃる方だと感じていますが、お2人の知識を得たり謎解きしたりして楽しむ原体験は何かあるんでしょうか?

河村:強いて言えば子どもの頃は図鑑を読んでいるタイプだったので、そこが原点になっているかもしれません。知識は増えれば増えるほどいいなとは思っていて、何かを知るとなんとなく楽しいという感覚はあったと思います。

似鳥:河村さんと同様に、僕も小学校の頃は図鑑を読む子どもでしたが、中学の頃に読んだ『女神転生』というゲームの攻略本が原体験になっています。ゲームに出てくるモンスターが全て実在の神や悪魔なんです。その攻略本にはゲーム攻略の解説のみならず元ネタの怪物の解説が事細かに載っていて、これを読むのがすごい好きでした。モンスター一匹ごとに、その原典にあたった解説は秀逸で、自分にとっても衝撃的な内容でした。それを見ているうちに、自然と知識が蓄えられていきましたね。

 個人的に、2〜3歳の頃から、図鑑に出てくる名前を片っ端から覚えたくなるような「知識欲期」が始まるのかなと思っていまして。小さい子が電車を指さして「E233系!」と言ったり、そのまま進化して電車・車・恐竜・プリキュアなどのオタクになる時期がありますよね。僕自身、その頃にたくさん知識が載っているものに触れさせてもらったり、大人も知らないようなことを見つけて褒めてもらったりしたことが、知る喜びの源泉になっている気がするんです。知識が増えると世界が広がるし、わからないものもわかるようになるし、見えないものが見えるというのは、本能的に楽しいんじゃないかなと思っています。

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