『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』を文化人類学者が分析 人間の未来を考えるトークイベント「Cinema未来館」レポート

GITSから人間の未来を考えるトークイベント開催

 続いてトークは、上映前に宮田氏が提示した「作品の世界と2022年の世界で生活スタイルはどのように違うか」というテーマに移る。

 久保氏は、作品内のコミュニケーションは電話やトランシーバーなど「同期型」のものばかりで、メールやチャットのような「非同期型」のものがなかったと指摘。公開当時の95年あるいは、原作が連載開始された89年には、非同期型のコミュニケーションが主流になることは予想できなかったのかもしれないと語る。

 現代では、むしろ非同期型の方が心地よくなっているのは確かで、久保氏は5年くらい前までは学生と食事している時にスマートフォンを使われることが気になっていたが、今は気にならなくなったそうだ。非同期型コミュニケーションが増大するにつれ、ともに時間を過ごすということへの価値観が変わってきたのだろう。

 また、指が分裂して高速タイピングする人物が作中に登場するが、当時フリック入力の出現がやはり予期できないことだっただろうとも指摘した。

 そして、話は本作のテーマである人間の精神性と身体性の話に移る。科学の発達に伴い、人体の謎が解明されるにつれて、あるいは人工物の機能が向上し、人間の能力に近づくにつれ、人の生体機能と機械の違いは認識しづらくなってきている。ある意味、人の身体は機械なのではないかという問いが生まれるが、久保氏は、身体が機械であるというのは17世紀から主張され続けていて、それが科学のベースなのだという。その考えの元では、物理的な身体を超えたところに精神はあるはずはないという結論になる。

 ところが、人間には自由な意思があるはずと一方では思われてきて、その相反する主張が延々と繰り返されてきたと久保氏は主張する。この矛盾のループがどうなれば止まるかを久保氏は考えているのだそうだ。

 また、会場からの質問で、草薙素子は全身義体なのに、バトーが彼女に上着をかけるのはなぜなのか、生身の裸体ではないのだから恥ずかしくないのでは、との問いに久保氏は「恥の概念はとても日本的で文化によって決まる。機械だとしても身体のように見えれば恥じらうことはあり得るのでは」と答えていた。

 久保氏は、最後に本作の最後の台詞「ネットは広大だわ」という言葉について考えてみてほしいと会場に投げかけた。あの言葉の公開当時の受け取り方は、ホームページを作れば世界中の人に見てもらえるというポジティブなものだっただろうが、実際には、趣味の近い人ばかりとつながることになり、かえって狭くなったということが現実ではないかと語る。つまり、仮想と現実の狭間の奥行きが広大だということなのではないかと久保氏は考えているようだ。

 白熱したトークは予定時間を過ぎても続いた。

 宮田氏は、本作にはまだまだ色々な切り口で議論が出来る可能性がありそうだと、可能性を語りトークセッションは幕を閉じた。

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