ゲームは本当に「リアルなほうがいい」のか? 『エースコンバット7』や『グランツーリスモ7』の例から考える
ゲームは努力と見返りのキャッチボール
『エースコンバット7』と『グランツーリスモ7』というふたつの作品を引き合いに、今回はゲームにおける現実性と娯楽性の両立の難しさや、バランスを損なうことによって起きる反応などを書いた。
悪天候でも空戦をこなすことと、膨大なお金を貯めて希少な車を買うことは、一見違うが根本は変わらない。そこには困難を乗り越えて達成感を噛み締めてほしいという開発側の熱意がある。それは演出として機能する反面、プレイヤーに多大な苦労を強いる。上手で根気のある人には良いが、悪天候で飛行すらままならない人や、1台のためにわずかなお金をコツコツ稼ぐことにストレスを感じる人にとっては、なかなか厳しい。
ゲームでは、プレイヤーがコントローラーを持って世界に介入し、独特の世界観や物語を理解するだけでなく、バトルをこなすための専門用語や知識を学び、試行錯誤をくり返さなくてはならない。その過程で、十数時間、場合によってはそれ以上の時間を費やすことになる。だからこそ、演出という曖昧なものではなく、武器やアイテムといった分かりやすいものを見返りにしてプレイヤーの意欲を高め、バランスを取ることが重要なのだ。
私の考えからすると、良いゲームの条件は、努力と見返りのキャッチボールができているかどうか。つまり、演出としてリアリティを突き詰めるところと、ゲームとしてデフォルメするべきポイントを抑えていれば、どんなものでもゲームになる。現実のようなグラフィックだろうが、古めかしいドット絵だろうが関係ない。ゲームは見かけによらないものだ。