連載「multi perspective for metaverse」第二回(ゲスト:awai)
メタバースによって接近する“アバターとファッション” DJ RIO × awai(fale)が語り合う
“アイコン”も”フィルターでどう見せたいのか考える”のも全部ファッション
ーーさきほどのお話でも出ましたが、メタバース上では服装だけでなく肉体も変化させることが可能です。ファッションとアバターとはどのような関係にあるのでしょうか。
awai:ファッションを考えるときに、ただの服装だと考える場合と、装い全体を考える場合の2種類があります。
装い全体を考えるとすれば、服だけでなくメイクもファッションだし、いまではライフスタイルや部屋に置くものもファッションの領域にあると言える。さきほども出たようにファッションを「人とコミュニケーションを取るためのインターフェイス」と考えると、そこに当てはまるものであれば基本的には全部ファッション、装いといえます。
もちろん、今日の話題の中心になるアバターもファッションですし、もう少し手前だとSNSで利用されるカメラフィルター、プロフィールアイコンも装い・ファッションとして全部アバターと地続きになっている。
さっきのDJ RIOさんのお話でもありましたが、「SNSで自分をどう見せたいか」を考えるときに、アイコンをどう作るか、顔にどんなフィルターをかけてどう見せたいのか考えるのも全部ファッションだと言えるんです。
DJ RIO:僕はアバターの話をするとき、自分が他者に見られるときに何を経由して見られるのかが変化していることを意識します。10年前くらいまでは、自分が他者に見られるシチュエーションというのはフィジカルに対面したとき以外になかったですよね。
そのときに見られるのは自分の顔であり身体なので、化粧をしたり服を着たりすることで自分を表現した。けれど、この10年くらいでスマホとSNSの時代になって、自分が他者に見られている総時間を考えてみると、SNSで見られている時間の比重が圧倒的に上がっている。そうしたらSNSの上での見た目をコントロールしようと思うのは自然なことじゃないですか。カメラフィルターが発展しているのはまさにそういうことですよね。
それがさらに最近になると、たとえば毎日『Fortnite』で友達と遊んでいる人からすると、自分が他者から見られている時間の中で、『Fortnite』の時間の比率が上がっているわけです。そうすると『Fortnite』のスキン・アバターを買うのは自然な考えです。
自分が他者と接するときに、どのチャンネルを介してほかの人に見られているのか。その比重に合わせて、ファッションに対する注意やお金の掛け方、重要度が連動して上がっていく。特にここ2年くらいはコロナ禍になって、対面で人と集まる機会が減っていることもあり、デジタル空間で人に見られることが増えていると思いますよね。
メタバースにもある、シチュエーションに合わせたファッション
ーー実際にお二人は、メタバース上ではどのようなファッションをされ、使い分けていますか? 第1回の対談でも「渋谷に住むのが好きな人もいれば、浅草に住む人が好きな人もいれば、北海道に住む人が好きな人もいる」という例えが出てきましたが、世界観ごとに適した装いも変わってきそうですね。
DJ RIO:デジタル空間上における自分のアイデンティティ・ペルソナがこのアバターなんですが、僕のアバターの問題は、そうそう簡単に服を着替えられないんですよ。服を増やすためにデザインやモデリングが必要でお金も手間もかかる。
REALITYの場合だと、毎月新しい衣装を出しているのでユーザーの人たちも季節に合わせて、その季節の服やREALITY内での流行の服を新しく買ったりと、みんなが色々なコーディネートを楽しんでいる。深夜にマッタリ配信するときはパジャマにしたり、アプリ内イベントで花火大会があったときは浴衣にしたり、シチュエーションに合わせてファッションを楽しんでますね。
awai:アバターと着替えの問題が話題として出ましたが、僕は自分で全部モデリングをやるのはちょっとハードなので、VRoidをベースとして使って場に応じて着替えるという使い分けをしています。
ゲームの話をすると、僕は『Apex Legends』をやっているんですけど、やっぱり『Apex』内でもスキンをついつい買ってしまって結構お金をつぎ込んでいます(笑)。一緒にやる人と被らないようにしたり、ハロウィンの期間は限定のスキンに変えたりとイベントごとの装いを楽しんだり。それが特にここ2〜3年は増えた印象です。
ーー私の周りにも、2人で一緒にゲームをするときは、同じテーマのスキンをあわせて使う人がいるので、その話はわかりやすいですね。そのようなメタバース上でのファッションの楽しみ方は現実世界のファッションに影響を与えることがあるのでしょうか?
DJ RIO:最近気づいた面白い傾向として、メイクと整形のトレンドがフィルターに寄せられているんですよ。
これはアバターもフィルターも同じなんですけど。いわゆる現実よりも強調された美人像みたいなもの、たとえば整形している美人が人気になるとそれに合わせるようなフィルターが人気になるし、フィルターを通した自分の顔に合わせるような整形をみんながし始める。
少し前まで、整形をする人はあくまで“自分のなりたい顔”になるためにしていた。けれどいまは手軽にフィルターでなりたい顔になれる。ある意味、自分が普段見慣れている自分の顔ではなく、自分がSNSに上げているフィルターのかかった後の顔のほうが、自分だという意識が高くなってきているんです。そうすることで、フィルターを通していない自分の顔に違和感が出てくる、というのは面白いですよね。
REALITYを観測していても、ヘビーユーザーになると、自分の動きと同じ動きをするアバターが手鏡みたいにスマホの中にいて、それを見ながら他の人と喋っているので、やっぱりアバターと自分を同一視する傾向が強くなる。そうなると、リアルの自分をアバターの自分に合わせたくなってくるのか、髪色や髪型をアバターに合わせたと言って写真を上げているユーザーを良く見るんですよね。
awai:僕が考えていたのはもう少し射程の長い話なんですが、メタバースが広がってコミュニティごとにその装いを切り替える、技術的にスイッチングが簡単になると、「Aさんから見える自分」と「Bさんから見える自分」を切り分けて表示することもリアルタイムでできるようになる。そうなると、相手にどう見えるかコントロールできるし、相手からもコントロールされる。すると、装い自体も自由になってきて、どう見られているかっていうことすら、気にならなくなるんじゃないかなと。
DJ RIO:まさにこの対談でお題にしたかったのがいまの話。「見られたい分を見せる権利」と「他者を自分が見たいよう改変する権利」ってぶつかるけれど、最終的にどっちが優先されるのかという。
これは普通に考えると、自分がほかの人をどう見るかをコントロールすることは、ある意味でプライバシーコントロールやアクセスコントロールに近い概念です。メールの受信拒否にも近くて、自分がほしいメールを選ぶ権利は受信者にあるわけです。「いや、こいつには俺のメールを絶対届けたい」って、権限を持てるわけがないじゃないですか。そう考えると、見ることも見られることも技術的にコントロールできる社会では、究極的には見る側がコントロールする権限を持つ気がしています。