連載:mplusplus・藤本実「光の演出論」(第二回)

身体を拡張し、感情に作用する……「人の身体が光ったら」を追求して見つけた“光の重要性”とは

「ディスプレイに身体性を持たせる」という逆転の発想

ーーハードウェアについては今後の連載回で話していくと思うのですが、この数年は群としての光の演出を進化させていく過程で、身体を使ったものから道具を使ったものへ変化しているような気がします。

藤本:そうですね。2016年に衣装に着けるLEDが5000粒を越えて、映像を身体に表示させることができたとき、ある種限界というか、もうこれ以上やることはないと思えました。つまり人間のサイズを変えない限りどうしようもないなと。そこから大型ロボットアームや立方体ディスプレイなど、色んな物体を演出するという発想にシフトして、フラッグやリボンなど、見え方自体が変わるようなものを作っています。とはいっても、その限界はライブエンタメ的なものであって、ある種のビジネス的な限界でしかないのですが。

ーーでは、個の演出として「身体と光」にできることはまだある、ということですか。

藤本:現在、横浜のBankART Stationで開催されている企画展『グレートリセット・スモールリブート』に出展した「Pixel Beings - Bboy」がまさにそれを表しているものです。ずっと平面のディスプレイの中で映像を作って、それを衣装にして身体の上で表現しているのですが、その場合、ダンサーさんたちに静止してもらって、映像だけを再生するんですね。そのとき、人は動かないのに立体的に映像が走るのが面白いなと思って。

Pixel Beings - Bboy -

ーー動いてないけど動いているという感覚ですね。

藤本:そういうことです。ある種の気持ち悪さというか。あとは「人の身体が光ったら」というコンセプトで色んなものを作る中で、映像を平面で見ても何も感じないのに、身体性を持つことで意味が生まれるものもあるのかもしれないと、逆転の発想で「ディスプレイに身体性を持たせる」というアイデアを思いついたんです。以前から考えていたものの、技術的な制約で難しかったのですが、このタイミングならできそうだと思い、実際に作り上げることができました。これがただの円柱のディスプレイスピーカーなら何も感じないと思うのですが、人間の形をしていると「なんでこのファッションなんだろう、なんでこの映像なんだろう」と急に色々と想像するようになるのが面白くて。しかも、映像が動いている時よりも止まっているほうが、身体性を帯びてくるというのも作ってみて改めて感じたことでした。

ーーたしかに。映像が止まっていたほうが足として認識できます。

藤本:映画『ターミネーター』のように身体を変化させるキャラクターはフィクションに存在しますが、それを現実にする一歩目のようなデバイスになっていると思います。身体が拡張するのではなく、ディスプレイやピクセルが拡張して、ピクセルに意味を持たせることができました。

ーーこれはライブエンタメ的な観点だとたしかに生まれないアイデアですね。

藤本:足元だしサイズも小さいので、ライブでは絶対に使えませんね(笑)。ライブエンタメでできることと自分で作品を作ることは全然違いますし、会社としてエンタメで使えるものも作っているのですが、両軸でものづくりをしていくことで、自分がこれまで発見した「身体と光」をさらに拡張させることができると感じています。

ーー両軸で作ることが、アイデアを整理することにも繋がっていそうです。

藤本:そうですね。「エンタメにする=わかりやすくする」という意味で、どうしても大味になりがちなので、ここを突き詰めて考えたいとなると、どうしても違う形にする必要があります。現状として、デジタルミュージアムやインスタレーション的なものは世の中に増えている印象なのですが、そこに身体性を持ち込んでいるものは少ない気がするので、自分としてはひとつの新しいジャンルを作っていく気持ちで、個展などを含めた発表を続けていこうと思っていますね。

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