あの人のゲームヒストリー 第十九回:スリムクラブ・真栄田賢

堀井雄二氏との意外な交友録も!? スリムクラブ・真栄田賢が語る“深遠なるゲーム愛”

 ゲーム好きの著名人・文化人にインタビューし、ゲーム遍歴や、ゲームから受けた影響などを聞く連載“あの人のゲームヒストリー”。今回話を聞いたのは、お笑いコンビ・スリムクラブの真栄田賢だ。

 『M-1グランプリ』で準優勝を果たしたのは、2010年のこと。この時に披露した極めてスローテンポな漫才は大きな注目を集め、一躍売れっ子芸人の仲間入りを果たした。

 そんなスリムクラブのボケおよびネタ作りを務める真栄田だが、実は驚くほどのゲーム好きであることはあまり知られていない。

 ゲームは命――。そう公言する彼の、知られざるゲームとともに歩んできた半生と現在のプレイ実態、さらには、堀井雄二氏との意外な関係などを今回のインタビューで聞くことができた。

小学生から現在まで35年間「ファミ通」を愛読

――まずは、真栄田さんのゲーム遍歴から教えてください。最初にゲームをプレイしたのはいつのことだったのでしょう?

真栄田:覚えているのは、ばあちゃんちに預けられてた5歳の時。なぜか家に置いてあったアーケードゲームの筐体で「ブロック崩し」をプレイしたのが、僕にとって最初のゲームとの出会いでした。

 その次に遊んだのが、ゲームウォッチ。ニワトリが産んだ卵を、バスケットを持ったミッキーマウスがキャッチするゲームをよくやってました。小学生2年生の時には、当時発売されたばかりのファミコンを、親父が忘年会の景品で当てて持って帰ってきてくれた。そこからは夢のような時間の始まりです。「なんじゃこりゃ!」と。ブロック崩しもゲームウォッチも面白かったんですけど、家のテレビでゲームをできるということがとにかく衝撃的でしたから。毎日、朝4時か5時に早起きして3時間ぐらいファミコンで遊んでから学校へ行く、ということをしていました。

――ファミコンでプレイしていたタイトルは?

真栄田:最初の頃は、オーソドックスに『ドンキーコング』『デビルワールド』『スパルタンX』『ピンボール』など、任天堂初期のタイトルをプレイしていました。そこから少し経つと、他のゲーム会社も面白そうなタイトルを次々と発売するようになります。中でもコナミは、子どもながらに「この会社は大丈夫」っていう安心感から贔屓にしていて、『グーニーズ』『グラディウス』『悪魔城ドラキュラ』などに熱中していましたね。その後、小学校4年生の時に夢中になったのが『ファミスタ』。放課後に友だちを家に呼び、自分たちで作ったトーナメント表で対戦して、盛り上がった記憶があります。

――中高生時代もゲームはしていましたか?

真栄田:バリバリやってました。僕が中学・高校生だった90年代前半は、PCエンジンやメガドライブが発売されて、ゲームが一気に華やかになった時期。とにかく驚かされたのが、グラフィックの美しさです。当時、ファミコンにはないワンランク上のクオリティを求め、アーケードゲームの『R-TYPE』や『魔界村』をプレイするためによくゲームセンターへ通っていたのですが、PCエンジンとメガドライブが登場したことによって常識が覆されました。だって、『R-TYPE』並みのゲームが家でできるんですから。『ファミ通』で、PCエンジンの『カトちゃんケンちゃん』を知った時なんかは、あまりの映像の綺麗さにびっくりしましたね。

――『ファミ通』を読まれていたんですね。

真栄田:はい。というか今も読んでいます。小学校6年の時から買い始めたから、かれこれ35年ぐらい読み続けていますね。今でも「ファミ通クロスレビュー」が大好きで。過去のクロスレビューをまとめた冊子もいくつか持っていて、ボロボロになった今もまだ読んでるんですけど、嫁から「あんた、これもう何回も読んだでしょ?点数も知ってるんでしょ?」ってよく笑われてます(笑)。

――「ファミ通クロスレビュー」って、レビューするファミ通編集部スタッフさんのコメントが印象的で、特に下の段のレビュアーさんの意見が辛辣で面白いですもんね。

真栄田:そうなんです! 当時TACO・Xさんっていう厳しい人が下の段にいたんですよ。その人がスーパーファミコンのレースゲーム『F-ZERO』にだけ10点をつけたんですけど、基本的には辛口のことばかり言うんです。そういったレビュアーさんのコメントが楽しくて、ついつい何度も読んでしまいます。

関連記事