20周年を迎えたゲームキューブ、その傑作『カービィのエアライド』をいまこそ語ろう

 2021年9月14日をもって発売20周年となった任天堂の名ハード「ニンテンドーゲームキューブ」。『ピクミン』、『スーパーマリオサンシャイン』、『大乱闘スマッシュブラザーズDX』など数々の名作に恵まれたハードだが、中でもカルト的人気を誇る名作が『カービィのエアライド』だ。

 2003年に発売された本作は世界で150万本以上売れた上、今でも状態の良いものではプレミア価格がついて取引される名作でありながら、いまだに続編やリメイクさえ予定されていない伝説のゲームタイトル。ファンが口々に「楽しかった」と思い出話に浮かれ、今も愛されるこのゲームは一体どんな魅力があるのか。“ゲームキューブで最も復活が望まれる一本”の魅力に迫りたい。

抗いがたい「車」への憧れ

 子どもはいつも車にあこがれていた。4つのタイヤとエンジンで、アクセルさえ踏めばどこへだってスイスイと連れて行ってくれる魔法のマシン。すごい、かっこいい、乗ってみたい。けれど車は高価で危険なものだ。だから子どもはゲームでその夢を叶えた。

 そんなわけでゲームと車の歴史関係は古い。いまから80年前の1941年には、もう『Drive Mobile』がエレメカ(≒アーケードゲーム)として作られたという。これは立ってプレイする筐体で、真ん中に巨大なハンドルが据え付けられ、コインを投入すると筐体の中にあるミニカーが、くるくると巻き取られる道路を描いた紙の上を走る(厳密には、道路が動くのだが)もの。

1941 INTERNATIONAL MUTOSCOPE DRIVE MOBILE

 筐体の上には北アメリカ大陸の地図が描かれ、ゲームが進むと各所が点灯していく。東海岸のニューヨークからドライブし、西海岸のロサンゼルスが終着点。今のビデオゲームと比較すればややチープに見えるかも知れないが、「Drive COAST TO COAST」とあるように、当時なけなしのコインを投入して遊んだ子どもたちの瞳にはきっと、どんな最新ゲームでも見れない景色が映っていたに違いない。

 他にも中村製作所……のちのナムコがエレメカ式レースゲーム『F1』をアタリ越しにアメリカで販売する「逆輸入」に成功することで、後の『スペースインベーダー』から任天堂までの純国産ゲームの礎を築くなど(※)、車とゲームの関係性をあらわす事例については、枚挙にいとまがない。かくして車をブンブンと操縦したいという子どもたちの憧れが、ゲームという文化の礎となったのである。

(※)中川大地『現代ゲーム全史 文明の遊戯史観から』

 やがて、この車への憧れが「レースゲーム」として確立されていくと、レースゲームは次第にリアリティを求めて洗練されていった。トヨタやBMWといったメーカーと連携して実車を再現してみたり、車が動く上で発生する空気抵抗やタイヤの摩擦まで表現してみたり、その過程で、ドリフト、トレイル・ブレーキング、スリップ・ストリームなど現実のレースと同じテクニックや現象も反映された。なかには『マリオカート』のような例外もあったが、概ねレースゲームは「ゲーム」よりも「シミュレーター」の趣きが強くなっていく。

 かくして洗練、成熟された「レースゲーム」あるいは「シム」もまた格別楽しいものであるが、一方で初めてレースゲームに触れる初心者にとっては厳しいものになり、徐々にマイナーなジャンルへとおかれていた。

 そんな2003年当時、すでに『星のカービィ』や『大乱闘スマッシュブラザーズ』を成功させた桜井政博はこのように憂いた。

「レースゲームは、もともとシンプルなジャンルだったと思います。ゲームの黎明期からあったジャンルだし、操作は左右に動かすハンドル、そして、アクセルとブレーキだけ。シンプルで感触がよく、誰にでも楽しく遊べました。それに比べるといまのレースゲームは複雑で難しく、”一定の記録を出さないとダメ”と初心者を切ってしまう作りになってしまっているのが、わたし自身気になっておりました。」
『桜井政博のゲームについて思うこと Think about the Video Games』より

 戦前から紡がれてきた、車に乗ってどこかへ行くという「憧れ」とそれを叶えた「遊び」。桜井はその根底的な遊びとは何かを考え、再構築しようと試みたのである。

ボタンはたった一つという衝撃

 かくして発表された『カービィのエアライド』は、ゲーム画面をひと目みても「レースゲーム」であることすらわからない斬新なゲームだった。

 マシンの上に乗っている(乗っかっている?)生物がいつものまんまるカービィなのは、まぁいい。問題はそのマシンだ。それは、インプレッサやコルベットでは無論ない。配管工たちが亀の甲羅片手に楽しそうにまたがったカートですらない。なんたって大半は車輪すらついておらず、宙に浮いているのだ。全てのマシンは自動で調整し、何も押さずとも前に進む。

 だからこのゲームには、シフトチェンジも、バックも、ブレーキも、アクセルすらない! あるのはただAボタンと、向きを変えるスティックのみ。ではどうやってボタン1つでレースをするのかといえば、このAボタン、押している間はマシンのスピードが落ちるが、離すとその間に貯めたエネルギーを解放して一気に勢いづくのだ。

(C)2003 HAL Laboratory, Inc. / Nintendo

 本来、レースゲームの戦略をざっくりわけると、カーブが来たらブレーキを踏んで車体を倒し、ストレートに来たらアクセルを踏んで車体を直すの2つだ。そこで『カービィのエアライド』はさらにAボタン1つでブレーキ(減速)とアクセル(加速)の2つを同時に実現させてしまう、この単純明快さ。

 だから、このゲームに触れたどんな初心者、それこそギアの存在すらしらない子どもであっても、一瞬でどう遊べばいいのか理解し、友達と一緒に遊べた。まさに1941年のアーケードで初めて子どもたちがハンドルを触ったように、虚構の中でマシンを動かして前に進むという喜びを、21世紀に、より簡単に、より痛快に実現したのが『カービィのエアライド』だったのである。

実際、ゲーム内には「ウエライド」という見下ろし視点のモードがあり、アーケード時代のレースゲームへのリスペクトを匂わせている(C)2003 HAL Laboratory, Inc. / Nintendo

 

 筆者はこうした桜井政博の作風を「やさしいアンチテーゼ」と呼んでいる。

 たとえば、桜井政博が初めて作った『星のカービィ』では、徐々に複雑かつシビアなものに進化していったアクションゲームを、「ワンボタン操作で何度もジャンプができるフレンドリーさ」を導入したり、あるいは同じく発達した格闘ゲームに対して、操作を単純化しながらも「ふっとばされるまでわからない偶発性」を『大乱闘スマッシュブラザーズ』で殴り込んだ、氏らしい「やさしいアンチテーゼ」の一つと言えるだろう。

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