ゲームの世界に暮らすことは実現可能か? 『FF14』の“バーチャルとリアルの交錯”から考える
私たちは心の何処かで「ゲームの世界に暮らしたい」と考えているのだろうか。さきに筆者個人の考えを言えば、答えはイエスだ。ゲームの世界に行き、胸躍る冒険や困難な挑戦を経験してみたいと思う。しかし、どのようにしてそれは実現可能だろうか。また、仮に可能だとして、そこにはどのような新しい地平が広がっているだろうか。
今回はこのようなテーマを軸に据えて、以前から「ゲームの世界に暮らす」ことにしばしば言及している『ファイナルファンタジーXIV』(以下『FF14』)に触れていきたい。コロナ禍の影響もあり、リアルとバーチャルの生活の境目の消失がこれまでよりもさらに加速しつつあるなか、「ゲームの世界に暮らす」ことを考えるとき、いまの『FF14』をはじめとするMMORPGジャンルの存在は、その潜在的影響力に比して言及されることがそれほど多くないように思われる。そこで本稿では、つい先日発表されたばかりの新拡張パッケージに関する最新情報にも触れつつ、MMORPGは私たちにとってのもう一つのリアルとなりうるのかを考えてみたい。
リアルとバーチャルの融合の加速
「ゲームの世界に暮らしてみたい」という潜在的願望が人々のなかに芽生え始めたのはいつごろだろうか。バーチャルとリアルとの境界線の交錯・融合というテーマが、国内外を問わず、映画、アニメ、コミック、小説と様々なメディアにおいて伝統的な物語デバイスとなってすでに久しい。1982年のアメリカのSF映画『トロン』、アメリカ人作家ウィリアム・ギブソンによる1984年のサイバーパンク小説『ニューロマンサー』、さらにはアメリカ人作家オースン・スコット・カードの1985年の小説『エンダーのゲーム』といった、80年代なかばに生まれた作品群を嚆矢として、最近のものでは2018年の映画『レディ・プレイヤー1』などが記憶に新しい。
こういった作品は新しく生まれてきた“サイバースペースが喚起した想像力の産物”だったとひとまずまとめることができる。そして、バーチャルがまるごとリアルに成り代わってしまうメタバースの物語群の最先端にあるものが、昨今一大トレンドを成す異世界転生モノのライトノベルやコミックだろう。このジャンルには多様な作品が含まれうるが、全体の特徴として、「レベル」「スキル」「ステータス」といったMMORPGから借用された概念が通底している。
しかしながら「ゲームの世界に暮らす」ことは、もはやフィクションのなかにだけ限られた実現不可能な夢ではなくなり、いよいよ現実味を帯びてきたようにさえ思われる。2020年初頭から続くコロナ禍により、私たちのライフスタイルは大きく変化してきた。外出自粛傾向、いわゆる「巣ごもり需要」の追い風を受け、成功を収めたゲーム作品もある。最も代表的例は、『あつまれ どうぶつの森』だ。[i]同作は、ジョー・バイデン大統領が選挙活動に利用したゲーミフィケーションの一事例としても注目に値するが、世界的に注目が集まるアメリカ大統領選においてもこのような出来事が起こること自体、広大な領域でリアルとバーチャルの融合がますます加速してきている証左だろう。[ii]
MMORPGと「ゲームの世界に暮らす」
このような状況を背景に、『FF14』はMMORPGジャンルの一つとしてリアルとバーチャルをどのように架橋するのかに関して、もう少し大きな文脈から検討してみたい。ゲームジャンル全体を俯瞰してみたとき、MMORPGは必ずしも中心的な立ち位置を占めているとは言い難いかもしれない。程度の差こそあれ、基本的には非常に長大な時間を必要とする場合の多い同ジャンルのゲームコンテンツは、現代に暮らす多くの人々の生活スタイルとは相性が悪い。後述する『FF14』プロデューサー兼ディレクター、『FF16』プロデューサーを務める吉田直樹氏の言葉から伺えるように、商品としてゲームを提供する運営の側から見れば、このようなTime to WinのMMORPGのイメージは積極的に払拭していきたいものだろう。[iii]
しかし、こうしたジャンル特有の負の側面を筆者は積極的に再考したい。MMORPGはメタバースの構築という観点とは非常に親和性が高い。ゲームは、プレイヤーとプレイヤーが操作するアバターとのあいだに成立する等価性を前提としている。つまり、ボタンを押す(入力を行う)ことで、ゲーム内のアバターを操作しバーチャル世界に干渉することは、プレイヤーとゲーム内のアバターとの同一化を生む行為と捉えられる。[iv]言い換えれば、プレイヤーがこのような同一化を通じてゲーム世界へと没入できる。そして、MMORPGは、虚構世界への没入感の促進に力を入れている場合が多い。
MMORPGのなかでもとりわけ長い年月にわたってサービスを提供し続けているタイトルでは、ゲームを一つの「世界」として私たちに認識させてくれる下地として用意された部分が非常に大規模な場合が多い。長大化するストーリーや世界設定、様々なゲームシステムがそれにあたる。たとえば、『FF14』のエオルゼア世界では、広大なフィールドだけに限らず、ドラゴン語や妖精語といったオリジナルの言語設定、さらには地域ごとの独自の文字体系まで存在する詳細な世界設定に加えて、サウンドディレクターの祖堅正慶氏を中心とした繊細な環境音の設定もこれを助けているだろう。『FF14』の世界には、アバターが歩く場所の材質によって足音が変化し、街の喧騒、木々のざわめきや動物の鳴き声といった、きわめてリアルに近い環境音にあふれている。
これらに加えて、MMORPGの文脈でしばしば話題にあがりがちな「人間関係」の面倒さやそれへの恐れは、「ゲーム世界に暮らす」という観点から見れば、もっと肯定的に捉え直すことが可能だ。インターネットを介して本物の人間同士によるコミュニケーションによって喚起されるこのような感覚は、翻って、バーチャル世界で私達が得られる経験や感情が、決して虚構ではないということを示唆する。
MMORPGは、いわゆる「オフゲー」と呼ばれるオフラインでのプレイを主眼に据えた作品群とは異なり、ゲームシステム上、たとえ空間的にはバーチャルな世界であっても、リアルな人間同士のコミュニケーションが少なくない。ゲームの世界はバーチャルな創造物であるという点において、たしかに虚構だが、そこで得られる経験や感情は紛れもなくリアルなものだろう。このようなリアルな人間関係は、ともすればトラブルのもととなり、負の側面を噴出するケースもあるだろうが、先に述べた「ボタンを押す」というゲーム行為の根本に潜む、プレイヤーたる「私」とそのアバターとの等価性をいっそう強める効果を生む。[v]
MMORPGはその名に冠する通り、「ロールプレイ」、すなわち「役割を演じる」ゲームだ。しかし、私達が役割を演じるのは必ずしもゲームの中だけに限らないだろう。物理的には現実世界にいながらにして、仕事や学業のあいだも、「向こう側の世界」に思いを馳せ、そして、その世界で熱意と真剣さをともなった体験を持つプレイヤーがいる。ゲームの世界そのものの所在はたしかに仮想であり、その意味で虚構世界ではある。しかし、ゲームプレイを通じて得られるその世界の存在感や感触といった体験、すなわち、その世界に暮らしているという感覚はリアルとバーチャルどちらの世界に属しているのだろうか。