VTuberの投げ銭文化はなぜ成熟? インターネットの“嫌儲”ムードが変化するまでを辿る
投げ銭は経済学的な消費者の行動ではない。ファンにとっては、金額ごと異なる色の枠で表示されるSuper Chatでチャット欄に虹を掛ける際の合計額にさほど意味はない。120円の投げ銭も語呂合わせの投げ銭も1万円の投げ銭も、長文付きの投げ銭も無言の投げ銭も、イラストも切り抜きも等しく意味がある。ファンにとって対象とそのコミュニティをより良いものにするという意味が。コミュニティという要素は重要だ。配信中に読み上げられなかったSuper Chatを改めて別の配信枠で読み上げお礼する、いわゆる「スパチャ枠」という配信がある。仮に配信には乗らないところで個別にお礼を言われるだけなら、投げ銭はこんなに加熱しただろうか? 投げ銭は配信者にお礼を言われるためだけに投げられているのだろうか? ノーだ。Super Chatは個人的な献金でなく、配信のコンテンツになることを想定されて投げられる。投げていない視聴者も投げ銭から始まるやり取りを楽しんでいる。でなければSuper Chatを読み上げお礼するだけの配信が、他の内容と遜色ない再生数を維持する説明がつかない。
創作者と鑑賞者の区別がないフラットなネットユーザーたちの「嫌儲」ムードは、この10年で海外の影響もあってクリエイターとそのファンという構図へと変化した。VTuberは活動全てが一次情報になり得るキャラクターデザイン付きの配信者たちを中心にした、その二次創作を生成・参照し続けるファン・クリエイターが織りなす生態系。そして投げ銭は、時代の変化とそんな営みとが混ざりあった幸運なファンダムの象徴なのだ。
■ゆがみん
1990年生まれの地方在住。インターネットに青春時代を持っていかれた。VRとesportsが関心領域。最近はnoteを拠点に活動している。Twitter