銀座の街にリズムを作る「余白」の重要性 Ginza Sony Park永野大輔に聞く“都市と公園”の新たなあり方

 2018年8月9日、銀座の一等地にある銀座ソニービルが解体され、その跡地に「Ginza Sony Park」という“公園”がオープンした。

 同公園は、ビルの建て替えまでの期間限定で開かれた場所となっているが、銀座駅直結の空間とは思えないくらい、アートやエンタメなど、文化的な豊かさを感じさせる展示と、ソニーのアセットを活用したテクノロジーが同居した空間に仕上がっている。

 今回は、「Ginza Sony Park」のプロジェクトにおけるキーパーソンである、ソニー企業株式会社の代表取締役社長 兼 チーフブランディングオフィサーの永野大輔氏をインタビュー。銀座がまだ現在のような一等地になる前、60年来にわたる銀座とソニーの関係性から、同公園の設計理念、街とリズムの関係性、テックとエンタメの掛け合わせが人と街に与える影響などについて、じっくりと話を聞いた。(編集部)

ソニーらしさが詰まった「銀座の庭」が拡大され公園へ

ソニー企業株式会社 代表取締役社長 兼 チーフブランディングオフィサー 永野大輔氏

ーーGinza Sony Park(銀座ソニーパーク)は、ソニービルの建て替え工事の中で生まれたものですが、そのコンセプトとして「街に開かれた施設」があり、そこから導き出されたのが「公園」ですよね。

永野大輔(以下、永野):「ソニーが都市の中に作る、新しい公園のあり方」を作ることを大事にしてきました。具体的には、これまでとは違う新しい公園を「再定義すること」、それだけでなく「世の中に問いかけていくこと」、そして「未来への一歩となること」です。それって、結局はソニーがこれまで歩んできた歴史や作ってきた製品と同じコンセプトなんです。

 たとえば音楽を聴くスタイルにしても、ウォークマンが家の中で聴いていた音楽を「再定義」し、外で聴けるようにして「世の中に問いかけ」、他社さんがそれに追随するかたちになって、外で音楽を聴くための製品を続々と生み出し、結果として「未来への一歩」となった。再定義をして世の中に問いかけ、未来への一歩を作るというソニーが歩んできた道を、Ginza Sony Parkも歩んでいきたいんです。

ーーパブリックイメージの公園ではなく、“銀座にある公園”だと考えると、今のパークのスタイルは街にとてもフィットしているように思います。銀座という舞台があって、このような設計になったのでしょうか?

永野:ベースは、もともとソニービルの中にあった、数寄屋橋交差点に面した10坪の「ソニースクエア」と呼ばれていたところですね。創業者の盛田昭夫が、「街に開かれた施設」というコンセプトでソニービルを作った際の象徴ともいえる場所でした。銀座の一等地でありながら、一企業がパブリックスペースを自分の敷地内に作った。一般的には、お客さまが最も入ってきやすいあの場所をメインエントランスにするわけですが、そこを敢えてオープンなスペースにして、街のインターフェースにしたんです。そこを彼は「銀座の庭」と呼んでいた。

 この考え方自体がすごくソニーらしいというか、懐が深くて、遊び心があるなと思います。それを継承したのが今のGinza Sony Parkですね。一般的な公園を都市に持ち込んだ、と言うより、ソニービルにあった「庭」を大きくして、公園と呼んだ、と言った方が正しいかもしれません。

ーーそうして新たな“公園”の形を定義したかった。

永野:公園と呼ぶにあたって、社内でも様々な議論があったわけですが、公園を公園たらしめるのは「余白」だと気がついたんです。公園って、お弁当を食べたり、散歩したり、ジョギングしたり、来園した人が自由に過ごせる空間ですよね。そこに明確なルールはなくて、何をしてもいい。これは「余白」があるからで、定義されていないフリーなスペースだからです。そのフリーなスペースに一定の広さがあれば、それは公園的になるだろうという仮説のもと、「余白」を大事にした設計をしていこう、というところから、都会の公園作りが始まりました。

Ginza Sony Parkは銀座への恩返し 街にリズムを作る存在でありたい

ーー以前永野さんから聞いた「街のリズム」という言葉がすごく記憶に残っています。この言葉自体がGinza Sony Parkを作る意味であり、街で果たす役割にもなっているのかなと思ったのですが。

永野:そうですね、「街のリズム」は意識してきたことの1つです。人間が生きる上で“リズム”って大切で、つらいこと、悲しいことがあるからこそ喜びは増幅しますよね。もしずっとハイな状態でリズムがないとすると、そんなに楽しい人生ではないというか。

 街も同じだと思っていて、銀座にアッパーなお店しかないとすると、それは街ではなくてショッピングモールみたいなものですよね。でも、カジュアルな店もあって、新興の店もあれば、老舗もある。メイン通りがあれば路地裏もあって、高級レストランがあれば定食屋さんもある。そういった多様性を包み込むような街でないと、リズムって作れないと思うんです。

 そしてリズムがあるからこそ、歩いていて面白い。細かく路地があって、通りごとに個性があって、そこにお店があったりする。リズムがあることが、そのまま銀座という街の魅力になっているわけです。

 ただ、最近だと、すごくアッパーな街というイメージが先行してしまって、若者が遊びに来づらい雰囲気があります。一本裏に入ると、表通りとはまた違った個性的な店やリーズナブルに楽しめる店もたくさんあるんですけどね。

 そんな中で、街にリズムを作るために、Ginza Sony Parkは大胆に、アッパーではない、“ドレスダウン”した場を目指して、あえて建物を作らず公園にしました。そうすると、客層が変わってくるので、街にも多様性が出てきて、活気が生まれます。初めて銀座に来る人たちもいますし、街の未来にとって有益なことだと思っています。

ーー銀座って、よく見てみると多様なカルチャーが絶妙なバランスで共存していますよね。

永野:そうなんですよね。今回のプロジェクトを進行するにあたって、東京のいろいろな街のリサーチをしたのですが、来街者の性別、年齢をリサーチすると、1番バランスが良いのが銀座だったんです。イメージだと年齢層が高めですが、実はバランスが良くて、とても多様な人たちがいます。そして今少しアッパーに寄りがちなところを、ドレスダウンしたものをもってくることでバランスをとれたら良いなと。

 銀座って「粋な街=洗練された街」だというステレオタイプもあると思うんですが、僕の解釈では、「粋」って、もっと反体制というか“パンク”なんですよね。「粋」の解釈は諸説ありますが、その中のひとつに江戸で上方文化へのアンチテーゼとして、着物を着崩してやんちゃなスタイルにするのが本来の「粋」だったという説があります。それが徐々に、「粋=洗練されている」っていうイメージに変わっていきました。「粋」の元の意味を考えても、「着崩す」ことと「ドレスダウン」は言葉としてマッチしていますよね。

 僕らが今、21世紀に公園を作るのってすごく銀座らしくて、表面的な「粋」や伝統ではなく、本来の意味である、やんちゃでパンクなプロジェクトなんです。そしてそれは、ソニーのカルチャーでもあります。

ーーソニーがやってきたことを辿っていけば、今回のルーツにたどり着く、というわけですね。

永野:もともとソニーは、1946年に総勢二十数名からはじまった小さなベンチャー企業でした。創業者の井深大が「愉快なる理想工場」と呼んだように、いたずらに儲けを求めず、社会の役に立つ。人がやらないことをやっていくというのは、すごくパンクですよね。

 銀座の街とソニーのタッグは一見、歴史の長い企業と、高級ブランドが立ち並ぶ街、というイメージですが、実はその2つはパンクなところで繋がっている。そして公園を作って、それが次の銀座を、次のソニーを作っていく象徴になればいいなと思ったんです。

ーー最初から洗練された2つが組んだというよりも、そうなるまでの過程を一緒に歩んできた企業と街であるわけですね。

永野:そうですね。1966年にソニービルができたのですが、その前からあった建物に、「SONY」の看板はついていたんです。まだ都電が走っていた時期で、そのあとにソニーショップができて、66年にビルが建った。銀座には60年近くお世話になっています。

 でも銀座の街って緑が少ないし、座る場所も少ないし、そもそも公園がないですよね。そこですぐにビルを建て替えるのではなく、パブリックスペースを作って、銀座にリズムを与えて、来街者の方が気軽に休んだり、待ち合わせができるような場所を作りたかったんです。お世話になった銀座への恩返しですね。

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