制作するペルソナ:バーチャルYouTuberの“新しい生”

花譜と複製される声

 最後は声のずれ。花譜をはじめとするKAMITSUBAKI STUDIOのバーチャルアーティストらは、意識的にこれまでのアーティスト / 歌い手の文脈との接続と刷新を試みている。ここで聴きたいのは花譜。花譜はストレートにカテゴリとその距離とを歌う。「カテゴリって言葉がもはや呪いのようだ / 正しさを証明できるはずなのに / 信じきれなかった未来が通り過ぎてゆく」(「景色」EP『花と花譜』より)。「バーチャル・シンガー」と現実の「パーソン」のどちらのカテゴリにも回収されない逸脱するカテゴリを / カテゴリの外を歌うことで手繰り寄せようとする。願いは取り替えられない、ざらつきながら雨に濡れて凛と光る花譜の声自体が象徴し続ける。

 花譜はその声が作り出す花譜というカテゴリすら複製に曝す。花譜の声を素材とした音声創作ソフト「CeVIO」利用の音楽的同位体「可不」のリリースが今冬予定されている。特定のペルソナを纏ったパーソンを起用した音声制作ソフトには、これまでも声優・歌手の中島愛の音声を採用した「Megpoid」やGACKTを起用した「がくっぽいど」があった。どちらも現実のパーソンに接地された明確に現実的なペルソナだ。花譜は特定の現実のパーソンから距離を取りつつ、しかし完全に分離したキャラクタとしてのペルソナではない。ゆえに「可不」は花譜と異様に接近している。どちらも現実のアンカーを持たない境界を通り過ぎる存在。声を複製してもなお残る花譜の自己はあるか? 花譜と可不の試みは声をめぐる自己制作の可能性を問う。花譜は固定された自己を持たず揺れる。自己をめぐる肯定と疑いと不安定はざらつきながら雨に濡れて光る花譜の声の中で響き続ける。声は花譜をつなぎとめる要であるとともにそれ自体が花譜を何らかのカテゴリに引き込もうとする。引力に逆らいながら花譜の声はどこに行こうとするのか。

バーチャルな生、わたしたちの生

 生はずれる。あるべき姿と現在の姿の差異。ずれの中でバーチャルな存在は生きている。それは自己言及を介した自己制作。ペルソナとキャラクタとを組み替えながら新たな自己を作り出す。雨森小夜は役割としてのキャラクタを作り自己の理想を探す。届木ウカは身体としてのキャラクタを作り自己の理想を作る。花譜はパーソンに属する声を複製の危険に晒して自己のペルソナをカテゴリから引き離す。バーチャルな生は実験的な生。実況文化とはどれくらい離れたのだろう? ても遠く。これがバーチャルな存在ならではの生。ずれ続ける生。制作され続ける生。

 バーチャルな生なんか、わたしたちの生とは何の関わりもない? 嘘だ。生のスタイルは隠喩によって理解される。バーチャルな存在たちは一つの隠喩である。あなたはバーチャルな生の隠喩をいまわたしから受け取った。あなたの人生を隠喩が縁取るだろう。バーチャルな生はあなたに自己制作の方法を可能性を示す。あなたはどんな生を生きている? どんなずれの中で? 配信画面から見つめ返すまなざしに射抜かれて、あなたの人生の制作がはじまっている。

〈参考文献〉
雨森小夜. 2020. ツイート. 
草野原々. 2018. 『最後にして最初のアイドル』早川書房.
届木ウカ. 2020. 「異常進化するバーチャルアイドル–VRとVTuberの新たな可能性–」『SFマガジン』2020年8月号, 92-95.
難波優輝. 2018.「バーチャルYouTuberの三つの身体:パーソン、ペルソナ、キャラクタ」『ユリイカ』50(9) 特集バーチャルYouTuber, 117-125. 青土社.
難波優輝. 2019. 「おしゃれの美学––––パフォーマンスとスタイル」『vanitas 006』138-156. アダチプレス.
難波優輝. 近刊. 「身体のないおしゃれ––––バーチャルな「自己表現」とジェンダーをまとう倫理」 『vanitas 007』アダチプレス.

■難波優輝(なんば・ゆうき) 1994年生まれ。美学者・批評家。現代美学の視点からポピュラー文化を研究している。アニメーション、ポップス、おしゃれ、バーチャルYouTuber、SFに関心がある。主な論考に「バーチャルYouTuberの三つの身体――パーソン、ペルソナ、キャラクタ」『ユリイカ』、草野原々『大絶滅恐竜タイムウォーズ』(早川書房)に寄せた解説「キャラクタの前で」、近著に「SFの未来予測はつねに間違っていて、だから正しい」など。Twitter:@deinotaton

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