ボイス・トランスレーションーー“バ美肉”は何を受肉するのか?:前編
古くから、女性の美声は妖しいものとされてきた。この声は儀礼や芸能の場において神を言祝ぎ、あるいはエロスを操り、死を招くものとして扱われた。高い声はそれが特定の身体から発されたことをマスキングする。そして男性にとってそのような女性の声は、化粧や衣装、果ては映像編集などの視覚的な操作によって「女性を装う」ことが可能になってもなお、最後に残った障壁であった。それは異性装においてももちろんのこと、虚構のキャラクターを創作する場合においても同様である。
本稿に始まる二つの文章は、「バ美肉」と呼ばれるウェブ上にアップされた動画について書かれたものだ。これは、Youtube上にアップされた「バーチャルYouTuber」(以下VTuber)という、3DCGでデザインされたキャラクターにリアルタイムで声を吹き込んだ動画群(あるいはその制作者)の、限定的なジャンルを意味している。まだ認知され始めたばかりのジャンルである為まとまった資料や評論がなく、よって本稿もまた、数少ない断片的なブログ記事と筆者自身の視聴体験を元手にして書かれた。しかし、そうまでしても「バ美肉」について書き留めておきたいことがある。
「バ美肉」とは「バーチャル美少女受肉」を縮めた略語である。この語は特定の動画を指すジャンル名でありながら、これを制作する特定のVTuberを指す際には「バ美肉おじさん」と用いられる。「バ美肉」の起源や定義を厳密に辿ることは難しい。だが、いくつかのブログ記事や「バ美肉おじさん」とされる者たちの動画を観る限りでは、それは「ボイスチェンジャーを用いて女性のような声を装ったVTuber」を指すとみてよいだろう。そして「バ美肉おじさん」という呼称からも明らかなように、これらの動画は基本的には男性の制作物であるとみられている。
「バ美肉」の視聴者は、美少女のキャラクターが女性らしい声で喋ろうとも、その動画の裏に男性の発声者が存在していることを知っている。しかし同時に、おじさんがバーチャル美少女を受肉したことを疑わない。筆者が書き留めたいのは、ここへ投じられる問いだ。受肉したのは、「バーチャル美少女」だけなのだろうか?
現在、「バ美肉おじさん」としてもっとも有力視されているのは、「魔王マグロナ」であろう。「バ美肉」ジャンルと目されるなかで登録者数がもっとも多いチャンネルをもち、これを筆頭として「竹花ノートママ」「兎鞠まり」「りむとまき」を加えた4つを「バ美肉おじさん四天王」とする向きもある。しかし、魔王マグロナが広く耳目を集めているのは、それが早期に着手された制作であるというだけでなく、その声が違和感なく女性らしい声のように聴こえたからだ。
というのも「バ美肉」動画の多くは、無料ソフトウェアであるボイスチェンジャー「恋声」を使用して作られているのだが、これによって声の高さ(ピッチ)や声の質(フォルマント)を加工しながら、ノイズのない声を作るのは困難なのだ。筆者も試してみたのだが、地声を女性らしく聞こえるようにまで加工すると、ノイズで声が潰れてしまう。魔王マグロナが一体どのような調整を経て、違和感なく聴き取れるような声を作れているのか、筆者を含め多くの視聴者が興味をもっていたことだろう。
事実、このような需要に応えるように、魔王マグロナ自身から「バ美肉」の手ほどきを教えるリアルタイム配信も行われた。2018年7月15日のFairys Channelでの配信において、魔王マグロナは「元の声を限界まで女性に近づけた上で、理想はふりかけ程度に僅かにフォルマントを入れて、ピッチはもうほとんど入れるか入れないかギリギリぐらいにするのが、ほぼ完璧なボイチェン」と発言している。配信中に公開された「恋声」の設定は確かに、それを裏付けるような最低限の加工を示すものであった。この指摘を隣で受けながら実践してみせたのが、「両声類」と呼ばれるほどに裏声を巧みに発することのできる動画配信者、「ふぇありす」だ。
両声類を自称あるいは他称された動画配信者は「バ美肉」以前から、動画サイト「ニコニコ動画」において存在した。この「両声類」という呼称が「男性にも関わらず、女性のような高い(若しくは、質の)声で歌う」ことを意味するように、男性が女性のように発する声を虚構のキャラクターの絵図と併せて視聴する形態は、これまでも試みられていた。興味深いのは、ふぇありすのような動画配信者も含め、彼らがその発声法を紹介するなかで、トランスジェンダー(MtF)の実践と近接するような技術を述べていることだ。
『あたらしい女声の教科書』(原作者:hitomine)という同人誌はその貴重な傍証だろう。2013年に同人誌即売会「コミックマーケット」にて頒布された本書は、「想定している読者は、主に、女声が出せずに悩んでいるトランスジェンダー (MtF) 」とし、同じくMtFであるメラニー・アン・フィリップス(Melanie Anne Phillips)が考案した発声法、「メラニー法のローカライズ」を提案するものである。巻頭言には、「私もまた、女声が出せずに悩んでいた者の一人」とする著者が「どんなに見た目が美しくても、口を開けばただのオカマ。そんな悩める人のために、本書は書かれました」とある。
重要なのは、本文中には「アニメ声」や「両声類」などの語がその応用例の一つとして紹介されているばかりか、バ美肉が今日使用しているボイスチェンジャー「恋声」もすでに支援技術として参照されていることだ。動画サイトにおいて温められていたキャラクターをめぐる創作実践と、外科的処置によらず性適合を目指すトランスジェンダーの訓練技術とが、ここで交差している。
このような需要の合流には、同じく「ニコニコ動画」において流行した楽曲制作支援ソフト「初音ミク」をめぐる二次創作も関係しているのかもしれない。合成音声を編集することで、女性の声を操ることができる初音ミクは、冒頭に述べたような「最後に残った障壁」を乗り越えたかに見える。しかしこれではまだ、本ソフトに登録された声優・藤田咲の声を借用しているに過ぎない。他の合成音声においても同様だ。これをよしとしない創作実践は、自分の声を元手とするほかない。
そして、音声加工の技術は未だ男性の声を地声のまま、違和感なく加工できるほどには発達していない。いや、たとえその技術に到達したとしても、「男性的な喋り方」という自意識は解決しない。「恋声」のリリースから10年ほどがたった現在においても、5年前の出版物である『女声のあたらしい教科書』に書かれているような、創作実践と訓練技術の「交差」は連続している。先述のふぇありすやバ美肉たちが紹介する技術と、本書を含むMtF向けのボイストレーニングを接続しながら紹介する記事もすでに存在している。
VTuberの一部が、間接的であれ特定のセクシュアルマイノリティへの興味を育てている。この知見は、昨今のVTuberに関する報道と真逆の印象をもたらすものだ。周知のように、VTuberはいま、それを「性差別」とする批判に晒されている。NHKが特設サイト「まるわかりノーベル賞2018」にて公開した動画におけるVTuber「キズナアイ」の振る舞い、容姿が女性差別を反映させたものだと波紋を呼んだのだ。ノーベル賞について解説する男性に相槌を打つばかりな上に、扇情的な服装を身にまとっているキズナアイ。彼女の扱いには、日本の男性が押し付けるステレオタイプな女性像が現れており、VTuberのようなものの露出はこの潜在的な暴力を助長するものである……管見の限りでは、この件をめぐるVTuber批判には以上のような内容のものが多く寄せられていた。
VTuberや、その実作を支援する向きには、悪い意味でステレオタイプな女性理解がまとわりついている。このような見解は、これまでに辿ってきたバ美肉についての知見と真っ向から矛盾するかのようだ。では上記のような批判は見当はずれの誤解なのだろうか。あるいはバ美肉はやはりそれまでのVTuberとは切断された実践であり、これらのジェンダー観とも無縁の例外なのだろうか。否、筆者はそうではないと考える。やはりバ美肉にはVTuberが抱える問題が連続しており、かつその本質が表れている。そしてここに可能性も含まれている。鍵になるのは音声の扱いだ。
よって筆者は先に挙げたような「相槌」や「扇情的な服装」に問題提起された批判を、そのまま肯定もできない。キズナアイに潜在するジェンダー観に偏向があったとして、以上のような点を周辺の脚本家やデザイナーが修正できたとしても、彼女と分かち難く結びついた要素は別だ。キズナアイに声を吹き込む、声優の声である。
続く文章では、この声の来歴について考えることで、バ美肉に潜在する問題と可能性について扱う。
■黒嵜 想(くろさき・そう)
1988年生まれ。批評家。音声論を中心的な主題とし、批評誌の編集やイベント企画など多様な評論活動を自主的に展開している。活動弁士・片岡一郎氏による無声映画説明会「シアター13」企画のほか、声優論『仮声のマスク』(『アーギュメンツ』連載)、Vtuber論を『ユリイカ』2018年7月号(青土社)に寄稿。『アーギュメンツ#2』では編集長、『アーギュメンツ#3』では仲山ひふみと共同編集を務めた。Twitter:@kurosoo