最終回を迎えた『せんけす』、本当の最後はここにある? 『頼田朝日の方程式。』で判明するもう一つの答え
朝日の授業にも徐々に変化が現れる。第5回で、刀矢に示したのは「正義=信念+不正」の方程式。パスカルやモンテーニュの言葉を引いて「正義は力と手を組まなければならない。不正してでも、本当の正義を全うしようとしてる時もある」と説いた。一見すると筋が通っているようだが、冷静に考えると正義と不正は対義語。信念によって性質が逆転するなら、それは「信念=正義」と言っているのと変わらない。朝日が言っているのはただの主観ということになる。
第6回で「俺の最高の方程式」と言って書き出した「命=」の答えも空欄のままだ。「命」を使った方程式では、第4回で「死ぬ=人-命」があった。この式を変形させると「人=命+死ぬ」になるが、そもそも命と死を足すと物理的には無(または灰)になるので、「人=ゼロ」になってしまう。これに対して、『せんけす』第7話で復活した義経が示したのが「人-命=思い出」。こちらは変形すると「人=命+思い出」になる。虚無的な朝日に対して、義経は真逆の人間観を持っている。ゾンビになって復活する義経は、朝日の理解を超える存在なのだ。
朝日の方程式は、第7回で「復讐×成功=虚無」という常識的な線に落ち着くが、これも義経の復讐を無意味にするための対抗手段でしかない。「復讐なんて最高の自己満足。静先生は幸せなんだから」という朝日の主張は、「結婚=人生-自我」に基づいているが、要は「義経と一緒になっても、静が幸せとは限らない」という手前勝手な理屈。完全に論理破綻しているが、それに気付かないほど、朝日の暴走は完全にたがが外れている。
「朝日はやっぱり、どうなってもいいと思ってたんだ」(弓)「その結果、朝日は、朝日先生は、ああなった」(刀矢)。『頼田朝日の方程式。』は最終回で本編とつながる。狂気の果てに私たちが目にするのは、どんな解答なのだろうか?
■石河コウヘイ
エンタメライター、「じっちゃんの名にかけて」。東京辺境で音楽やドラマについての文章を書いています。ブログ/Twitter
■『先生を消す方程式。』
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