『スパイダーバース』は写実の呪縛からCGアニメを開放するーー革新性手法に込められたメッセージを読み解く
写実の呪縛からCGアニメを開放した
西洋絵画が写実主義を脱して、多彩な画風を獲得することになったのは近代になってからのことだ。クールベに代表される写実主義の時代の後、印象派が生まれ、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンのような後期印象派が生まれた。
後期印象派は、正確に現実に近づけようと努力しつづけていた絵画を解き放った。セザンヌは遠近法を無視した絵を描き、ゴッホの色使いは、現実を超越し、自らの精神性を反映させた。セザンヌに多大な影響を受けたピカソが後にキュビズムを展開し、絵画のスタイルはさらに多彩となっていき、かつては暗黙の了解だった現実に近づけることは、現代絵画において絶対の要請ではなくなり、より広範な自由を獲得した。
CGアニメーションは、基本的に実写映像と同じ1秒間に24のフレームで動作する。極めて現実の人間に近い動きをトレースできるようになったその技術は、動きだけでなく皮膚や毛の質感にいたるまで、多くのアニメーション作品を現実に近づけさせた。気がつけば、アメリカで制作される多くの大ヒットアニメーションは、フォトリアルな作品ばかりになっていった。
しかし、アニメーションは「絵」である。かつて絵画がその制約を破ったように、本来ならば写実的でなくても良いはずなのだ。『スパイダーバース』は、絵の持つ多彩な魅力に改めて取り組んだ作品と言える。
筆者は、製作総指揮のフィル・ロードとクリストファー・ミラーのその点についてインタビューで質問する機会があった(参照: https://cinema.ne.jp/recommend/spiderman2019030806/ )。2人は「全てのアニメーションが同じビジュアルである必要はないはずだ」と語っていた。まず彼らが考えたのは、原作コミックの絵の魅力の再発見だった。
随所に見られるドットやスクリーントーンのような跡、輪郭線や印刷ズレまで再現するなど実に手間をかけて、コミックの絵の魅力を再発見しようとしている。ピンポインでイラストレーション風のカットが挿入されたりもするし、爆発などのエフェクトもコミック調に演出されている。
これだけでも、従来のCGアニメーションとは異なる方向性を示しているが、本作がさらにすごいのは、ビジュアルスタイルの全く異なる複数のキャラクターを同じ画面に並列させていることだ。
モノクロのスパイダーノワール、日本のアニメルックのペニー・パーカー、カートゥーンチックなスパイダーハムと多彩なスタイルのキャラクターを併存させている点は、制作の手間を考えても大変なことであるが、なにより一つの作品の画風は統一されているべきだ、という暗黙の了解を打ち破ったという点は特筆に値する。
これは生身の役者が演じる前提の実写映画には決してできないことだ。あるいはフォトリアルな作風でも違和感を生じたに違いない。フィルとクリスは前述のインタビューで「アニメーションには無限の可能性がある」と語っていたが、1本の作品で、その可能性を限りなく詰め込んで提示してみせた。