『シュガー・ラッシュ:オンライン』は“ゲーム界”をどう映した? ヴァネロペとラルフの存在が示すプレイヤーの心理

『シュガー・ラッシュ』は“ゲーム界”をどう映した?

“違い”を認めることが、なぜ大事なのか


 しかし、時代は容赦なく進んでいく。オンラインゲームに違和感を覚えるプレイヤーとて、やはり新しいゲームも体験してみたいという人は多いだろう。つまり、そのように古い時代と新しい時代を知る現在のプレイヤーは、自分のなかに「古いゲームの良さ」と、「オンラインゲームの可能性」という、二つの価値観を持つことになる。本作で引き裂かれるヴァネロペとラルフは、まさに一人ひとりのプレイヤーのなかで分裂している意識であり、二人の葛藤もまた、プレイヤーの体験する心理状態ではないだろうか。

 劇中でも登場する「二重性」が、本作のキーワードである。ラルフのように、一人の人間を大事だと思うとき、そこでは往々にして「幸せになってほしい」という気持ちと、「独占したい」という気持ちが重なっている。そして、それらは場合によって反発し合ってしまうことがある。

 本作のもう一人の監督、リッチ・ムーアは、TVシリーズ『ザ・シンプソンズ』の監督の一人としても知られる。そのなかでエミー賞を受賞したエピソード「良心の呵責」は、違法な方法でケーブルTVを視聴して楽しむ父親と、それを咎める娘の関係を通し、現代人の意識の葛藤を表現していた。本作にも、そのように人間ドラマによって社会を浮き彫りにしていく方法が使われていると感じられる。

 ラルフが到達した、もう一つの価値観を尊重する気持ちは、ゲームの発展を受け入れ、より広い視野で楽しむために必要なものだ。そしてそれは、他の人種や国籍、性別の違いや趣味趣向への寛容さなど、多様な存在を認める態度でもある。

 その意識を持つことは、巡りめぐって本人をも救うことになるかもしれない。ラルフが「レトロゲーム」の一員という属性を持って存在しているように、そしてディズニープリンセスたちや、過激なアクションゲームが、インターネットという世界に共存しているように、本作を観ている全ての観客も、現実の世界で人と違った何らかの個性を持って存在しているはずだからである。他者を認めることは、自分を認めることでもあるのだ。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『シュガー・ラッシュ:オンライン』
全国劇場にてロードショー
監督:リッチ・ムーア、フィル・ジョンストン
製作:クラーク・スペンサー
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
(c)2018 Disney. All Rights Reserved.
公式サイト:Disney.jp/SugarRushOL

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