『セインツ・ロウ4』“大バカ”なオープニングの素晴らしさ ボケにボケを重ねる足し算の美学
好きなエイリアンは『エイリアン4』(97年)、好きなストリートファイターはエレナとレインボー・ミカ。こんにちは、加藤よしきと申します。普段はリアルサウンド映画部様にてコラムを書いています。そんな私ですが、もしも「あなたが一番好きなゲームのオープニングは何ですか?」と聞かれたら、こう答えます。「『セインツ・ロウ4』(13年)です!」と。
映画でもゲームでもそうですが、掴みは非常に重要です。オープニングは客を作品世界に引きずり込む役割を担っているので、古今東西、物語を作る誰もがあれこれ工夫しているわけですが……これがなかなか難しい。観客は期待値MAXでオープニングに臨むわけですから、それに応えるのは相当な工夫が必要です。客の期待を超えられなかったり、逆に過剰過ぎてドン引きされたり、あるいは説明不足だったり……。まさに言うは易く行うは難し。ゲームのオープニングもまた然りです。
ひと昔前なら技術的制約もあり、ゲームのオープニングの役割はシンプルなものでした(傑作『ファイナル・ファイト』とか。ガイがジェシカのことを知らなかったのに、速攻で「せっしゃも すけだち いたす。」となるテンポの良さが大好きで大好きで)。しかし、昨今は事情が違います。ムービーシーンはあって当たり前、実写と見間違えるような3Dキャラをゴリゴリ動かせるようになりました。その結果、ゲーム性とは別の物語を描く部分、すなわち「演出」の完成度もゲームの大きな評価ポイントとなりました。出来ることは増えたが、求められることも増えた。自由になった結果、迷う余地が出来たと言えます。「ゲーム」として遊ばせる部分と、「物語」として見せる(読ませる)部分の2軸。今日のゲーム制作者には、この2つの要素を巧く絡めることが求められます。前回ご紹介した『地球防衛軍』シリーズは、この課題に対して「シナリオを必要以上に足さない!」という引き算の美学で勝利しているゲームでした。(参考:『地球防衛軍5』はなぜ過度な演出がない? “足さない美学”に見る、作り手の絶対の自信)今回ご紹介する『セインツ・ロウ4』は、その真逆です。すなわち足し算の美学。そして本作のオープニングには、その美学が存分に詰まっているのです。
『セインツ・ロウ』シリーズはギャングの一員となって、敵対勢力との抗争や様々なミッションに挑戦していくゲームです。『グランド・セフト・オート』に代表される、オープンワールド/犯罪アクション系のゲームだったのですが、『3』から話が暴走を始め、『4』での主人公は色々あってアメリカ大統領に就任。そこに宇宙人が攻めてくるというのが、本作の粗筋です。粗筋がこれだけ滅茶苦茶だとプレイ前の期待度も高まるもの。そうそうのことではハードルを超えられません。しかし……。ゲームはテロリストとの戦いから幕を開けます。テロリストはワシントンに核ミサイルを撃ち込もうとしており、主人公らは銃撃戦の末に黒幕を殺害するも、あと一歩のところでミサイルが発射されてしまいます。ところが主人公はミサイルにしがみつき、一緒にワシントン上空へ。すると何処からかエアロスミスが歌う『アルマゲドン』(98年)の主題歌「I Don't Wanna Miss a Thing」が流れ始め、仲間から続々と「あんたのことは忘れねぇ!」と熱い無線が飛んくる。完全にエンディングの雰囲気の中、間一髪で主人公はミサイルの解体に成功し、ワシントンのホワイトハウスへ落下。そして文字通り、大統領の椅子に着地するのでした……。
まさに大バカ以外の言葉が見つからないオープニングですが、これは初めて見たとき凄まじい衝撃を受けました。この「『アルマゲドン』の歌をバックに、核ミサイルを空中で解体して、そのまま大統領の椅子に座る」という大バカなシーンのおかげで、ゲームのノリは完璧に伝わり、主人公が大統領になったという設定も把握できる。オープニングの役割としては百点満点でしょう。特に「I Don't Wanna Miss a Thing」を流したのには脱帽です。『3』でも音楽ネタが良かったのですが、戦闘チュートリアルにこの大ボケを持ってきたのが素晴らしい。と言うか、いったいバンド側に何と言って許可を貰ったのでしょう? だってエアロスミスですよ。許可を取りに行くだけでも相当に手間なはずです。日本で言うと矢沢永吉に「うちのゲームの掴みのギャグで、『時間よ止まれ』を使いたいんですが……」とオファーに行くようなものでしょう。実際に氏が曲を提供した『龍が如く3』(09年)とは全く文脈が異なるので、最悪「オレはいいけど、YAZAWAは何て言うかな?」案件になるかもしれません。