『風、薫る』が示した“社会”への視点 命をはぐくみ支える開かれた場所としての社会像

今作の「社会」に対置されるのは「国」や「制度」だろう。両者は社会と相反するものではなく、社会を支える基盤であることは言うまでもない。しかし、それらはときとして個人を抑圧し、生殺与奪の権能を主張する。戦争はその極致である。
第126話で、直美が内務省衛生局の柳生(中村倫也)と議論を交わす場面があった。柳生は、国力は人の数であり軍人の兵力であると語ってから「伝染病や脚気などで戦わずして兵力を失うような国は、強くなれるはずがない」と言い放つ。ここには、人間を道具としてとらえる視点がある。柳生が言及したのは、国が中心となって国民が奉仕する共同体のあり方といえる。
人間が先か。それとも国家が先か。『風、薫る』が描こうとする社会は、個人を生命の次元で尊重しながら、ともに生きる未来を志向するものといえよう。

もう一点、今作の社会は、一方的な上下関係ではなく双方向的な横の関係によって成り立つという特徴がある。瑞穂屋で働くことになったりんに、卯三郎は「リターン」を求める。歴史上の人物でもある清水卯三郎は、語学に通じ、西洋の事情を日本に紹介した人物として知られる。社会に生きるのは「市民」だ。士農工商が廃止された日本の近代では、対等な市民が契約を交わし、互いのために財や役務を負担することになった。
恩恵を受ける対価として、何らかの利益を相手に返すこと。互恵的な支え合いのシステムがそこにあって、強制ではなく合意によって成立するところに「自由」の空気が漂う。互酬性は『風、薫る』のキー概念かもしれない。看護の根底には利他の精神があるが、それが自己犠牲ではないことは作中で重ねて強調されてきた。適正な対価(リターン)を得ることで、看護は女性が自立して生きるための仕事になる。

なお、貧しくて医療を受けられない人のために直美が無償の派出看護を始めたのは、本来得るべき財貨を社会から得ていない人々に医療を通じて再分配を行う意味があるだろう。りんと直美は、パイオニアとしての先行者利益を後進を育成することで社会に還元した。リターンが単なる見返りではなく、社会の中で自らが得てきた実りを多くの人に開かれたものとして提供する意義があることは明確だ。
今作をお仕事ドラマとして観ることは可能だし、「はじめて物語」としてのおもしろさがあることは否定しない。その上で、キャリアを直線的に伸びていくものと捉えるだけでなく、そこに社会を見いだし、横の広がりを描いた点に今作の慧眼があった。結果として、明治の時代状況を背景に、命を慈しむ看護に豊かな意味合いを与えることになった。
〈人が人を知る頃/どこに向かうかはわからない/道は続いている〉
主題歌であるMrs. GREEN APPLE「風と町」の歌詞のように、『風、薫る』は続いていく道の先にあるものを見つめており、開け放たれた窓からは、多様な個人が交流し個性を発揮する社会像が見える。生命をはぐくみ、人間性を尊重するその場所に、あなたや私が生きる社会があることを今作は伝えている。
■放送情報
2026年度前期 NHK連続テレビ小説『風、薫る』
NHK総合にて、毎週月曜から金曜8:00~8:15放送/毎週月曜~金曜12:45~13:00再放送
NHK BSプレミアムにて、毎週月曜から金曜7:30~7:45放送/毎週土曜8:15~9:30再放送
NHK BS4Kにて、毎週月曜から金曜7:30~7:45放送/毎週土曜10:15~11:30再放送
出演:見上愛、上坂樹里
脚本:吉澤智子
原案:田中ひかる『明治のナイチンゲール 大関和物語』
制作統括:松園武大
プロデューサー:川口俊介
演出:佐々木善春、橋本万葉ほか
写真提供=NHK





















