主演復帰の永野芽郁も続くか? 唐田えりかが纏う“透明な不透明さ”を考える

 誰かの転落は、常に格好の消費材である。SNSを開けば、芸能人やインフルエンサーといった、この時代のスターたちのゴシップが絶えず流れ込んでくる。誰が誰と交際し、誰が誰を裏切ったか――そうした話題に群がり、即座に消費し尽くしたかと思うと、人々の欲望はもう次のゴシップへと向かっている。この消費-忘却のループそのものはいまに始まったことではないが、現代ではその回転速度が異常なまでに増している。

 永野芽郁主演・プロデュース作『ヒマチの嬢王』が、今冬、DMM TVで独占配信されることが発表され、話題を呼んでいるのも、そうした潮流のなかでのことだ。2025年春の不倫報道でネットCM全社降板、NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』降板と、キャリアを失いかけた永野にとって、この復帰作は一つの試金石となるだろう。だが、俳優のキャリアがスキャンダルによって断ち切られ、そこからどう再起するかということが問題になるのは、永野一人に限った話ではない。重要なのは、そのスキャンダルによって変容を被った自身のイメージの変化を引き受けながら、俳優としてのキャリアをその後どう構築していくかという点であり、本論が注目したいのはまさにそこである。

『ヒマチの嬢王』©茅原クレセ/小学館/DMM TV

 同じくスキャンダルによって、数年にわたる活動休止を経験した俳優がいる。唐田えりかである。あらかじめ断っておくと、本稿の関心は不倫という出来事そのものの道徳性にはない。とはいえ、こういった唐田のキャリアがたどった経緯を見ることなしに、彼女の現在の活躍を考えるのが難しいのもまた事実だ。

 そもそも、スキャンダルを起こした女性俳優だけが、女子プロレスやキャバクラ嬢などの見世物性の強い役柄を引き受けることで復帰が許されるという風潮自体に問題が含まれていることは言うまでもない。実際、唐田の復帰を決定づけたNetflixシリーズ『極悪女王』(2024年)の長与千種役――丸刈りにした姿や血まみれになる顔をさらす女子プロレスラー役――は、まさにこの図式そのものであるようにも見える。しかし、だからこそ本記事が明らかにしたいのは、この構造の問題を認めたうえでなお、唐田えりかという俳優・スターが、偶発的なスキャンダルを経ながらも、自身のキャリアを新たに更新していったのではないかという可能性の方である。

『寝ても覚めても』でブレイク

 唐田えりかの存在が最初に大きく知られたのは、濱口竜介監督の映画『寝ても覚めても』(2018年)で彼女が演じた朝子役であった。唐田演じる朝子は、東出昌大が演じた麦と劇的な恋に落ちるも、麦がある日突然失踪、その後同じく東出が一人二役で演じる亮平に出会う(つまり亮平と麦は見た目がまったく同じである)。朝子は亮平と恋愛関係になり、2人は人生をともに歩んでゆくのかと思いきや、映画終盤、麦がふたたび朝子のもとに現れ、朝子は亮平と麦のどちらを選ぶのかという「過酷な選択」を迫られる。

『寝ても覚めても』©︎2018 映画「寝ても覚めても」製作委員会/ COMME DES CINEMAS

 『寝ても覚めても』はおおむね高い評価を得て、唐田は複数の新人賞(山路ふみ子映画賞新人女優賞、ヨコハマ映画祭最優秀新人賞)を受賞した。しかし、彼女が映画のなかで示した見事な演技は、約1年後に映画とは別のかたちで思いもよらぬ大きな注目を集めることとなる。2020年1月、唐田と東出の不倫が週刊誌によって報じられたのだ。フィクションのなかでの2人の複雑な恋愛関係が、あたかも虚構と現実の境界を越えるようにして、そのまま現実の出来事としても生じていたのである。

 唐田は活動休止を経て、2022年に、映画『の方へ、流れる』(2022年)で本格的に復帰。それ以降、映画やドラマ、雑誌などで旺盛な活動を展開している。2026年だけでも、すでに5本の映画(『恋愛裁判』、『禍禍女』、『チルド』、『モブ子の恋』、『Man』)に出演し、さらに2本のテレビドラマ(『102回目のプロポーズ』(フジテレビ系)、『君が死刑になる前に』(読売テレビ・日本テレビ系))で中心人物を演じていることからも、彼女の俳優としての力量が各方面であらためて評価されていることがうかがえる。

濱口竜介による演技指導

 ここで一度、俳優としての唐田えりかの特徴について確認しておきたい。唐田自身、自らのキャリアを振り返るインタビューで、濱口竜介との仕事が決定的だったと語っている(※1)。濱口が『寝ても覚めても』の現場で実践していた、イタリア式本読み――感情を込めずセリフを反復し続けることで、身体そのものにセリフを馴染ませていく手法――を通じ、唐田はカメラの前で魅力的に存在するための術を学んでいった。それは、心理や感情をことさらに強調する演技でも、確立された技法に頼りきる演技でもない。むしろそれは、生々しい存在そのものとしての自分を、カメラの前に、ひいてはスクリーン上に存在せしめる方法だろう。

 『寝ても覚めても』での演技が評価された際には、新人俳優の形容としてはしばしばある「透明感」という言葉が使われた。だが、この紋切り型の言葉では、彼女がのちに繰り返し演じることになるキャラクターたちの、掴みきれない存在のありようを言い当てることはできない。結論から言えば、唐田えりかとはいわば「透明な不透明さ」を纏う俳優である。

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