『風、薫る』“虎太郎”小林虎之介の別人のような姿に衝撃 戦争の傷跡に向き合う最終章へ
戦争が終わったからといって、すぐに日常が戻るわけではない。戦地を生き延びた者の心身にも、大切な人を失った者の暮らしにも、その傷は深く残り続ける。
NHK連続テレビ小説『風、薫る』第111話では、日清戦争から帰還した虎太郎(小林虎之介)が、りん(見上愛)のもとを訪れる。一方、吾郎(甲斐翔真)を亡くした直美(上坂樹里)は、悲しみを紛らわせるように平蔵(太田光)の看護に打ち込んでいた。
この回で特に胸を打たれたのが、小林虎之介の演技だ。朝鮮にいる日本の部隊へ薬を届ける仕事に自ら志願した頃の虎太郎は、仕事で成果を上げ、さらに上を目指そうとする熱意にあふれていた。だが、戦地から戻った彼に、かつての面影はない。カラスの鳴き声が聞こえただけで、怯えたように身をすくませる。
戦争は終わったけれど、虎太郎の中ではまだ終わっていない。小林は、わずかな反応だけで、戦地での記憶が今も虎太郎の心身をむしばんでいることを伝えた。その姿は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を思わせる。
虎太郎がいたのは、戦線のずっと後方だった。それでも、毎日のように大勢の兵士が運び込まれ、薬も包帯もいくらあっても足りない。りんからもらったハンカチをお守りにしていた虎太郎は、戦地で知り合った兵士にも同じようにお守りになればと、それを手渡した。だが、その兵士は亡くなってしまったという。
「死んでいく兵隊たちと俺、何が違うんだろう」
自分が生き残ったことを素直に喜べず、「人の生き死には、くじ引きみたいなもんだ」「頑張ったヤツが報われるわけじゃない」とこぼす。虎太郎は、自分だけが生き残ったことへの罪悪感、いわゆる「サバイバーズ・ギルト」に苛まれているのだろう。戦場で失ったのは、親しくなった兵士だけではない。努力の先には報いがあるという、虎太郎自身の信念も打ち砕かれてしまったのだ。
そんな虎太郎に、りんは安易な励ましの言葉をかけなかった。彼の手からハンカチを受け取り、「これはきれいにしておくね」と告げる。そして、これからどうすればいいのか分からないと途方に暮れる虎太郎に、「あの頃とおんなじ。優しい虎太郎のまま」と語りかけた。
戦争は虎太郎から多くのものを奪ったけれど、彼の人間性までは奪えなかった。自分の大切なお守りを兵士に差し出し、その死に今も胸を痛めることができる。凄惨な戦場を経ても、虎太郎の中には昔と変わらない優しさが残っていた。ハンカチの汚れは洗い落とせても、戦場の記憶まできれいに消すことはできない。それでも、りんが見つけてくれた“価値”が、今後の虎太郎を支えてくれると信じたい。
そして吾郎を亡くした直美もまた、深い悲しみの中にいる。平蔵に夫のことを尋ねられても答えられず、「私はこうしていたほうが……」と言葉を濁す直美。その先を、平蔵は「気が紛れる」と言い当てた。直美にとって今は、看護に打ち込むことが、悲しみにのみ込まれずに生きるための支えなのだろう。
平蔵は「俺の酒と似たようなもんか」と、直美の胸の内を見透かす。ふと直美が棚に目をやると、そこには「酒一杯 水一杯」と書かれた紙がしまわれていた。直美が以前、戒めにと徳利に貼ったが、「風が吹いて飛んでいった」と話していた平蔵。ところが、実際には剥がしたあとも捨てずに、きちんと取ってあったのだ。言いつけを守りきれなくても、自分を気にかけてくれた直美の思いまで手放すことはできなかったのだろう。
「一緒に探しましょう。新しい気晴らし」
そう呼びかける直美に、平蔵は「あんたの気晴らしになるなら、付き合ってやるよ」と応じる。看護する者とされる者でありながら、支えているのはどちらか一方ではない。傷を抱えた者同士が、互いの存在によって、どうにか前を向こうとしていた。
そして皮肉にも、多くの人を傷つけた日清戦争をきっかけに、看護婦という仕事は広く知られるようになった。捨松(多部未華子)から「思わぬところから風が吹きました」と告げられた直美は、「きっかけを気にしても仕方ありません」と答える。りんもまた、「私たちで、この風を大きくしていきます」と力強く宣言した。
戦争は虎太郎の心に傷を残し、直美から吾郎を奪った。その事実が変わることも、傷がすぐに癒えることもない。それでも、痛みを抱えながら歩みを止めないりんと直美に、捨松は看護の未来を託した。放送も残すところ、あと1カ月。2人の新たな歩みとともに、物語はいよいよクライマックスへと向かう。
■放送情報
2026年度前期 NHK連続テレビ小説『風、薫る』
NHK総合にて、毎週月曜から金曜8:00~8:15放送/毎週月曜~金曜12:45~13:00再放送
NHK BSプレミアムにて、毎週月曜から金曜7:30~7:45放送/毎週土曜8:15~9:30再放送
NHK BS4Kにて、毎週月曜から金曜7:30~7:45放送/毎週土曜10:15~11:30再放送
出演:見上愛、上坂樹里
脚本:吉澤智子
原案:田中ひかる『明治のナイチンゲール 大関和物語』
制作統括:松園武大
プロデューサー:川口俊介
演出:佐々木善春、橋本万葉ほか
写真提供=NHK