TVアニメ『きみが死ぬまで恋をしたい』深まるタイトルの意味 少女たちが得た“生きる理由”

 魔法が飛び交い、命のやり取りが繰り広げられる作品は、毎クールのように生まれている。けれど、確かな戦闘描写を持ちながら、観終えたあとに強く心に残るのが美しく繊細に描かれた日常だという作品は、そう多くないように思う。鮮烈な戦いと、壊れそうなほど美しい日常。その両方をひとつの物語のなかで丁寧に描く『きみが死ぬまで恋をしたい』は、この夏の本命と呼びたくなる一作だ。

 7月より放送中のTVアニメ『きみが死ぬまで恋をしたい』は、原作の余白に宿る感情を丁寧に映像へと置き換えながら、少女たちの何気ない時間を豊かに描いてきた一作だ。その魅力がひときわ鮮明に表れたのが、8月18日放送の第7話「もう怖くないよ」である。

花田十輝脚本が紡ぐ、“何も起きない時間”の尊さ

 軸となるのは、リジィ・セイランとモード・アリ。セイランは「学校の秘密兵器」と噂されるカガリ・ミミとの戦闘実力試験で、圧倒的な実力差を突きつけられる。力の差を目の当たりにした彼女は試験後、ミミに「なんのために戦っているの?」と問いかける。そしてほどなく、セイランは自ら志願し、戦場へと向かう。

 兵器として育てられてきた少女たちにとって、戦うことは日常の一部だ。召集されれば戦場へ行き、帰ってこられない可能性さえ、学校生活の延長として受け入れなければならない。けれど、誰かを大切に思う気持ちを知れば、「帰ってきたい場所」が生まれる。アリという大切な存在がいるセイランの物語を通して、第7話は、本作が描いてきた恋と生の関係をあらためて浮かび上がらせた。

 そして、第7話がこれほど胸に迫るのは、セイランとアリの関係だけで成立しているからではない。シーナとミミをはじめ、少女たちが過ごしてきた何気ない時間を、本作が1話ずつ重ねてきたからにほかならない。

 舞台は、身寄りのない子どもたちを戦争のための兵器として育てる学校。人を殺すための授業があり、仲間の死さえ日常として処理されていく。誰もが受け入れている不条理を前に、14歳のトツキ・シーナはひとり「どうしてみんな平気なの?」と考え続けている。戦況や国家の思惑が語られることは少なく、物語は一貫して彼女たちの目の高さに留まり続けている。

 代わりに繰り返し描かれるのが、食べることや花を見ることといった、戦いとは結びつかない時間だ。思えば、シーナとミミの関係も、血まみれのミミへシーナがおにぎりを差し出すところから始まっていた。第4話「共犯」では、初めて目にする花に無邪気にはしゃぐミミのために、シーナが花冠を編む。こうしたささやかな出来事が、彼女たちの生を少しずつ変えていく。

 スタッフクレジットに、愛甲剣士が担う「料理・草花作画監督」という役職が置かれているのも、いかにも本作らしい。油布京子によるキャラクターデザインは、14歳のあどけなさと兵器として生きる少女たちの緊張感を併せ持ち、美術・色彩・撮影もまた、彼女たちの限りある日常を繊細に映し出していく。そしてシリーズ構成・脚本は、『響け!ユーフォニアム』『宇宙よりも遠い場所』『やがて君になる』などで少女同士の関係の機微を描いてきた花田十輝。何気ない日々の会話に惜しみなく尺を割く脚本は、第7話を観たあとにこそ腑に落ちるはずだ。

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