「アニメの時代」を振り返る:2016~2026

洋画はなぜ日本の映画館の中心ではなくなったのか “スター”の時代から“キャラ”の時代へ

 本連載は、2016年から現在までの10年を「アニメの時代」と位置付けることから始まった。この10年、日本の興行を牽引したのがアニメ作品だったことは疑いようのない事実だ。

 ただし、連載の3回目と4回目で論じたように、この10年は「アニメの時代」というより「IPの時代」へと変わっていく時代だったのではないかと提起し、解像度を上げていくことを試みた。

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 今回はそんな「アニメの時代≒IPの時代」の裏面として、洋画の視点からこの10年を振り返ってみたい。アニメIPの存在感が高まったことで、相対的に存在感を失ったのは、洋画、とりわけハリウッド映画である。

 かつて、日本の映画市場を牽引する存在だったハリウッド映画は、なぜ、数字を落とすことになったのか。それは、スクリーンに会いに行く対象がスターからキャラクターへ変化したことにある。

2016年以前から徐々に始まっていた洋画の低迷

 まずは、日本における洋画と邦画の興行シェアの推移を簡単に確認しておこう。

 2000年代前半まで、日本の映画市場では洋画シェアが邦画を圧倒的に上回っていた。『千と千尋の神隠し』という特大ヒットがあった2001年でさえ、年間シェアは洋画が過半数(61%)を獲得している(※1)。

 その傾向に変化が訪れたのは2000年代半ばごろからだ。2006年には邦画が53.2%のシェアを獲得して以降、洋画のシェアは漸減していき、2010年代は概ね邦画が6割、洋画が4割前後という構図が定着していった。こうして見ると、2016年にアニメ映画のシェア拡大によって洋画が急にはじき出されたわけではなく、2000年代半ばから徐々に洋画のシェア低下が進行していたことがわかる。(※2)

 この拮抗が大きく崩れたのは、むしろ2020年以降だ。

 新型コロナウイルスの感染拡大によって、世界中の映画館が休館に追い込まれ、ハリウッド映画の供給は大きく減少した。日本の劇場が再開しても、米国の劇場の再開予定が立たずに、公開が延期となる作品が続出し、中には配信会社へと権利を売却する動きも見られた。日本の映画館にとって、洋画の供給減少は大きな空白となった。

『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

 その空白を埋めたのは、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』をはじめとするアニメ作品だったことは周知の通りだ。同作は日本映画史に残るメガヒットとなり、コロナ禍の映画館を支えただけでなく、アニメIPが劇場興行の中心になったという世間のイメージを決定的にした。

 以後、『名探偵コナン』は毎年100億円を超える興行を安定して記録するシリーズへと成長し、『呪術廻戦』『ONE PIECE』『THE FIRST SLAM DUNK』『ハイキュー!!』など、人気アニメの劇場版が年間興行ランキングの上位に並ぶことが常態化していく。

 近年では、邦画のシェアが7割を超えることも珍しくなくなった。2000年代半ばから始まっていた邦画優位の流れは、アニメIPの爆発によって決定的なものになったのである。

ハリウッドの絶対性はアジアで揺らいでいる

 では、こうした洋画の相対的後退は、日本だけの特殊事情なのだろうか。答えは、半分はイエスであり、半分はノーといったところだ。少し脱線するが、他国の事情にも触れておきたい。

 日本のようにアニメとマンガ原作IPが興行の中心となった国は他にないので、確かにその点では特殊だ。だが、ハリウッド映画の絶対性が揺らいでいるという点は、他国、特にアジア各国でも見られる現象だ(※3)。

 韓国は、2010年代に入ると韓国映画が安定して過半数のシェアを獲得するようになった。コロナ禍以降、韓国映画そのものが苦境に陥るなかでそのバランスは崩れているが、だからといってハリウッド映画のシェアも伸びていない。

 中国の場合は、外国映画の上映に関する規制が大きく影響している。かつてはハリウッド大作が中国市場で大きな興行収入を上げた時期もあったが、近年は再び中国映画が市場の大部分を占めるようになっている。2025年には中国映画が約7割以上のシェアを握り、アメリカ映画は2割を下回る水準にとどまった。

 さらに、東南アジアでも変化が起きている。インドネシア、タイ、ベトナムなどは、コロナ禍以前はハリウッド映画が強い市場だったが、近年は自国映画のシェアが過半数を超えている。そしてインドでは、もともと自国映画のシェアが圧倒的に高く、ハリウッド映画は市場の一部にとどまっている。

 もちろん、北米や欧州などの主要な市場では、今なおハリウッド映画が大きな影響力を持っている。世界市場全体で見れば、ハリウッドが巨大な映画産業であることに変わりはない。

 しかし、アジアに目を向けると、かつてのようにハリウッド映画がどの国でも圧倒的に強いという状況ではなくなりつつある。インドネシアでは2025年、自国産のアニメーション映画『Jumbo(原題)』が国内映画歴代1位の興行記録を樹立する(※4)など、アジア各国で自国映画の台頭が顕著になっている。各国の観客が、自国の言語、自国のスター、自国の物語、自国のIPを愛するようになった。日本の場合、その中心にあったのがアニメとマンガ原作IPだったということだ。

かつて洋画はなぜ強かったのか

 話を戻そう。

 そもそもなぜかつてハリウッド映画は、日本でそれほど強かったのだろうか。それは、ハリウッド映画にしかないものが、少なくとも三つはあったからだと筆者は考えている。

 一つ目はスペクタクルだ。ハリウッド映画には、日本映画ではなかなか実現できない視覚的スペクタクルがあった。ハリウッド映画は観客に見たことのないものを見せてくれるものだった。

 もちろん、今でもハリウッドの映像技術と大作製作の規模は世界最高峰だ。しかし、技術はコモディティ化し、「すごい映像」自体は珍しいものではなくなった。配信ドラマの予算は映画並みになり、ゲーム映像も飛躍的に進化している。日本のアニメも映像の情報量が増え、豪華になっている。

 二つ目には情報環境の変化とそれに伴うプロモーションの変化だ。かつての洋画宣伝には莫大な予算が投じられていた。海外スターや監督の来日キャンペーンは大きなイベントであり、テレビ、新聞、雑誌を巻き込んだ大規模宣伝が展開されるのが常だった。例えばスティーヴン・スピルバーグ監督の『A.I.』の日本プロモーションには20億円もの宣伝費が投じられたという(※5)。これは、宣伝費だけで日本映画の制作費を上回っている。

 しかし現在では、情報の流通は大きく変わり、マスメディアを通じたトップダウン型の宣伝だけでは人々を動かしにくくなり、SNSを通じたボトムアップ型の話題化が重要になっている。ハリウッド映画も北米市場ではそうしたマーケティングに力を入れているが、日本市場にまで同じ熱量で手が回っているとは言えない。

 そして三つ目に、何と言ってもスターの存在だ。アーノルド・シュワルツェネッガーやシルヴェスター・スタローン、トム・クルーズ、ブラッド・ピット、ジョニー・デップ、ウィル・スミス、キアヌ・リーブスら。彼らは作品ごとに異なる役を演じながらも、観客にとっては作品を横断する一貫したイメージを持つ存在だった。

 シュワルツェネッガーが出ていれば、肉体と破壊のアクションを期待できる。リチャード・ギアが出ていれば、ロマンティックな映画を想像できる。作品やジャンル、役柄も異なるが、スターが一貫した映画体験を保証してくれた。

 スターの来日も、かつてに比べれば減少傾向にある。ファンエンゲージメントが重要な時代において、ハリウッドスターは日本の観客にとって、以前よりも遠い存在になっている。来日すればテレビ番組に出演するときもあったし、CMに起用されるケースも近年よりもずっと頻繁にあった。

 その距離を埋めるように、日本のアニメキャラクターたちは、観客の日常の近くに存在している。

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