『ミニオンズ&モンスターズ』が試みたシリーズの解体と掴んだ原点 映画史を讃歌する仕掛け

 ユニバーサル・ピクチャーズのアニメーション作品を支えるスタジオ「イルミネーション・エンターテインメント」。その看板作品といえるアニメーション映画といえば、『怪盗グルー』シリーズ、そしていまや、スピンオフとして生まれた映画『ミニオンズ』シリーズもそうだろう。そんな『ミニオンズ』も、この度公開された『ミニオンズ&モンスターズ』で3作目になる。

 「えっ、まだ3作目? もっとなかったっけ?」と、疑問に思う人もいるかもしれない。『怪盗グルーのミニオン危機一発』(2013年)、『怪盗グルーのミニオン大脱走』(2017年)、『怪盗グルーのミニオン超変身』(2024年)と、日本では興行上の理由で「ミニオン」の名を使った邦題の作品が公開されているのだが、これらはあくまでメインの『怪盗グルー』シリーズであり、ミニオンたちが主役となる『ミニオンズ』シリーズとは基本的に異なるものなのだ。

 『怪盗グルー』シリーズもタイトルだけでなく、ミニオンたちの活躍する比重が大きくなっていて、ミニオン要素に侵食されている状況にある。つまり、全部が「ミニオンの映画」化してきてしまっている。それは間違いなく、ミニオンというキャラクターたちの人気が圧倒的だからだ。彼らがさまざまな国の単語を組み合わせた謎の言語で、わいわい騒ぎながら事件に対処するという構図だけで、もはや作品が成立してしまうのである。

 しかし、『怪盗グルー』シリーズと『ミニオンズ』シリーズ両方が、ミニオンたちの魅力に頼ってきたことで、さすがに供給過多、マンネリになってきているかもしれないというのは、誰もが薄々感じているところなのではないだろうか。それには当然作り手側も敏感になっているはずである。そこで今回の『ミニオンズ&モンスターズ』は、自らのシリーズ映画そのものを解体し、その魅力の根本に立ち返るという施策をおこなったように思える。ここでは、その仕組みがどうなっているのかを具体的に解説していきたい。

 今回の主な舞台は、1920年代のハリウッド。アメリカの好景気を背景に、映画産業が一つのピークを迎えた時代である。1960年代、1970年代の文化とともに、ミニオンたちのそれぞれの時代の活躍を描いてきた『ミニオンズ』シリーズだが、“最強のボスを見つける”ことを願ってきた彼らが、怪盗グルーという解答に辿り着いてしまったことで、シリーズの舞台は、より前の時代に遡らねばならなくなった。さもなければ、いよいよ『怪盗グルー』シリーズと差別化できなくなってしまう。

 1920年代のハリウッドは、その後半に至るまで、まだ「サイレント期」にあった。この音声、音響が映画に付随していなかった時代は、情報が限られていることで、分かりやすい俳優の身振りや表情、字幕による説明など、視覚的に理解しやすい表現が求められた。そして同時に、俳優のコミカルでスラップスティックな動きや、奇抜な見た目も人気を博した。本作でミニオンたちが、ひょんなことから映画スターとして人気になってしまう、本シリーズならではの“偽史”も、そうした背景を考えると納得できるところがある。

 映画のサイレント期を題材としたことで、『ラ・シオタ駅への列車の到着』(1896年)や『月世界旅行』(1902年)など、映画史的に重要な作品のパロディの数々が描かれる。また、ユニバーサル映画にもかかわらず、『カサブランカ』(1942年)の主題歌「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」を流し、兄弟の映画会社経営者を登場させるなど、ワーナー・ブラザースのイメージを投影しているのも興味深い。ここではスタジオの垣根を越え、総合的な映画文化そのものを称揚しているのだ。そして、『地球の静止する日』(1951年)のキャラクター、「ゴート」のパロディである「ドート」が登場するように、クラシック期以降の映画もパロディ、オマージュの源泉となっている。

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