『ヤニねこ』で世界に知られてしまった日本アニメの“多様性” 韓国人が衝撃を語る

『ヤニねこ』はキャラクターを汚さない――部屋、煙草、視線がつくる「汚い生活」

原作マンガ『ヤニねこ』を手がけるにゃんにゃんファクトリーは、アニメ化の話を最初に聞いたとき、「え? できるの?」と思ったという(※1)。実際に脚本やキャラクターデザインを見て、思っていた以上に原作のままアニメにできることに驚き、自分たちの描いた作品が公共の電波に乗ることを楽しみにしていたようだ。
第1話を観れば、その反応もよくわかる。ヤニねこは煙草を落とすと、道端の吸い殻を拾って吸う。しかも、その吸い殻は排泄物の上に落ちている。それでも煙草を諦めない。部屋にはゴミが散乱し、登場人物たちは、人にはあまり見せたくないような行動を平然と繰り返す。
私は韓国でこの作品を観ていて、まず驚いたのは、これがテレビアニメとして放送されるということだった。日本の深夜アニメは長く観てきたが、排泄物の上に落ちた吸い殻を拾って吸う場面がそのままテレビに映ることには、今でも少し驚かされる。『ヤニねこ』では、一部の話数で地上波向けのオンエア版と「邪竜解放版」が分けられている。放送基準に合わせたものと別バージョンが用意されていること自体、この作品の際どさをよく表している。

視聴者も、ヤニねこの行動を何でもないこととして受け入れているわけではない。ニコニコが公表したコメント集計を見ると、常識外れの行動にリアルタイムでツッコミを入れる反応が目立つ(※2)。かわいいという反応も同時に現れる。奇行をそのまま受け流すのではなく、ツッコミを入れ、半ば呆れながら眺めること自体が作品を楽しむ一部になっている。
私にとってヤニねこは、自分を重ねるキャラクターではない。むしろ、その行動を他者のものとしてずっと追ってしまう。観ているうちに、理解するより先に疑問が浮かぶ。なぜそこまで生活を放っておけるのか。どこまでその状態で平然としていられるのか。おかしいと思いながら、それでも次に何をするのか待ってしまう。
疲労や孤独のように、笑いだけでは押し切れない感傷的な場面では少し印象が変わる。さっきまで呆れながら眺めていたキャラクターが、急に他人事ではなくなる。そんな場面では、ヤニねこをただ笑って眺めているだけでは済まなくなる。それでもコメディとしての基本的な面白さは、彼女を理解することより、何をするのか見守るところから生まれることが多い。

『ヤニねこ』が面白いといっても、その暮らし方に共感しているという意味ではない。キャラクターの行動を笑うことと、自分の嗜好を語ることの間には距離がある。たとえば数年前に『その着せ替え人形は恋をする』(以下、『着せ恋』)を初めて観たときは、作品への好みと自分自身の好みがもっと近くにあった。
当時、私は同作を観る前に、韓国の放送版でぼかしやモザイクが入った画像を先に目にしていた。元の場面を知らないまま隠された画面だけを見ると、その向こうにはそのまま放送できないほど露骨なものがあるのだろうと想像してしまう。モザイクのほうがかえって想像を煽るという反応も見かけた。私自身も、実際に作品を観る前は、ほとんど現代版『くりいむレモン』のような、妙に作画のいいエロアニメなのだと思っていた。学校でこの作品を観ていると言うのも、少し気恥ずかしかった。
『着せ恋』を観ていた当時の私は、自然と作品の内側に入り込んでいた。この作品が好きだと口にすれば、作中の性的な嗜好まで自分の好みとして受け取られるように思えた。作品について話しているはずなのに、いつの間にか自分自身のことを話すことになっていた。

一方『ヤニねこ』は題材だけを見れば、もっと露骨で、品もない。それでも、ヤニねこは本当に汚い、どうしてこんな暮らしをしているのか、といった話はむしろしやすい。キャラクターと自分との間に線を引いたまま、その行動を眺められるからだ。他人と一緒に呆れながら笑うこともできる。作品が好きだと言うより前に、まずその行動そのものを話題にできる。
その距離をつくっているものの一つが、ヤニねこの「汚さ」の見せ方である。汚さは身体の属性として最初から固定されているのではなく、部屋や煙草、周囲の人物の反応を追ううちに、少しずつ見えてくる。
第1話では、ヤニねこが妹に自分の部屋の写真を送らなければならなくなる。普段はただ自分が暮らしている部屋にすぎない。ところが他人に写真を送るとなった瞬間、その部屋が問題になる。急に汚くなったわけではない。もともとその状態で暮らしていて、ヤニねこ自身もそれに慣れている。しかしカメラを向け、他人の視線を意識した瞬間、いつもの部屋が人には見せられない部屋に変わる。
写真を撮れば、壁の染み、床に散らばった物、布団の状態が一つのフレームに収まる。普段は少しずつ目に入り、そのまま通り過ぎていた痕跡が一度に並ぶ。ヤニねこがどれほどひどい暮らしをしているのか、わざわざ説明する必要はない。
第7話では、ヤニねこが偶然ニコチンの悪魔を召喚する。ところが先に耐えられなくなるのは悪魔のほうだ。ヤニねこの部屋のあまりの汚さに辟易し、そのまま逃げ出してしまう。本来なら人間が悪魔を恐れるはずの場面で、先に拒絶反応を示すのは悪魔のほうだ。ここでも、ヤニねこがどう暮らしているのかは、身体そのものより周囲の空間と相手の反応から先に見えてくる。
この二つの場面では、ヤニねこの見た目だけで多くを語ろうとはしていない。部屋が映り、別の人物が反応し、普段の癖が表に出ることで、間接的にヤニねこがどういう人物なのかが見えてくる。ヤニネコとして認識できる身体の形は保たれたまま、どう暮らしているのかは別のところから次々に表れる。




















